北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
仙台藩伊達氏の家臣、片倉家 家中・小関家の屋敷にきております。

表出入口(台所口)(防御4)から屋敷の中へ。

主屋は、桁行7.5間、梁行4.0間の直ご家で、土台のない石場建。
屋根は寄棟造、茅葺で裏手に櫛形の煙出し破風を付ける。
座敷廻りは真壁造、台所廻りは大壁造です。

裏庭から見た主屋(煙出し破風が見えます)

台所(土間)から見た茶の間(囲炉裏の間)
左右の扉は丈夫な木製。(防御8)

土間に続く茶の間(囲炉裏の間)

正座敷(主人の部屋)から納戸を通して裏庭を見る


正座敷(主人の部屋)は、 正座敷より表を見る
奥に「床の間」表側に「平書院」が付き
棹縁天井を張り、畳張りです。

茶の間の主人の席からは土塀の狭間(防御6)を通して
表門が見えるように作られてます。


小窓により台所から直接配膳出来るようになってます。




室内の貴重な展示物
建築年代・沿革
解体時に発見された「享保15年2月12日」(1730)の墨書によって、260余年前の古建築であることが明らかになりました。
小関家と享保15年の創建期との関係は必ずしも明確ではないが、小関家の初代太右衛門元成は松前八之助家中の小関弥右衛門元直の次男で、延宝8年(1680)、松前家から片倉四代村長に嫁した少林院市子(いちこ)の方の添人として白石に来て、はじめて片倉家中となりました。元成12歳の時といいます。
享保元年(1716)には番士に編入、その後は奥方用人として活躍しました。小関家の屋敷地が当初から変動がないものとすれば、墨書の享保15年という創建時期はこの初代元成の晩年か、次の二代元友(もととも)の時代に相当すると思われます。
その平面形状、架構手法とも極めて素朴、古式で、仙台藩の250年を経た古民家のそれと殆ど異なるものがなく、農民住宅を素地として、次第に武士住宅としての体裁を整えてくる過渡的形態を示すとともに、創建年代の明らかな貴重な遺構です。-白石城Webより
白石城は木造復元された天守を中心に大手門やその周辺の石垣なども
復元されており、また中級家中の武家屋敷も復元されており、大変、
楽しむことができ、かつ勉強になりました。

朝ラーのチカラも歩き回ってなくなりました。

龍龍(白石城の近く)
白石城の方に教えて頂いた店に。
第一印象は町場のラーメン屋。しかし、侮るなかれ。
丸鶏(甘みは野菜か?)の出汁のスープは、
普通だが魚粉を足して旨みも香りもアップ。
少し濃い目の味付けでツルツルの麺ともよく合っている。
チャーシューも2枚入り、肉付きには嬉しい。
カレーは市販のルーにスパイスを少し足したモノだが、
普通に旨い。全ての献立が兎に角安く、普段めしに良い店でした。
こんな店が家の近くにあると便利ですねぇ。
余談ですが、この店にも「味噌タンメン」と「味噌ラーメン」が
献立にありましたので、気さくな店主に違いを質問。
「トッピングが野菜炒めかモヤシ炒めかの違い」だそうです。

Aセット(ラーメンとミニカレー)
つづく