3年前のちょうど今頃、僕はアメリカ横断旅行の真っ最中だった。
このところ、Facebookが(頼んでもないのに)3年前の今日…みたいな記事をタイムラインに載せてくるので、どうしたって思い出してしまう。
2012年、カナダで1年弱を過ごしたあと、ビストロの皿洗い(この経験はなかなか面白かったのでまたそのうち書きます)でお金を貯めた僕は、約1ヶ月をかけて広大なアメリカを横断した。
シアトルからまずニューヨークに飛んで、そこからグレイハウンドとアムトラックで陽光降り注ぐロサンゼルスを目指した。
道中ではハリケーンや停電、財布忘れのようなトラブルや、様々な心温まる出会いがあり、忘れられない旅になった。十代からの憧れを引き連れたこの旅は、二度とは再現され得ぬものであり、おそらく僕のこの先の人生でも重要な地位を占め続けることだろうと思う。
アメリカは僕にとっていつも特別であり、永遠に彼方の光の中にある。
この横断旅については2年前に旅のブログの方にシリーズ化して書いてあるので、良かったらまた読んでみてください。いや、是非とも読んでいただきたい。
自分で言うのもあれだけど、結構楽しい記事になっていると思う。
以下にリンクを貼っておきます。
●ビクトリア(カナダ)~シアトル~ニューヨーク
「アメリカ横断旅行記(1)さようなら、ビクトリア」
「アメリカ横断旅行記(2)旅のはじまり、シアトル」
「アメリカ横断旅行記(3)シータック空港へ」
「アメリカ横断旅行記(4)ニューヨークへようこそ」
「アメリカ横断旅行記(5)マンハッタン」
「アメリカ横断旅行記(6)サンディ、襲来」
「アメリカ横断旅行記(7)グラウンド・ゼロ」
「アメリカ横断旅行記(8)オータム イン ニューヨーク」
「アメリカ横断旅行記(9)ニューヨーク最後の日」
●フィラデルフィア~ワシントンDC~シカゴ
「アメリカ横断旅行記(10)建国の地、フィラデルフィア」
「アメリカ横断旅行記(11)首都・ワシントンDC」
「アメリカ横断旅行記(12)ワシントンDC発シカゴ行き列車」
「アメリカ横断旅行記(13)アメリカの大阪としてのシカゴ」
「アメリカ横断旅行記(14)シカゴの夜景とグルメ」
「アメリカ横断旅行記(15)大統領選挙の熱狂、南部行きのミッドナイトトレイン」
●ニューオリンズ~ヒューストン~ダラス~フォートワース
「アメリカ横断旅行記(16)魔都・ニューオリンズに酔わされて」
「アメリカ横断旅行記(17)なまずもザリガニも食う素晴らしき世界」
「アメリカ横断旅行記(18)夜のフレンチマンストリート、出会い」
「アメリカ横断旅行記(19)不毛のヒューストン、失意のダラス」
「アメリカ横断旅行記(20)ハート オブ テキサス」
「アメリカ横断旅行記(21)カウボーイの町、心温まる旅の出会い」
●エルパソ~フェニックス~ラスベガス~モニュメントバレー
「アメリカ横断旅行記(22)国境の町エルパソ、そして財布事件」
「アメリカ横断旅行記(23)絶望のフェニックスから不夜城ラスベガスへ」
「アメリカ横断旅行記(24)ラスベガスでついにミリオンダラー!?」
「アメリカ横断旅行記(25)はるかな大西部 モニュメントバレー」
●グランドキャニオン~ラスベガス~ロサンゼルス
「アメリカ横断旅行記(26)怒りのグランドキャニオン、哀愁のルート66」
「アメリカ横断旅行記(27)最後の街、ロサンゼルス」
「アメリカ横断旅行記(28)ダウンタウン、ハリウッド」
「アメリカ横断旅行記(29)約束の地、ホテル カリフォルニア」
「アメリカ横断旅行記(30)ハリウッドよ永遠に」
「アメリカ横断旅行記(最終回)旅の終わり、帰国」
あー、リンク貼るの疲れた。
3日ほど北海道に行っていた。
瀬戸内や京都など個人的にゆかりのある土地を除けば、北海道は僕の最も好きな場所だ。
そもそも僕はどちらかと言うと北方趣味で、北海道やカナダのような「先住民文化と開拓精神があり、針葉樹と落葉広葉樹の森のある広々したちょっと寂しい土地」というのがたまらなく好きだ。例えば沖縄なんかもある種の人々を惹き付けてやまない特別な土地だけれど、僕にとってはそれと真逆の風土を持つ北海道の方に強く心惹かれる。純粋に旅として5回以上訪れている土地は北海道しかない。
実を言うと今年の3月にも訪れたところで、にもかかわらずこの秋に再訪したのにはちょっとしたわけがある。
それは、これ。
村上春樹の名作、『羊をめぐる冒険』。
9月のはじめ頃にまたこの小説を読み返すと、主人公が29歳の10月に北海道で羊をめぐる冒険に出ていることに改めて気付いた。何を隠そう、僕も29歳になった。
20代最後の秋だ。
この合致に気持ちが高ぶってしまった僕は、すぐに新千歳行きの航空券を予約し、10月の終わりに羊をめぐる冒険に出かけることにしたのだ。
神戸を朝に飛び立ち、昼前には札幌へ。
神戸より一足も二足も早く、札幌の秋は深まっていた。札幌では黄葉を見て散歩したり、大通公園でとうもろこしを齧ったりして、のんびりと秋の都会を楽しんだ。夜には狸小路の活気ある居酒屋で石狩鍋と蟹を食べた。
翌日に、いよいよ羊をめぐる冒険の最終目的地となった美深へ旅立つ。
札幌から、まずは名寄へ高速バスで移動する。車窓の景色を見ているとトランスカナダハイウェイをグレイハウンドで移動しているような気がしてくる。僕はニール・ヤングを聴きながら、車窓を過ぎ去っていく秋の森を眺める。
名寄から、今度はJRに乗り換えて美深へ。
美深駅から羊飼いが営むファームインまでは、小さな「デマンドバス」で向かう。
札幌と違って、このあたりの白樺林はすっかり葉を落とし、すでに冬景色となっていた。
3月に訪れた時には雪で埋まっていて見ることができなかった草原で、羊たちが草を食んでいる。
これこそが僕の見たかった景色だ。
雨が降りそうな空も、小説と同じになった。
羊と宿の建物以外には草原と白樺林しかないこの場所に佇んでいると、日頃僕の心が固くこわばっていたことがわかる。自分を相対化するとまで言うと大袈裟だけれど、ここまで遠く、静かな場所に来てはじめてわかることがあるのだ。
僕は武器を下ろし、弱い僕自身に戻る。
オフシーズンの平日ということもあって、宿泊客は僕一人だった。
オーナーのご夫妻とお話したり、ひとりで草原を歩いたりして、とてもリラックスして過ごすことができた。
部屋は薪ストーブの温かなにおいに満たされていた。
***
夜中に目を覚ますと、部屋のソファに羊男が座っていた。
羊男は窓からの月明かりに青白く照らされ、僕をじっと見ていた。
僕が身体を起こして羊男をぼんやり眺めていると、羊男は「やあ」と言った。
僕が答えるのを待たずに、羊男は続けた。
「よく来たね。長かっただろう?」
「…うん、長かった」
僕は枕元のティッシュを一枚取って鼻をかんだ。その様子を羊男は不思議そうに眺めていた。その表情は何かを僕に思い出させたが、それが何かはどうしても思い出せなかった。
「会えるとは思ってなかったよ」
と僕は言った。それ以外に何と言えばいいのか分からなかった。
「あんたは何か聞きたいんだろう?」
羊男は首をわずかに傾けて聞いた。
「どうだろう」
「ここはいいところだよ。いるかホテルがなくなってから、ずっとここにいるんだ。あんたを待ってたよ」
「僕を?」僕はびっくりして言った。
「そうだよ。おいらはミッキーマウスとは違うんだ」そう言って羊男はくすくす可笑しそうに笑った。真横に付いた一対の耳がそれに合わせて揺れた。
「僕のために?」
僕が言うと、羊男は真面目な顔に戻った。
「あんたが望んだから、おいらはここにいるんだ」
僕は黙ってじっと羊男を見ていた。
僕が何も言わないことを確かめて、羊男がまた口を開いた。
「あんたはね、自分の渡ってきた橋を片っ端から焼いてきた。何かのしるしみたいにね。でもあんたはそんなことをするべきじゃなかったんだ」
僕の中でめまいのように、何かが大きく揺れ動くのを感じた。
「僕はずっと失ってきたし、一方で何も得て来なかった。そしてどこにも結びついてない」
「あんたが自分のことしか考えなかったからだよ。でも責めてるんじゃない。それは失われるべくして失われたんだ。それこそがあんたの人生なんだ」
「落ち込ませるね」僕は笑おうとしたがうまくいかなかった。
「でも覚えおいた方がいい。ここは、あんたのための世界なんだよ。あんたが幸せになれるかどうかは大した問題じゃない。あんたはただベストを尽くすしかないんだ。踊るんだ。みんなが感心するくらいうまく」
僕はため息をついた。
「やってみるよ」
「あんたのためにできるかぎりのことはやろう。そして、あんたにはこの場所がある。怖がることはないさ」
そう言って羊男はソファから立ち上がった。
「うまく言えないけど、会えて良かったよ」僕が言うと、羊男はドアの前で口を真横に引っ張った。それは笑ったように見えなくもなかった。
「それから、最後にひとつだけ」羊男はドアノブに手を置いて思い出したように言った。「あんたはいつか、またここを訪れることになる。誰かと一緒にね。おいらがあんたとその誰かを繋げる」それだけ言うと、羊男はドアをがちゃりと開けて出て行った。
一人になった僕はしばらく羊男のいたあたりをじっと眺めていた。
ベッドから立ち上がって窓の外を見ると、草原はうっすらと雪に覆われ、その真ん中を羊男が去って行くのが見えた。
石油ストーブの低いうなりだけが部屋を満たしていた。
***
翌朝、草原は雪に覆われたままだった。秋はもう終わったのだ。
羊たちは寒がりもせず、草を食んでいた。「マイナス20℃くらいまでは大丈夫だね。でも雪が積もると草が食べられなくなるから、屋内に入れる。あと2週間くらいだな」と羊飼いの主人が言った。
同じルートで名寄、札幌に戻る。札幌は冷たい雨が降ったりやんだりしていた。
飛行機は出発が遅れたけれど、無事に関西に戻ることができた。
難波の街は人でごった返し、神戸に向かう金曜の終電は大口を開けて眠る若いビジネスマンや、大声で話す飲み会帰りの中年男や、床でへたりこんで眠る学生や、ハロウィーンの仮装ではしゃぐ若い女や、その他うんざりするような混沌で満たされていた。
この光景は一体何を意味しているんだろう、と僕は思った。
そしてあの静謐な草原と羊たちのことををなつかしく思い出した。
目の前の混沌は非現実的に遠のき、寂しい秋の終わりの草原の風が僕を包んだ。
僕のための世界、と僕は思った。
それから、電車のドアが開いた。
瀬戸内や京都など個人的にゆかりのある土地を除けば、北海道は僕の最も好きな場所だ。
そもそも僕はどちらかと言うと北方趣味で、北海道やカナダのような「先住民文化と開拓精神があり、針葉樹と落葉広葉樹の森のある広々したちょっと寂しい土地」というのがたまらなく好きだ。例えば沖縄なんかもある種の人々を惹き付けてやまない特別な土地だけれど、僕にとってはそれと真逆の風土を持つ北海道の方に強く心惹かれる。純粋に旅として5回以上訪れている土地は北海道しかない。
実を言うと今年の3月にも訪れたところで、にもかかわらずこの秋に再訪したのにはちょっとしたわけがある。
それは、これ。
村上春樹の名作、『羊をめぐる冒険』。
9月のはじめ頃にまたこの小説を読み返すと、主人公が29歳の10月に北海道で羊をめぐる冒険に出ていることに改めて気付いた。何を隠そう、僕も29歳になった。
20代最後の秋だ。
この合致に気持ちが高ぶってしまった僕は、すぐに新千歳行きの航空券を予約し、10月の終わりに羊をめぐる冒険に出かけることにしたのだ。
神戸を朝に飛び立ち、昼前には札幌へ。
神戸より一足も二足も早く、札幌の秋は深まっていた。札幌では黄葉を見て散歩したり、大通公園でとうもろこしを齧ったりして、のんびりと秋の都会を楽しんだ。夜には狸小路の活気ある居酒屋で石狩鍋と蟹を食べた。
翌日に、いよいよ羊をめぐる冒険の最終目的地となった美深へ旅立つ。
札幌から、まずは名寄へ高速バスで移動する。車窓の景色を見ているとトランスカナダハイウェイをグレイハウンドで移動しているような気がしてくる。僕はニール・ヤングを聴きながら、車窓を過ぎ去っていく秋の森を眺める。
名寄から、今度はJRに乗り換えて美深へ。
美深駅から羊飼いが営むファームインまでは、小さな「デマンドバス」で向かう。
札幌と違って、このあたりの白樺林はすっかり葉を落とし、すでに冬景色となっていた。
3月に訪れた時には雪で埋まっていて見ることができなかった草原で、羊たちが草を食んでいる。
これこそが僕の見たかった景色だ。
雨が降りそうな空も、小説と同じになった。
羊と宿の建物以外には草原と白樺林しかないこの場所に佇んでいると、日頃僕の心が固くこわばっていたことがわかる。自分を相対化するとまで言うと大袈裟だけれど、ここまで遠く、静かな場所に来てはじめてわかることがあるのだ。
僕は武器を下ろし、弱い僕自身に戻る。
オフシーズンの平日ということもあって、宿泊客は僕一人だった。
オーナーのご夫妻とお話したり、ひとりで草原を歩いたりして、とてもリラックスして過ごすことができた。
部屋は薪ストーブの温かなにおいに満たされていた。
***
夜中に目を覚ますと、部屋のソファに羊男が座っていた。
羊男は窓からの月明かりに青白く照らされ、僕をじっと見ていた。
僕が身体を起こして羊男をぼんやり眺めていると、羊男は「やあ」と言った。
僕が答えるのを待たずに、羊男は続けた。
「よく来たね。長かっただろう?」
「…うん、長かった」
僕は枕元のティッシュを一枚取って鼻をかんだ。その様子を羊男は不思議そうに眺めていた。その表情は何かを僕に思い出させたが、それが何かはどうしても思い出せなかった。
「会えるとは思ってなかったよ」
と僕は言った。それ以外に何と言えばいいのか分からなかった。
「あんたは何か聞きたいんだろう?」
羊男は首をわずかに傾けて聞いた。
「どうだろう」
「ここはいいところだよ。いるかホテルがなくなってから、ずっとここにいるんだ。あんたを待ってたよ」
「僕を?」僕はびっくりして言った。
「そうだよ。おいらはミッキーマウスとは違うんだ」そう言って羊男はくすくす可笑しそうに笑った。真横に付いた一対の耳がそれに合わせて揺れた。
「僕のために?」
僕が言うと、羊男は真面目な顔に戻った。
「あんたが望んだから、おいらはここにいるんだ」
僕は黙ってじっと羊男を見ていた。
僕が何も言わないことを確かめて、羊男がまた口を開いた。
「あんたはね、自分の渡ってきた橋を片っ端から焼いてきた。何かのしるしみたいにね。でもあんたはそんなことをするべきじゃなかったんだ」
僕の中でめまいのように、何かが大きく揺れ動くのを感じた。
「僕はずっと失ってきたし、一方で何も得て来なかった。そしてどこにも結びついてない」
「あんたが自分のことしか考えなかったからだよ。でも責めてるんじゃない。それは失われるべくして失われたんだ。それこそがあんたの人生なんだ」
「落ち込ませるね」僕は笑おうとしたがうまくいかなかった。
「でも覚えおいた方がいい。ここは、あんたのための世界なんだよ。あんたが幸せになれるかどうかは大した問題じゃない。あんたはただベストを尽くすしかないんだ。踊るんだ。みんなが感心するくらいうまく」
僕はため息をついた。
「やってみるよ」
「あんたのためにできるかぎりのことはやろう。そして、あんたにはこの場所がある。怖がることはないさ」
そう言って羊男はソファから立ち上がった。
「うまく言えないけど、会えて良かったよ」僕が言うと、羊男はドアの前で口を真横に引っ張った。それは笑ったように見えなくもなかった。
「それから、最後にひとつだけ」羊男はドアノブに手を置いて思い出したように言った。「あんたはいつか、またここを訪れることになる。誰かと一緒にね。おいらがあんたとその誰かを繋げる」それだけ言うと、羊男はドアをがちゃりと開けて出て行った。
一人になった僕はしばらく羊男のいたあたりをじっと眺めていた。
ベッドから立ち上がって窓の外を見ると、草原はうっすらと雪に覆われ、その真ん中を羊男が去って行くのが見えた。
石油ストーブの低いうなりだけが部屋を満たしていた。
***
翌朝、草原は雪に覆われたままだった。秋はもう終わったのだ。
羊たちは寒がりもせず、草を食んでいた。「マイナス20℃くらいまでは大丈夫だね。でも雪が積もると草が食べられなくなるから、屋内に入れる。あと2週間くらいだな」と羊飼いの主人が言った。
同じルートで名寄、札幌に戻る。札幌は冷たい雨が降ったりやんだりしていた。
飛行機は出発が遅れたけれど、無事に関西に戻ることができた。
難波の街は人でごった返し、神戸に向かう金曜の終電は大口を開けて眠る若いビジネスマンや、大声で話す飲み会帰りの中年男や、床でへたりこんで眠る学生や、ハロウィーンの仮装ではしゃぐ若い女や、その他うんざりするような混沌で満たされていた。
この光景は一体何を意味しているんだろう、と僕は思った。
そしてあの静謐な草原と羊たちのことををなつかしく思い出した。
目の前の混沌は非現実的に遠のき、寂しい秋の終わりの草原の風が僕を包んだ。
僕のための世界、と僕は思った。
それから、電車のドアが開いた。
今日は仕事上のちょっとした研修で中山手へ。
色々と大学生諸君のプレゼンみたいなのを見たんだけど、パワーポイントを使ってスキルとかニーズとか問題解決とか、誰も彼も同じような方法で同じようなことを語るばかりで、見ていると結構飽きてくる。
「企業に必要とされる人材」というテーマの選び方もそれへのアプローチも、判を押したようにそっくりだ。僕の頃からすでにそうだったけれど、全国の大学生たちがこんなことに莫大な時間をせっせと費やしているのかと思うと、いささか暗澹たる気持ちになる。ビジネスマインドでしかものを考えられないというのは知的貧困だ。まあ、「一億総活躍社会」とはそういうものなんだろう。
小言はこのくらいにしておこう。
終わりの時間が中途半端だったので、そのままぶらぶらと旧居留地へ。
このあたりは個人的に神戸で一番好きな街だ。特にこれからの季節がいい。
ナットキングコールを聴きながら秋の終わり(あるいは冬の始まり)の空気を感じながら歩くと、気分が高揚してくる。今年もあと2ヶ月か、というおなじみの感慨が涌いてきて、割にしみじみしてしまう。
一眼レフじゃなくiphoneなので画像があんまり良くないけど、並木のライトアップが始まっていてきれいだった。
それから大丸地下で晩ご飯の総菜と、イスズベーカリーで明日のパンを買って帰った。
色々と大学生諸君のプレゼンみたいなのを見たんだけど、パワーポイントを使ってスキルとかニーズとか問題解決とか、誰も彼も同じような方法で同じようなことを語るばかりで、見ていると結構飽きてくる。
「企業に必要とされる人材」というテーマの選び方もそれへのアプローチも、判を押したようにそっくりだ。僕の頃からすでにそうだったけれど、全国の大学生たちがこんなことに莫大な時間をせっせと費やしているのかと思うと、いささか暗澹たる気持ちになる。ビジネスマインドでしかものを考えられないというのは知的貧困だ。まあ、「一億総活躍社会」とはそういうものなんだろう。
小言はこのくらいにしておこう。
終わりの時間が中途半端だったので、そのままぶらぶらと旧居留地へ。
このあたりは個人的に神戸で一番好きな街だ。特にこれからの季節がいい。
ナットキングコールを聴きながら秋の終わり(あるいは冬の始まり)の空気を感じながら歩くと、気分が高揚してくる。今年もあと2ヶ月か、というおなじみの感慨が涌いてきて、割にしみじみしてしまう。
一眼レフじゃなくiphoneなので画像があんまり良くないけど、並木のライトアップが始まっていてきれいだった。
それから大丸地下で晩ご飯の総菜と、イスズベーカリーで明日のパンを買って帰った。
このところ、「信仰とは何か」というのが僕の中の大きなテーマのひとつになっている。
宗教について語ることは、なかなか難しい。
僕の中に強い信仰心のようなものが今までなかったのもあるし、そもそも宗教というものにきちんとした知識も関心も持ってこなかったというのもある。
前提として言っておくと、僕の父方の家は真言宗で、母方の家は浄土真宗に一応属していることになる。
葬式は仏教形式で行われて来たし、家としてのお墓もお寺にある。けれど僕にとっての実家(つまり父母の家)には仏壇はなく、正月に気が向けば神社に初詣に行くこともあるし、クリスマスはクリスマスでいいよね、みたいな感じの、まあ標準的な日本の一般家庭の宗教的環境と言っていいんじゃないかと思う。日常的にお寺や神社に行くことはまずない(京都で観光する時くらいのものだ)。
そういう日本的宗教環境にいると、信仰というものはほとんど育つことがない。
せいぜいが世間の目を神とする道徳一般やマナーのレベルで、もっと突き詰めればお金をすべての価値基準に崇めるようになる。そのあたりのグラデーションの濃淡で成り立っているのが、今の日本社会の行動規範なのではないかと思う。
僕は2年近く前から新島襄について勉強しているのだけれど、その中でぶち当たったのが「信仰とは何か」という問題だ。
武士の子、新島襄は国禁を犯してアメリカに渡り、その船上で信仰に目覚め、刀を売って聖書を手に入れた。彼はボストンで知性と良心にあふれるプロテスタントの人々に出会い、学問を修め、大学を卒業した最初の日本人となる。アメリカでの生活の中で、繁栄する西洋文明を支えているのはキリスト教精神であることを知った新島は、亡国の危機にある日本に精神的な近代化をもたらすため学校設立を決意し、帰国する。国家制度や科学の近代化のための人材を育成する東京帝国大学や福沢の慶応義塾に対し、キリスト教精神を支柱にし、国家にバランスをもたらす「一国の良心」となる人物の育成を目的としたところに、彼の教育の特色があった。
けれど大学昇格を前に新島が急逝したことや、次第に日本が国粋主義に走って行く風潮の中で同志社の影響力は弱まり、その後の日本に大きな影響を与えることができなかった。
結局日本は内面に江戸時代と変わらない封建制を秘めたまま、都合良く西欧の文明の表面だけを盗み取っていびつな大国となり、帝国主義の危険なゲームに身を捧げることになる。
新島襄の手紙や文献を読んでいると、日本が真の意味での近代国家になるためにキリスト教精神が不可欠であると本気で考えていたことが分かる。聖書や、それを規範に暮らすボストンの人々との出会いはそれほど強い衝撃を与えたのだろう。
新島をそこまで突き動かした「信仰」というのは一体何なんだろう?という疑問から、僕の新しい学びの関心が生まれた。
そうして振り返ってみると、僕がカナダで出会った人々のリベラリズムや日常でのちょっとした良心や愛が思い出されて、(すごくおこがましいことだけど)新島襄のボストンの体験と重ねてしまうところがあった。そしてこの腐りかけの日本に、カナダで学んだ精神と新島襄の志をほんの少しでも持ち込んで次世代に伝えたいというのが、僕が私塾を開きたいと考えている一番大きな理由だ。
そういう意味でも、「信仰とは何か」は僕の人生にとっても大きなテーマになっていくだろうと思う。あまりに知らないことが多いので、キリスト教を中心に、今後色々と勉強したいなと思う。
宗教、哲学、民俗学、語学…学びたいことは色々あるけれど、頭がなかなか追いつかない。
実は先日ムスリムモスクやプロテスタントの教会で話を聞く機会があったんだけど、ここまで結構長くなってしまったので、その話はまた次回以降に回そう。
宗教について語ることは、なかなか難しい。
僕の中に強い信仰心のようなものが今までなかったのもあるし、そもそも宗教というものにきちんとした知識も関心も持ってこなかったというのもある。
前提として言っておくと、僕の父方の家は真言宗で、母方の家は浄土真宗に一応属していることになる。
葬式は仏教形式で行われて来たし、家としてのお墓もお寺にある。けれど僕にとっての実家(つまり父母の家)には仏壇はなく、正月に気が向けば神社に初詣に行くこともあるし、クリスマスはクリスマスでいいよね、みたいな感じの、まあ標準的な日本の一般家庭の宗教的環境と言っていいんじゃないかと思う。日常的にお寺や神社に行くことはまずない(京都で観光する時くらいのものだ)。
そういう日本的宗教環境にいると、信仰というものはほとんど育つことがない。
せいぜいが世間の目を神とする道徳一般やマナーのレベルで、もっと突き詰めればお金をすべての価値基準に崇めるようになる。そのあたりのグラデーションの濃淡で成り立っているのが、今の日本社会の行動規範なのではないかと思う。
僕は2年近く前から新島襄について勉強しているのだけれど、その中でぶち当たったのが「信仰とは何か」という問題だ。
武士の子、新島襄は国禁を犯してアメリカに渡り、その船上で信仰に目覚め、刀を売って聖書を手に入れた。彼はボストンで知性と良心にあふれるプロテスタントの人々に出会い、学問を修め、大学を卒業した最初の日本人となる。アメリカでの生活の中で、繁栄する西洋文明を支えているのはキリスト教精神であることを知った新島は、亡国の危機にある日本に精神的な近代化をもたらすため学校設立を決意し、帰国する。国家制度や科学の近代化のための人材を育成する東京帝国大学や福沢の慶応義塾に対し、キリスト教精神を支柱にし、国家にバランスをもたらす「一国の良心」となる人物の育成を目的としたところに、彼の教育の特色があった。
けれど大学昇格を前に新島が急逝したことや、次第に日本が国粋主義に走って行く風潮の中で同志社の影響力は弱まり、その後の日本に大きな影響を与えることができなかった。
結局日本は内面に江戸時代と変わらない封建制を秘めたまま、都合良く西欧の文明の表面だけを盗み取っていびつな大国となり、帝国主義の危険なゲームに身を捧げることになる。
新島襄の手紙や文献を読んでいると、日本が真の意味での近代国家になるためにキリスト教精神が不可欠であると本気で考えていたことが分かる。聖書や、それを規範に暮らすボストンの人々との出会いはそれほど強い衝撃を与えたのだろう。
新島をそこまで突き動かした「信仰」というのは一体何なんだろう?という疑問から、僕の新しい学びの関心が生まれた。
そうして振り返ってみると、僕がカナダで出会った人々のリベラリズムや日常でのちょっとした良心や愛が思い出されて、(すごくおこがましいことだけど)新島襄のボストンの体験と重ねてしまうところがあった。そしてこの腐りかけの日本に、カナダで学んだ精神と新島襄の志をほんの少しでも持ち込んで次世代に伝えたいというのが、僕が私塾を開きたいと考えている一番大きな理由だ。
そういう意味でも、「信仰とは何か」は僕の人生にとっても大きなテーマになっていくだろうと思う。あまりに知らないことが多いので、キリスト教を中心に、今後色々と勉強したいなと思う。
宗教、哲学、民俗学、語学…学びたいことは色々あるけれど、頭がなかなか追いつかない。
実は先日ムスリムモスクやプロテスタントの教会で話を聞く機会があったんだけど、ここまで結構長くなってしまったので、その話はまた次回以降に回そう。









