北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
夜中、凄い風雨でしたが、晴れてきました。

生まれて初めて食す生の南部せんべいと好きな団子を食べて、

向かったのは、月刊誌「ムー」的な場所、
新郷村戸来(へらい)にあるキリストの墓(?)です。
これ以上車では進めない。
車を(舗装された駐車場に)停め、道あり道(整備された道)を進みます。

それは突如現れました。植物が十字状に生えてます。
明らかに十字架です。自然の悪戯か。何か不思議な
(ではなく管理の人の)チカラが作用している。

古代文字?解読不可の文字(明らかに英語です)と(当たり前だが)
横から読むと意味不明な日本語が書かれた板(普通の説明板)発見。
これを読んだ本物のキリスト教徒はどう思うのだろう?

更に地球上の物とは思えない(?)光る金属に描かれた
謎(ではない)の画(案内図)を発見。
どうやらこの先に「あれ」は、あるようだ。

しかし、目の前に行く手を阻む?ように急(ではない)階段が。

この先にあるのか。
「キリストの と言われている 墓」
逸る気持ちを抑え、深呼吸をして落ち着きます。
(単にここまでの上り坂で息があがっただけ)
ここで、Wikipediaより概略
キリストの墓 日本
青森県戸来村
1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間〜3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。
この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという。ただし、竹内文書は多くの研究者から偽書と断定されている。
この後「古代史書研究会」が来村、戸来村の村名は、ヘブライに由来するとした。 アメリカ在住の川守田英二が現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるという書簡を戸来村に送った。
また日本において「桔梗紋」と言われるこの村の旧家に伝わる家紋は五角の形であり、ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似しているとしイスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もある。 戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があったという。
東京大学の余郷嘉明助教授による世界34カ国にわたるヒトポリオーマウイルス分布調査によれば、コーカソイドに見られるEUタイプウイルスが秋田県で見つかっている。 これはコーカソイドの集団が秋田周辺にやってきた可能性を示すものである。ヘブライ人もコーカソイドであることから、これら遺伝情報調査結果は日ユ同祖論の傍証となっている。ただし、全くの奇説であり、大多数の日本人はおろか、他国でも全く認められておらず。また、その根拠としているものも、学術的な論拠にもならない。
じゃ~ん。


キリストの墓「十来塚」
更にその横には、


弟イスキリの墓「十代墓」

エルサレム市と新郷村の友好の碑 どうやらイスラエルは怒ってないようですが…

昔、TVか何かで見た「キリストの墓(?)」確かにありました。が…
振り向くと教会?の様な洋館が建っています。

伝承館
その謎を解明すべく洋館(伝承館です)に侵入した。
CM(つづく)