~西へ~(20)3日目③ 熊野本宮大社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


                         近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


旧社地 大斎原から「熊野本宮大社」に。

      

鳥居前で土産を売るオバちゃんと話をすると
「昨日は凄い雨で。今日は良かったね」と言われた。
これまでの旅で、傘をさしての参拝は殆どない。恐るべしチカラですな。

    
  「本宮縁起」
東御前(若宮):天照皇大神(若一王子)
本社(証誠殿) :家都美御子大神(素戔嗚尊の別名)
西御前(速玉宮):御子速玉大神(伊邪那岐大神)
    (結宮):熊野牟須美大神(伊邪那美大神)

当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。
 御主神は家都美御子大神即ち素戔嗚尊と申し、樹木を支配される神であり、紀の国(木ノ国)の語源もここから起こっております。
 大神は植林を御奨励になり造船の技術を教えられて外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに生命の育成発展を司られた霊神で、第10代崇神天皇の御代に熊野連が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。
 奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広がりました。延喜7年(約千年前)宇多法皇の御幸をはじめ約300年にわたり法皇・上皇・女院の御幸は実に百数十回に及びました。これが史上有名な熊野御幸であります。
 これと前後して当時の神仏習合によって御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め、「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分社を祭り、その数は現在約五千数社を数えています。
 その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱とさまざまの変災の渦中にありながら、人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(おからす様)の神符とともに全国に伝播して明治時代にいたりました。
 現在の社殿は享和2年徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里(現・本宮町大斎の原指定文化財)に建立されましたが、明治22年の大出水にあって現在地に修造して遷座されたものであります。
 この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。
なお、旧社地は別社地と呼び石祠二殿を仮宮として西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合祠してあります。 -案内板より


        

氏子が奉納した幟が、整然と並んでいる石段を上がります。

     

途中に鎮座します「祓戸神社」にて身を祓い清めます。

    

参拝前に社務所に寄り、旧社地での写真を申告し許可を得て、
神殿ないの撮影の許可も頂きました。
許可を得ている間に凄い数のツアー観光の人たちは、居なくなりました。
少し早かったら、ずっと一緒だったかと思うとゾッとします。



 神門

  
八咫烏(由来) (左)
 熊野では八咫烏を神の使者と言われています。三本足とは熊野三党(宇井・鈴木・榎本)表わすとも言われ,当社では主祭神家津美御子大神(素盞鳴尊)の御神徳である智・仁・勇,又天・地・人の意をあらわしています。烏は一般に不吉の鳥とされてきているが,方角を知るので未知の地へ行く道案内や,遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており,熊野の地へ神武天皇御東征の砌,天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時,八咫烏が御導き申し上げたという意があります。又,歴史上の一端より触れて述べれば源平合戦の折那須与一出身地(栃木県)烏が金の紙幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。
 次に世界各国の一部を記せば,
◎スカンジナビア
 オジンの神の肩に止まった烏が二羽,一つは思考,一つは記憶と名づけて毎朝二羽の烏を放って,世界中のことを報告させたといわれている。
◎古代ギリシャ
 烏はアポロの神の標識。
◎ツリンキート族
 火を最初にもってきて,光を人にあたえたのは烏であると伝えられている。
 又,最近スポーツのサッカーが青少年,若い人々に人気を博している。日本サッカー協会のマークは八咫烏です(明治時代にサッカーが日本に始まった。この頃から使用されているそうです)サッカー協会のマークに使用された意味は,考えるに目的とする相手チームのゴールをはずすことなく,きちんととらえて納めるという意ではないでしょうか。
 尚,右の意より,当大社では今も尚変わらず,
◎人の道開きの開運,人生,目的達成
◎現在地~目的地の間,無事に到達する意・海上安全・交通安全(車・二輪車等)旅行安全・通学安全の守護として仰がれています。
*八咫烏のお祭りに関わる祭典
 毎年一月七日,夕闇深き時刻(午後五時)に厳修斎行される(年始め牛王刷り初め)があり,当社の年中行事の中でも中心となるお祭りです。
  熊野本宮大社社務所  -案内板より


 御社殿御参拝順御案内 (右)
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤満山社         結ひの神(八百萬の神) -案内板より


神門をくぐり、玉垣のうちへ。



観光ツアーの人たちは帰りましたが、それでも多くの人が居りました。






                             つづく







                当ブログの無断使用は禁止です。
                      メッセージにて確認をして下さい。その上で、 
                      文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。