~北へ~(262)36日目① 十勝護国神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

 
             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


寝坊をして起きると雨は殆ど降ってませんでした。

 

場内を軽く散歩をして、管理の方とお話をして、

 

36日目出発。



今日は、放牧されていました。 でも、寒いのかな。一カ所に集まってる。



帯広の街中に到着です。

     

まずは「十勝護國神社」にて感謝のお参りです。

      
                ハッキリとした顔立ちの狛犬


 由緒(沿革)
 日露戦争が終結して間もない明治39年11月3日、戦没せられた9柱の命等の招魂祭が斎行され、のちに先人有志の篤志により本殿が造営さえました。
 現在は、日露戦争から大東亜戦争までの間に戦役に召され、戦火に殉じられた帯広市並びに近郷出身の英霊1,208柱を祀る社であります。
 戦後52年を経た今日、日本の平和と繁栄の礎となられた、戦没者の武勲を永久に讃え、護持に努めております。
  平成9年7月
   奉納 日本郷友連盟 十勝護国神社奉賛会    -掲示板より




 十勝護國神社 社記
一、明治三十九年十一月 招魂碑建立 八名合祀 第一回招魂祭執行
一、大正二年四月    帯広招魂社と稱す
一、大正二年四月    本殿造営
一、昭和三年十月    拝殿造営
一、昭和二十一年八月 帯廣護國神社と改稱
一、昭和二十二年四月 帯廣平和神社と改稱
一、昭和三十三年六月 社殿造営
一、昭和三十三年七月 遷座祭執行
一、昭和三十九年四月 十勝護國神社と改稱

 明治神宮宮司 甘露寺受長 書
 昭和41年7月 建立

   
 英霊碑(戦没者氏名刻印)    英魂(ノモンハンにおける戦友の慰霊)


         
        殉公碑(陸軍大将 田中義一 書)


 雨上がりの境内


     
      十勝護國神社 御朱印


全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。




                               つづく