近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
二の丸御殿から本丸を目指します。

本丸の虎口となる四つ足門を目指して進むと
少し変わった形の水堀がありました。

丸馬出の外側を防御する為に掘られた丸みを帯びた堀は、その形から
「三日月堀」と呼ばれており、武田氏の築城技術の特徴といわれてます。


三日月堀(みかづきぼり)
本丸門(ほんまるもん)の前面に配置された三日月状の堀です。深さは8mありました。調査では、堀の南側から石垣が見つかりました。その下からは、柱穴(ちゅうけつ)が並んで見つかりました。 -案内板より

三日月堀から回り込むように進み、石段を上がると四足門です。


四足門(よつあしもん)
調査では、門の跡は見つかりませんでしたが、正保城絵図(しょうほしろえず)を元に復元されました。門の内側には、入城者(にゅうじょうしゃ)を調べる番所(ばんしょ)がありました。本丸に通じる重要な門でした。 -案内板より

四足門をくぐると、掛川城模型がありました。
これがあると全体像の想像がしやすくなるのでイイですね。

掛川城主要部模型
この模型は、正保元年(1644)幕府が諸大名に命じて提出させた城絵図と発掘調査結果を基本資料として、150分の1の縮尺で製作されました。塩櫓(しおやぐら)・銭櫓(ぜにやぐら)のあった腰曲輪(こしぐるわ)や、内堀の松尾池(まつおいけ)・乾堀(いぬいぼり)は、削り取られたり、埋め立てられたりして現在目にすることはできませんが、模型ではこれらの曲輪や堀を含めた正保年間(1644〜1647)頃の最盛期の掛川城の主要部が示されています。模型の素材は、風雨、日光などの屋外での自然条件下でも耐久性が高い有田製磁器が用いられています。 -案内板より


十露盤堀(そろばんぼり)
本丸を囲む重要な堀です。十露盤堀という名称の由来ははっきりしませんが、水がたまった部分がそろばんの箱のように見えることが、その由来と考えられます。
-案内板より

江戸期は、図上の二の丸と三の丸の呼び方が入れ替わっていた。
矢印のように進み天守へ向かいました。
つづく
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