近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
熊野三山の一つ「熊野本宮大社」にきております。
社務所にて社殿撮影の許可をえて、神殿ないに入りました。

手前から③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)

左から②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神

⑤満山社 結ひの神(八百萬の神)
*番号は参拝順
明治二十二年の熊野川水害により熊野川中洲にあった旧社殿は破損し、
上四社のみが現社地に再建されました。中四社および下四社の社殿は
再建されず、先程、参拝した旧社地に2基の石祠が建てられました。
神殿内の石碑、石塔

和泉式部祈願塔
熊野へ詣でたりけるに女身のさわりありて
奉幣かなはざりければ
”晴れやらぬ身に浮雲のたなびきて
月の障りとなるぞ かなしき”
その夜 熊野権現の霊夢ありて
”もろともに塵にまじわる神なれば
月の障りの何かくるしき”
かくて身を祓い清めて 多年あこがれの「熊野詣で」を
無事すませしと云う。
和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、にわかに月の障りとなった。これでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。
”晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき”
すると、その夜、式部の夢に熊野権現が現われて、
”もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき”
そう返歌したので、和泉式部はそのまま参詣することができたという。
-み熊野ねっとWebサイトより


白河上皇御歌
咲きにほふ 花のけしきを見るからに
神のこころぞ そらにしらるゝ
早春 白河上皇さま熊野御幸の折、御宝前にて
御詠み給うた御歌です(熊野本宮)
秩父宮勢津子妃殿下 御筆 -案内板より
今回は神殿ないに入る事が出来て、お参りをしましたが、
拝殿にも行きました。


狛犬と拝殿前の八咫烏
八咫烏とは、当社の主祭神である家津美御子大神(素盞鳴尊)のお仕えです。日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。
八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。
この三本の足はそれぞれ天・地・人をあらわす、といわれています。
天とは天神地祇、すなわち神様のことです。地とは大地のことで我々の住む自然環境を指します。
つまり太陽の下に神様と自然と人が血を分けた兄弟であるということを、二千年前に示されていたのです。
日本の歴史における八咫烏の出現はきわめて古く、『古事記』『日本書紀』『延喜式』をはじめ、 キトラ塚古墳の壁画や福岡県珍敷塚古墳横穴石室壁画、千葉県木更津市高部三〇号噴出土鏡、世界最古の油絵である玉虫厨子(法隆寺蔵) の台座にも見ることができます。 -熊野本宮大社公式Webより


拝殿前の「大黒石」と「亀石」

拝殿

拝殿ないの日本サッカー協会関連の品
サッカーと八咫烏
みなさんもご承知のとおり、JFA財団法人日本サッカー協会のマークは八咫烏です。
神武天皇の故事に習い、 よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められていると考えられます。今も、JFAの方や、日本代表サッカー選手たちが必勝祈願でご参拝されています。 -熊野本宮大社公式Webより


常陸宮殿下御愛用ヨット(かもめ号)宝物館前
このヨットはセンターボード艇で、全長6メートル
マストの高さ約十メートルの木造船。
昭和二十三年神奈川県の浦賀ドッグで建造された。
宮様が葉山の御用邸で少年期から青年期にかけて御愛用されたヨットです。
-案内板より


熊野本宮大社 御朱印
つづく
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