~北へ~(342)64日目② 檜山護国神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


地図で場所の見当を付けて向かいましたが、見つからず
近くのコンビニで聞くも分からないとの事。
周辺をグルグル回り、やっとこ歩いていた地元のお婆ちゃんに教えて頂き、
辿り着きました檜山護国神社に参拝です。



檜山護國神社は、戌辰の役(戊辰戦争)で戦死した松前・山口・津軽・弘前・
大野・函館在住隊、福山・徳山・岡山・久留米・水戸の各藩92柱、日清・日露
戦争戦死の御霊10柱、檜山南部7町1305柱の英霊を祀る神社です。


 社殿

     
       社号額「護國神社」

 
 戊辰戦争で戦死した92柱の西軍(新政府軍)墓地


    
   幕府軍艦開陽丸遺物の碑と開陽丸の錨

 江差町には幕末の歴史が刻まれている。町の高台には護国神社があり、境内には戊辰戦争で戦死した92柱の政府軍墓地があり、石橋さんが子供のころは、その隣に開陽丸の大砲と錨が並べられていたという。子供たちは大砲にまたがったり、いかりの爪によじのぼったりして親しんだ。
 ところが、第二次世界大戦中、軍用に金属類が回収され、大砲やいかりも供出されてしまった。戦後、町に平和が戻ると、幕末の歴史を想起させるシンボルを町の人たちは懐かしむようになっていく。
-産経WEST「海に沈む「幕末のシンボル」引き揚げろ」より一部転載



 忠魂碑


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。





                               つづく








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