北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
根室歴史と自然の資料館を見学しています。


資料館の目玉 だと勝手に決めつけた「樺太日露国境標石」です。
日露戦争大勝利の結果、ポーツマス講和条約にて、樺太中央部の
北緯50度に延長133kmにわたって直線に国境が引かれ、南樺太が
日本領になり、日本は4個の天文測量による国境標石標石を設置します。
4個には、それぞれ天第一號(号)から天第四號(号)と刻まれていました。
さらに、幾つかのレプリカも作られました。


天測境界標
「天第一號」 敷香郡散江村遠内 - 1987年にソ連国境警備隊が撤去、台座も破壊された。標石はユジノサハリンスク(旧豊原市)のサハリン州郷土博物館(旧樺太庁博物館)に保存されている。
「天第二號」 敷香郡敷香町幌内川左岸 - 1994年に銃弾の跡が残る標石を現地住民が確認。1997年に根室市民がこれを譲り受けて市へ寄贈、北海道根室市の根室市歴史と自然の資料館(旧根室市郷土資料保存センター)に展示されている。
「天第三號」 敷香郡敷香町半田沢 - 1949年に撤去されユジノサハリンスク(旧豊原市)のサハリン州郷土博物館(旧樺太庁博物館)にあり天第一號と並べて展示されている。
「天第四號」 名好郡西柵丹村安別 - 1990年代に地元関係者によって撤去された。その後、船で運搬中に間宮海峡で船が転覆し、海中に没したと伝えられたが、2013年現在はサハリン州在住のロシア人男性が所有している。1926年、樺太庁より明治神宮聖徳記念絵画館に模造品(レプリカ)が寄贈されて現存している。
-Wikipediaより


大きさは、高さは68cm、幅47cm、厚さ27cm
南(日本国)側には菊花章、および「大日本帝國・境界」を表記、
北(露国)側には双頭鷲章、ロシア語で「ロシア・1906境界」と
刻まれ、東側の薄い部分には「天第二號・明治三十九年」、西側の
幅の狭い部分には「ACTP Ⅱ」(天)と刻まれています。
国内ではここでしか見れない国境標石。これだけでも見に行く価値ありですな。
他にもたくさんの展示物がありました。
いくつか貼っときます。


根室市本町の商家に祀られていた神殿(明治中期の造)

「横死七十一人の墓」
寛政の蜂起和人殉難墓碑(旧名 寛政の乱和人殉難墓碑)の複製
これから向かうチャシの模型がありました。


模型があると往時の様子を想像し易くなるので助かります。


別室には剥製がズラリ。




資料館を出て、教えて頂いた花咲岬へ。
*根室歴史と自然の資料館の建物は、大日本帝國海軍の施設だったそうです。
(昭和十七年竣工)

資料館の隣に建つ、根室市立立花咲港小学校(左奥が資料館)

つづく