福島縣護國神社にて英霊に感謝し、次に向かったのは、
宮城県白石市の白石城(別名:益岡城)です。

白石城は、後三年の役(1083~1087)で戦功をあげた刈田左兵衛尉経元が
白石の地を賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりと伝わります。

その後白石氏などの支配後、伊達氏の勢力下に入ったものの、
天正十九年(1591)、豊臣秀吉は、この地方を没収し会津若松城
とともに蒲生氏郷に与えます。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、
白石城を改修し城主となりました。

慶長三年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣海甘糟備後守は
白石城の再構築を行い居城しました。

慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となって、石川大和昭光が一時城主となりました。
その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えました。
では、二の丸大手二の門(東口門)跡より登城いたします。



東口門跡の先に本丸石垣の一部が残っていました。
当時の石垣はここだけのようで、他の石垣は復元されたようです。
基底部のみですが、南側(左)と北側(右)で積み方が違っています。
組み上げた時代が違うのでしょう。


本丸石垣を左手に見て進みます。

すぐに木造復元の大櫓(天守)が見えてきます。


帯曲輪にある井戸屋形(復元)

天守台石垣(北面)


天守台石垣(西面)

大櫓(天守)西面
事実上、天守である三階櫓は、幕府への配慮により
「大櫓」と呼ばれておりました。


石落とし
帯曲輪を戻り、大手門から本丸へ上がります。

つづく