北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら
大震災で被害を受け、今なお復旧工事が行われている
白河小峰城に登城しております。


慶応4年(1868年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と
長州・薩摩・土佐藩を中心とした倒幕軍との激しい攻防の舞台と
なり、5月1日に大半を焼失し落城しました。(白河口の戦い)


天守台(櫓台)にもなっている土塁に上がります。

三重御櫓前にあります「おとめ桜」


白河小峰城の外堀の石垣が何回となくくずれ、人柱を立てることになりました。
人柱は、現場近くを通った最初の者を、身分の上下、老若男女の別なく選ぶことになり、たまたま父親を迎えに来た藩士和知平左ヱ門の娘が、現場を通りかかって人柱にされることとなりました。
娘は逃げ回りましたが、ついに捕らえられ、小峰城築城の人柱となりました。この時藩士たちが逃げる娘を追いまわしたところが、現在「追廻」という地名として残っています。
この娘を悼んで、城内に「おとめ桜」の名で桜が植えられたそうです。この桜は戊辰の戦火で焼失しましたが、現在は二代目の「おとめ桜」が毎年見事な花を咲かせ城を艶やかに彩ります。-白河観光物産協会Webより
1991年に木造復元された三重御櫓内部です。

三重御櫓は 高さ約14mの本瓦葺の入母屋造りで、
各階に格子窓及び鉄砲狭間を設け、屋根には瓦製の
鯱(1.2m)がのせられてます。


大規模な木造建築は建築基準法で原則禁止されているが、白河城
三重御櫓復元では、人の立ち入りを想定しない工作物として許可を
得たのち、完成後に見学者を内部に入れるよう変更しました。
これは一種の「脱法行為」であるとの観点から問題となりました。

1階内部は、約79坪です。


一階武者走り 石落とし

戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元されており、
当時の弾痕が残っております。


二階へ上がります。


つづく