~北へ~(357)54日目② 稚内公園Ⅱ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


ハマカンザシ(アルメリア)が咲き誇る稚内公園にきております。



猿払村にありました殉職した九人の乙女の慰霊碑、こちらにもございました。


 九人の乙女の碑


この碑は、終戦時、樺太の真岡(現・ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人の女性の慰霊のために建てられたものです。
北緯50度線でソ連と国境に接していた樺太では、1945(昭和20)年8月、ソ連軍の不意の攻撃を受け40年間にわたる国境の静寂が破られました。
島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり窓越しに見る砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険の中、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向かいましたが
「皆さんこれが最後ですさようなら、さようなら・・・」の言葉を残し、青酸カリを飲み自らの命を絶ちました。終戦5日後、8月20日のことでした。
-説明板より


    
  樺太犬供養塔
白い南極の大陸で命を落とした15頭の”犬ぞり隊”の霊を慰めるための慰霊碑で、稚内公園の犬ぞり訓練所跡地に、昭和36年10月、建立されたものです。
観測隊がケルンをつくり、それを道標として雪原を前進したことから、慰霊碑は三角のケルンに秩父石が張りめぐらされています。


  
  南極観測樺太犬訓練記念碑
1956(昭和31)年、日本が初めて南極観測に参加する時、40頭ほどの樺太犬が集められ、ここ稚内で8ヶ月間にわたり犬ぞりの訓練が行われました。
犬ぞり隊は、ブリザード荒れ狂う極地で見事な活躍を果たしましたが、交代するはずの第2次越冬隊が悪天候のため上陸できず、結局15頭の犬だけが無人の南極大陸に取り残されることとなりました。
そして1年後、タロとジロの兄弟犬の奇跡的な生存が確認され、このニュースは感動とともに世界中に伝えられ、後に映画「南極物語」にもなりました。
その碑は稚内公園が犬ぞりの訓練地だったことを記念し、樺太犬の功績を讃えブロンズ像で制作され、台座には南極で採取した白石が埋め込まれています。
-説明板より



 氷雪の門
日本領だった南樺太(現・サハリン島)には、終戦当時、約42万人が生活していましたが、ソ連軍の突然の進撃により人々は全てを捨てて祖国へと逃げ帰ることとなりました。
この碑は、帰らぬ樺太への望郷の念と、樺太で亡くなった人たちの慰霊のため1963(昭和38)年に建てられたものです。
高さ8mの門、黒大理石の台座、2.4mの女性像からなり、女性が手のひらを見せ天を仰ぐ姿は全てを失った悲しみを表し、人々の天への祈り、哀訴、そしてたくましい再生への誓いを表現しています。
お天気が良い日には、像の背景に広がる宗谷海峡の向うに、かつて人々生活していた樺太が見えます。
-説明板より









                              つづく





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