=第38日目④=
応神天皇陵
神武天皇陵
橿原神宮
と参拝をし、お昼ごはんです。
ウインドウォッシャー液を購入しに行く途中に発見。IN

らー麺 あす香
喉ごしの良い麺、やわらかメンマと旨い。パンチに欠けるスープだが、
全体的にはまとまっていて良かった。
バラ叉焼は臭みがあり×

塩+チャーシュー丼(小)
腹もいっぱいになり、向かった先は、元伊勢の檜原神社です。


大神神社摂社である檜原神社の祭神は、
天照大神若御魂神
伊弉諾尊
伊弉册尊 で、ございます。



檜原神社には、三輪山の中にある磐座をご神体にしているので、
本殿はなく拝殿もありません。

三輪特有の「三輪鳥居(三ツ鳥居)」

(元伊勢)檜原神社と豊鍬入姫宮の御由緒
大神神社の摂社「檜原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。
第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきょうでん)」にお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの檜原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののちもその御蹟を尊崇し、檜原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。
檜原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。
萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。
また「茅原(ちはら)」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原(かむあさぢはら)」の地とされています。更に西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡出土・社蔵)」があります
-案内板より


古来から大和国の人々から聖なる山として崇められた
「二上山」を鳥居越しに見る

檜原神社 御朱印
つづく