~北へ~(406)75日目⑪ 陀羅尼八幡神社(直江八幡宮) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


高田城に続いて向かったのは、越後国総社です。
少しややこしい事に越後の総社は二社ございます。先に参拝したのは、
全国総社会加入の八幡さま「陀羅尼八幡神社(直江八幡宮)」です。

 

 由来
当社の創建は十六世紀後半上杉氏の時代に春日山南方岩木村に邸宅を構えていた武将達が、京都男山の石清水八幡宮(応神天皇)の分霊をいわきの的場今の甲山に祀ったことによる。しかし天正六年(一五七八)上杉謙信の急死により、その相続争いの戦火に焼かれてしまい、三十数年の後 松平忠輝の高田 築城とともに、当社も城下町に移されたと伝えられる。
火の神、鍛治の神である火産霊命の来歴については明らかでないが、大国主命は榊原藩主が前任地姫路の鎮守伊和大神(大国主命)の分霊を祀ったものであるから高田入封(寛保元年=一七四一)から間もない頃と思われる。
当社がここ陀羅尼町(昭和五年北本町二丁目に改称)に祀られたのもその頃らしく、その為一般に『だらにはちまん』とよばれるようになった。上杉家時代は直江津の八幡社が総社であっが、陀羅尼八幡神社は榊原時代に総社になり一合一銭の特権が与えられた。榊原候は供米を年々八俵三斗九升四合八勺(約六百六十㎏)寄進することとし、また家臣達も月々応分の供米を寄進するならわしだったという。
明治維新には、日枝神社・春日神社(本町一丁目)・直江八幡宮・神明宮(南本町二丁目)などとともに市街の五大社といわれ、城下町の産土神として重んぜられたようである。-公式Webより

     

細く長い参道を進むと境内では子供たちが遊んでいました。

 

大きな声で挨拶の出来る子供たちに嬉しくなります。



境内の写真を撮るのが珍しいのか。
子供たちが、口々に話しかけてきました。

       
     眉毛とツルッとした身体が特徴的な拝殿前の狛犬



 ご祭神は、
主神:品陀別命(応神天皇)
相殿:大国主命
   火産霊命(火の神、鍛冶の神)   で、ございます。

   
  本殿と社号額

     
      子安神社(末社)

境内には多くの石祠が並んでいますが稲荷社以外の詳細は不明です。

 

 


       
        陀羅尼八幡神社 御朱印
           (越後総社)





                               つづく







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