水戸城と茨城縣護国神社① | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。



徳川御三家・水戸藩の居城「水戸城」へ行ってきました。

と言っても、本丸は、茨城県立水戸第一高等学校の敷地になっており、
二の丸は、学校敷地内で立ち入り不可なので、三の丸にある常陸国
水戸藩藩校「弘道館」に登城です。



弘道館 正門



弘道館 正庁


徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜公もご幼少期(9年間)に学びました


玄関 正面に斉昭自筆の「弘道館」扁額が掲げられています。


さすが水戸藩の藩校です。式台奥の諸役会所(来館者控えの間)の
床の間には「尊攘」と書かれた掛軸がかけられております。
(藩主 斉昭公の命で藩医で能書家の松延年の筆)


正庁正席の間(藩主が御臨席をし、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験をご覧になる所


床の間の弘道館の建学精神が示された「弘道館記碑」の拓本
(石碑は水戸弘道館 八卦堂内に収められている)
「弘道館記」は、藤田東湖が考案し斉昭公が作成したもので、五百十五文字の漢文で書かれています。水戸学の結晶ともいうべく水戸藩の建学精神を天下に宣言したもの


中庭の梅


                         つづく