近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
雨の3日目です。台風の影響でしょうか。

高速をおりる頃になると、天候も回復。 嵐の前の静けさか?
時折海が見え、良い気分で「熊野」を目指します。

本日最初は「熊野三山」への参拝です。

海沿いを離れ、川沿いの道を山へ。


ガレてます。

途中、温泉の看板に誘われて、チョッと寄り道。


朝からサッパリ。熊野本宮大社に向かいました。


車を停め、参拝前に 熊野本宮大社 旧社地「大斎原」へ。
*本来の参拝順は、熊野本宮大社→大斎原ですが、何故か大斎原に引かれました。

熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。
-熊野本宮観光協会公式Webより
ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。その背後のこんもりとした森が大斎原です。-熊野本宮観光協会公式Webより


鳥居にも「八咫烏」(左)
日本第一大鳥居建立の意義 (右)
人心が神と自然から離れつつある今日,当社の最も危惧するところは「命脈の護持」であり次の時代へ日本の心(精神・魂)の復活を祈念するとことであります。
神代の時代,素盞鳴尊(家津御子大神)が大地の荒れ果てているのを嘆かれ,自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」と名付けられました。
皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって,大なる節目であることは無論の事,この節目の始めに当たり「日本人の精神(心)の蘇り,日本経済の再生,熊野の山々より環境の大切さの再認識,国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し,今こそこの壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく,大斎原を発信基地として熊野の大神の広大なる御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう,熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に,日本最大の第一大鳥居を建立する運びとなった次第です。八咫烏を掲げた天下一大鳥居であります。竣工は,平成十二年五月十一日です。
(幅)約四十二メートル
(高さ)約三十四メートル
日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や,素盞鳴尊を祭るここ本宮(熊野),大国主尊を祭る大社(出雲)を始め,たくさんの神社がありますが,神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること,つまり神様のおはしますことを示す一種の門です。 -案内板より
つづく
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