~北へ~(409)76日目① (称)越後国一宮 天津神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





曇り空の76日目。本日最初に向かった先は、



越後国一宮(称) 天津神社です。
 

創建は、景行天皇の時代といわれ、孝徳天皇の勅願所であったと伝わります。


 説明
神社名 天津神社 一ノ宮と俗稱す
祭 神 瓊々杵尊 天児屋根命 天太玉命
    境内別に奴奈川神社あり奴奈川媛命 八千矛命を祀る
鎮座地 新潟縣西頸城郡糸魚川町大字一ノ宮
人皇第十二代景行天皇の御宇の創設に係り人皇第三十六代孝徳天皇の勅願所たりと云ひ傳へ延喜式内社の一ならむと推稱せらる
社殿はもと山崎の地に在りしを山崩れのため此の地に移し造營したりと傳ふ
此の地方は往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ媛と契らせ給へりと云ふ史實と御二方の間に生れましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ遠近を開拓統治し給へりと云ふ傳説とに徴すれば此の地は神代に於て國津神の威武を内外に發揚し給へる重要なる基地たりしを想察するに足る
ただ神社名が天津神社と呼ばれ境内別に奴奈川神社の存するは後世天神地祇其の處を換へたるに依るならむか
女神像四體 掛佛 古面 舞楽装束等を秘蔵す
春季大祭は四月十日(昔は三月十日)秋季例祭は十月二十四 日(昔は十月十日)執行せらる。
大祭に神輿渡御の盛儀あり壮観多く匹傳を見ず
舞楽十二曲あり俗に「ちごの舞」と稱し大祭當日演舞せらる 百花繚乱の候婉麗優美千古雅趣を帯ぶる舞楽を豪壮極りなき神事の後に拝するは對照の妙正に一大奇観にして古来名物祭 の名を檀にしたる所以も亦茲に存するか
陵王 大納蘇利 拔頭 能拔頭の舞面は明治十一年九月明治天皇の北陸御巡幸に際し行在所に於て天覧に供したり
神社は藩政當時朱印一百石を寄進せらる
大正七年郷社に列せられ昭和十八年三月縣社に列せらる -説明板より



 神池

        
   玉に前足をかけている変わった御顔の狛犬
    何となくウナギ犬を思い出してしまいました。



 
 衣紋所


 舞楽控え所


 石舞台


 拝殿

 
 拝殿                     社号額


拝殿ない(奴奈川神社、天津社、住吉の扁額)

 
 本殿(左・奴奈川神社 右・天津神社)

 
 子聖社(末社)と石祠


       
       天津神社(越後糸魚川一の宮)
       奴奈川神社  御朱印



                               つづく







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