~北へ~(195)26日目④ 十和田湖(敢湖台)・十和田神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら





新郷村(旧戸来村)のムー(ミステリー)スポットから十和田湖にやってきました。



まずは「敢湖台」展望所から眺めを楽しみます。



敢湖台(かんこだい)は十和田湖の中山半島と御倉半島の
間に位置する展望所です。

 

目の前に中湖と呼ばれる十和田湖では一番水深が深い所、左に中山半島、
右に御倉半島を見ることができます。

高台から見る湖は素晴らしいですが、風が強く、寒くて寒くて。
楽しむ間もなく早々に龍のように見える中山半島に鎮座します、
「十和田神社」に向かいました。

       

十和田神社の創建は、伝承よるもので、はっきりしていないそうです。
十和田湖国立公園協会によりますと、
青龍権現とも、熊野権現とも呼ばれていた十和田神社。その縁起には2通りの説があるとされています。
一つは大同2年(807年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂創建とされる説。東征のおり湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願しイカダを組んで渡ったという。
もう一つは、南祖坊(南蔵坊、南草坊ともいう)によるもの。熊野で修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国をめぐり、十和田湖畔で百足の草鞋が尽きたといいます。当時、十和田湖には八郎太郎というマタギが、湖の岩魚や水を喰らううちに八頭の大蛇となり、湖を支配していたそう。そこで、南祖坊は、その霊験により九頭の龍に変化し二十尋(約36m)の身体を、十曲(とわだ)に曲げ、八郎太郎を退治たという伝説が残っています。南祖坊を青龍権現として崇め祀った名残りが今もあり、境内の熊野神社には彼の履いていたという鉄の草鞋が奉納されています。

と2つの縁起があるようです。

現在は、祭神として日本武尊が祀られていますが、明治の神仏分離までは東北地方に色濃く残る水神信仰の象徴であったと言われ、十和田山青龍大権現が祀られており、現在も奥の院に祀られています。-十和田湖国立公園協会Webより

        

杉木立の中を進みます。

    

程なく、木の鳥居が見えてきました。

     

勿論、社号額も木造です。 良いですねぇ~

   

蛙が居るらしく手水舎からは鳴き声が聞こえてきました。

        

ここ十和田神社は個性的な狛犬たちが邪気の侵入を防いでいます。

              

石段を上ると拝殿が見えてきました。

   




                              つづく