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もう一つの甲斐國総社(論)、笛吹市春日居町に鎮座します
「甲斐奈神社」にきました。


ご祭神は、
彦火火出見尊
大己貴命 他で、ございます。
甲斐奈神社の由来
鎮座地 春日居町大字国府字砂原町436番地
当社は延喜式神名帳に載る古社で、別名守宮(しゆのみや)大神ともいい、これは四之宮がなまったものと思われる。
御朱印領八石一斗。御祭神は彦火火出見尊、大巳貴命の二神で、聖武天皇神亀3年(726)6月に建立した。この地は昔、峡之郷といい、成務天皇が甲斐国山梨郡峡之郷に国府を置いたので峡(こく)を改め甲府とし後に、国府の字に変えた。
天平年間(747)に国司田辺史広足が国府所在地を記念して古名を子孫に残そうと峡之神社と名づけ、その後、甲斐奈神社となった。
昔は11月中の申の日の祭りに氏子の男女が手に手に松明をかかげ社殿を三度回り、「ジンギャウ チャウヂャウ カンノベ チャウジヤウ」と叫びながら、最後に村中を回った。以前は鳥居の左方に七抱えもある槻(欅)の巨木があつた。
現在の本殿は明治元年の大火後、同15年に再建された。
例大祭は四月三日に行なわれる。
春日居町 春日居町観光協会 -案内板より


本殿
旧社碑再建の由来
明治40年8月、本県をおそった未曾有の大洪水により、当社は本殿以外すべて流失し、明治34年建立のこの碑もまた行方不明となつてしまつた。
ところが今回、はからずも境内南側の下水道工事にさいし、もとの位置から余り遠くない地下およそ5mの所から台石ともに発見された。
社名の筆者は公卿七清華の一人、従一位勲一等侯爵久我(こが)建通で、明治維新のさいは公武合体派で活躍し、後に東京に在任して神職となりました明治天皇の宸翰御用係・文学御用係などの要職を歴任した人である。
建立後おそそ80年、再び陽光を仰ぐに至つた奇しき因縁を思い、ここに旧社碑を再建して後に伝えようとする次第である。
昭和62年4月3日 延喜式内 甲斐奈神社 氏子一同 -案内板より


拝殿に「御朱印」の案内がありました。 チョット驚。
お店に入ると片隅にスタンプが置いてあり、自分で押す。 再度驚。

甲斐奈神社 御朱印
お参り後、時間を確認すると「ラーメン由」に間に合いそう。

ラーメン由(国道20号から県道113号に入り北上してすぐ)
第二Pの看板がないので、間に合わなかった?店内に入り確認。
本日2回目の「由」OKでした。
今回は「醤油」を注文。先程同様高レベルで旨い。
麺も先程食した「塩」より、こちらの方が合っていて良い。
スープに少々えぐみが感じられたのだが、なにゆゑ?
これは「味噌」も食べなくては。

醤油ラーメン(チャーシュー、メンマ入り)
つづく
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