~北へ~(92)10日目⑪ 下野国一之宮 日光二荒山神社Ⅲ 別宮 滝尾神社Ⅰ | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら




日光二荒山神社、三社目に訪れたのは、滝尾神社(別宮)です。

     

日光二荒山神社 別宮・本宮神社東側を流れる、稲荷川沿いの狭い道を
2Km近く上った所に鎮座しております。

   

「日光三社権現」の一つ、現在は、日光二荒山神社 別宮であります
滝尾神社ですが、本社と違い、参拝中に誰とも遭いませんでした。

         

 ご祭神は、
田心姫命(たごりひめのみこと)
 二荒山神社の主祭神、大己貴命の妃神  で、ございます。
              

 別所跡
東照宮の還座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。日光責めで有名な輪王寺の「強飯式(ごうはんしき)」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、ここが発祥の他である。明治になって別所は廃絶。永正六年(1509)日光に来た連歌師宗長の紀行文「東路(あずまぢ)のつと」には「ここより谷々を見おろせば、院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。-案内板より


 影向石
影向(ようごう)とは、神仏が仮の姿をとって、この世に現れること。弘法大師(空海)が、弘仁11年(820)この地に来て、奥の大岩のあたりで、神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。-案内板より



更に進むと、明神造りの石鳥居に。


 

 運試しの鳥居 額束の丸い穴

  

稲荷川の支流・天狗沢の音以外何も聞こえません。


 滝尾神社 (重要文化財)
日光二荒山神社の別宮。本宮、新宮 (現在の二荒山神社)とともに日光三社 権現の一つである。女峰山の女神、田心姫命を祀る。
 弘仁十一年(八二〇)弘法大師が創建 したと伝えられる。明治四年の神仏分離 までは楼門に大師の筆といわれる「女体 中宮」の額が掲げられ、仁王像が安置さ れていたという。正保三年(一六四六) の建立。四月の弥生祭の時には、二荒山 神社から滝尾の神輿が渡御する。-案内板より


   
    楼門
重要文化財 楼門(ろうもん)重層入母屋造り総漆塗り(じゅうそういりもやづくりうるしぬ)元禄(げんろく)十年(江戸時代1697年)に移転新築された。それ以前は正面参道石段を登った付近にあり、おなじくらいの門であった江戸建築の重厚な建物である-案内板より


 拝殿 正保三年(1646)建立ものが現存。


 本殿 唐門(左後ろの笹は、願を込めると縁が結ばれるといわれる「縁結びの笹」)

重要文化財 本殿 唐門 本殿は三間社流(さんげんしゃなが)れ造(づく)り唐門は二脚平唐門(にきゃくひらからもん)総漆塗(そううるしぬ)り極彩色(ごくさいしき)この建物は正徳(しょうとく)三年(1713年)建て替えられたもので周(まわ)りの玉垣石畳(たまがきいしだたみ)もその時設けられた。ご神体山(しんたいさん)の女峰山(にょほうさん)を遥(はる)かに拝む(おが)ように本殿の裏壁には扉(とびら)が付けられた造りになっていて全国でもたいへん珍しい。-案内板より



 本殿
     
      本殿(背面)







                              つづく