北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
お腹も満タン。天気も良好。

海沿いに出て日本海を見ながら南下します。

一気に新潟県に入り、

新発田市に到着。


新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。
新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、北国の城特有の海鼠壁は全国的にも珍しいものです。 春の桜の季節、真冬の雪をすっぽりかぶった様子、四季折々の風情があります。
-新発田市観光協会Webより


城の表門前に、すっと立っているのが堀部安兵衛の像。赤穂義士の討ち入りで中心的な役割を果たした安兵衛。像の顔は、しっかりと江戸を見つめています。新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城で、11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していました。中でも、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものです。平成16年には、この三階櫓、辰巳櫓が復元されました。
-新発田市観光協会Webより

三階櫓(復元)
三階櫓は、木造の三層三階櫓で、入母屋造、本瓦葺きです。
最上階の屋根は、丁字型の入母屋屋根で、その端に三匹に鯱を乗せていること特徴であり、全国にも類を見ない櫓です。平成十六年六月に復元しました。
-案内板より


旧二の丸隅櫓(現存・移築)
旧二の丸隅櫓は、桁行五間半(9,999mm)、梁間四間半(8,181mm)入母屋造の二層二階櫓。
寛文8年(1668)の大火後、再建されたものです。
二の丸北部にあったものを、昭和34年(1959)から翌35年にかけて解体修理を行い、本丸鉄炮櫓跡の現在地に移築したものです。腰回りは、瓦張りの海鼠壁に仕上げられています。
-案内板より




二ノ丸から土橋を渡り、土橋門をくぐると帯曲輪。
帯曲輪から堀に架かる橋を渡ると、

本丸・表門二階櫓(現存)
表門は、桁行九間(16,362mm)、梁間三間(5,454mm)で享保17年(1732)に再建された櫓門。腰回りは瓦張りの海鼠壁で仕上げてあります。
-案内板より


辰巳櫓(復元)
表門に向って正面右手、本丸から見て南東(辰巳)の位置にある本造の二層二階櫓で、入母屋造、本瓦葺きの櫓です。-案内板より

手前から辰巳櫓、表門二階櫓、旧二の丸隅櫓
つづく
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