~北へ~(345)64日目⑤ 開陽丸Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





船内で遺物の数々や歴史パネルを見てから甲板に上がりました。

        

わずか1年半だった開陽丸の命
 明治元年11月5日に松前を制圧した土方隊は、ここにしばしとどまって鋭気を養い、同月11日に江差に向けて進軍を開始。江差に入ったのは16日だが、この時すでに、江差は榎本艦隊に制圧された後だった。
 そして、ここに悲劇が待っていた。
-北海道人より


 

 その日夕方からやにわに「たば風(北西の風)」が強まり、夜には暴風雨となった。沖合に碇泊していた開陽丸は、この強風によって碇(いかり)も効かなくなり、海岸方向へと流されていった。
 そして座礁。数日後、開陽丸は海へと没した。さらに、救援に向かった旧幕府軍艦隊の神速丸も座礁、沈没する。
-北海道人より


 

 江差に着いた土方が目にしたのは、船体を傾け海へと沈んでいく開陽丸の姿だった。沈んだのは、いまのフェリー港防波堤先端付近である。
 海軍力では勝っていた旧幕府軍にとっては、まさに「刀折れた」感覚だったろう。箱館戦争の、いや歴史の分岐点になったと言っても言い過ぎではない。
-北海道人より


      

 江差ではいま、かつて北前船交易やニシン漁で栄えた当時の面影を伝えようと、旧国道を「いにしえ街道」として整備している。通り沿いには、廻船問屋だった横山家や旧中村家の建物が当時のまま残っているが、これは箱館戦争において、江差でほとんど交戦らしい交戦がなかったためにほかならない。
-北海道人より


 






                               つづく








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