[水戸城と茨城縣護国神社①のつづき]
藩主一家の勉学の間 至善堂です。
(三の間から至善堂御座の間を見る)

藩主の子息は、二の間・三の間・四の間で学びます。
慶喜公もこちらで勉学に励みました。

至善堂御座の間(藩主の休息の間)にかけられた掛軸
要石歌(斉昭公の和歌)碑の拓本
”ゆくすえも ふみなたがえそ あきつしま やまとのみちぞ かなめなりける”
(太古の昔から我が国に伝わる大和の道はいつまでも変わらない
大いなる道であるから、これを固く信じ迷い惑わされることなく、
信念をもって正しく歩むように)

徳川幕府第十五代将軍 慶喜公が、朝廷への恭順を示す為に、至善堂で謹慎した際に使用したと伝えられる長持ち

縁と庭

厠
弘道館は、正庁、至善堂以外にも、文館、武館、軍機局、その他個別の勉学をする館、建造物、調練場や馬場をもあり、敷地は54,070坪という広大なものだったらしい。

つづく