~北へ~(396)63日目① 移動・弁慶岬 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





63日目。今日も羊蹄山の頭は雲の中です。



ポリタンの水を補充しに細川たかしの真狩村「羊蹄の湧き水」へ。



さぁ、海岸線に戻ります。



国道5号から道道267号へ。



快適な道を走るとすぐに海岸線へ。



右手に海を見ながら進みます。



店を探しながら走りますが、気が付くと「寿都」の街中。



日曜日だから閉まっている店ばかり。



漁港を見て、次の街を目指します。

   

途中、弁慶岬に寄ります。



日本海を臨む北海道寿都(すっつ)町と島牧村の境に突き出た「弁慶岬」。
アイヌの人々が"ポロ・エド(=大きな鼻形の岬)"と呼んでいたこの岬の先端は、大地が裂けたようになっており"ベルケイ(=裂けた場所)"と言われてました。それを和人が"ベンケイ"と発音したのが名前の由来と伝えられています。
しかし、岬に付けられた名前の通り、あの武蔵坊弁慶がこの地を訪れた伝説も!そのお話をしましょう。
武蔵坊弁慶は奥州より逃れ傷つきながらも北の大地に渡り、この地に滞在していました。そんな時、弁慶の舎弟と言うべき存在である常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)が、義経再挙の兵を募り蝦夷地へ向かったとの情報を耳にします。来る日も来る日も海尊の乗る船の到着を待ちますが、その姿を見ることは叶うことはありませんでした。日々船を待ち続けるそんな弁慶の姿を見たアイヌの人々がここを「弁慶岬」と呼ぶようになった…と伝えられています。
銅像の台座には「想望」と書かれており、今も変わらず打ち寄せる波は弁慶の思いを運んでいるのかもしれません。
-トラベルJPWebより






                               つづく








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