灯りの場所まで、つなわたり。

灯りの場所まで、つなわたり。

カナダで学んだ精神、新島襄の志、内田樹先生の思想を混ぜ合わせて、新しい私塾を開こうと考えている僕が、日々思うこと。

Amebaでブログを始めよう!
4月になった。

このブログもちょうど1年ということになる。
更新のペースは開始時に比べ明らかに鈍っているけど、趣味のブログなんだからまあいいでしょう。

土曜日に、3年前から毎年恒例にしている岡山の桜&桃の花見に行ってきた。


今回の咲き具合は桜も桃も8分咲きくらいで、天気も下り坂だったので、去年や一昨年に比べるとやや不満の残る探訪だった。
桜や天気が万全でなかったら、もう一度ちゃんと見に行かなくてはと居ても立ってもいられないような気分になる。でも今日は天気が悪いし次の週末となるともう散っているだろうから、結局また来年ということになる。春は天気が不安定なのだし、桜の方もそんなに急がなくったって、もうちょっと頑張ってくれたらいいのにね。
それでどうにも落ち着かない気分になる。これなら大風が吹いて、さっさと散らせてくれてしまった方がいっそせいせいする。

世の中にたえて桜のなかりせば…とはよく言ったものだ。

桜はつくづく狂気の花だと思う。
その狂気を直視するのが怖くて、みんな桜の下で酒を飲んだり肉を焼いたりして誤魔化しているのだ。
たしかそれに似たことを坂口安吾が書いていたような気がするけど、詳しくは忘れた。

ともかく、これで冬は終わったのだ。


旭川沿いの桜を見たあとは、バスで少年時代を過ごした町(町と言っていいのかわからないが)に行って、桃の花を見る。

丘の上に立って、また一年経ったな、と思う。

この一年が意味のあるものだったのか、それはよく分からない。
限りのない堂々巡りをしているような気もしてくる。でもどうあれ、これが僕の人生で、確かに僕は歳を重ねているのだ。

僕がこの土地に住んでいた頃にしていたようには、僕はもう畦道に膝をついて蛙を捕まえたりはしないし、藪の中に忍び込んだりもしない。でも里山の色やにおいだけはほとんど変わることがない。それを吸い込めば、何一つ変わっていないような気がしてくる。
あるいは僕はセンチメンタルすぎるのかも知れないけれど、ここに来ることは僕の死んだ友人の墓参りも兼ねている。実際にお墓に行くわけではない。でも墓に行かない墓参りというのがあってもいいだろうと思う。



街中に戻るバスはがらがらだった。
バスの窓からは、夕暮れの風の中を自転車で帰る高校生が見えた。
一瞬目が合ったが、彼女はなんだか清々しい横顔で、少し渋滞している道路脇をしばらく並走していた。家に帰る途中なのだろう。街灯はつき始めたがまだ目立たない。続くごちゃごちゃした家並みからは、たぶん夕餉のにおいが漂っている。彼女はひとりで、なにか満ち足りた顔で、自転車を漕いでいる。
春の夕暮れのその情景は、不思議と長く僕の胸をうった。

バスが門を曲がると彼女は見えなくなり、いつか僕が入院した病院の前を通る。
信号待ちでバスが止まると、横の車の助手席に少年が座っているのが見えた。運転席の母親も彼も、穏やかに何かを話している。晩ご飯のことかも知れないし、新学期のことかも知れない。
信号が変わり、バスが動き出す。バスが跨線橋を渡ると、少年は見えなくなる。

なんでもない風景だったのだけれど、僕は心の中で、あの女の子と少年の人生に幸があるように、と思った。
たぶん、くるりの「remember me」を聴いていたせいだろう。馬鹿みたい、とあなたは言うかも知れない。
でも、知らない誰かの人生を祝福するというのも、なかなか悪くない気分だ。
彼らがそれを知ることはないのだけど。



最後に曲を貼り付けておこう。
そしていいと思ったあなたは、CDを買おう。
そろそろ異国が呼んでいる。


大学受験の結果も出揃い、今日で公立高校の入試も終わった。
長い一年に一区切りついたので、このへんで頭に新鮮な空気を入れなければならない。
頭に新鮮な空気を入れるには日常を離れるのが一番だ。
ということで、久しぶりに一人で外国へ行こうと思った。

仕事の都合で1週間程度の休みなので、愛する北米は時間的にちょっとしんどい。
ならばアジアということになる。台湾、韓国、東南アジアなどは人気の旅行先だが、自分の心が行くことを本当に求めているのはどこなのかよくよく考えてみると、そこにあったのは、中国だった。

実を言うと、僕はマイルドな親中派だ。もちろん、これは国家としての中国に親しみを感じるということではなく、文化的な面で、ということだ。昨今の日本では中国嫌いがずいぶん多いけれど、政治と文化を分けて考えれば、もっと違ってくるはずだ。政治的に反米でもロックやジーンズやハンバーガーやアップル製品に親しむことは矛盾しない。
国家なんてどこもロクでもないもので、そんなことを言い出せば僕は中国政府やアメリカ政府と同様に、我が日本国政府にも一切の親しみなんて感じていない。それどころか…、いや、話が逸れすぎるからやめよう。

とにかく、僕にとって中国というのは、不思議と心を揺さぶる土地なのだ。
東洋文明の中心、大陸のロマン、時に優雅で時にダイナミックな歴史、そして素晴らしい中華料理。
もちろん中国の、ある種のいいかげんさや傲慢さや粗野なふるまいなど文化的に負の部分も多くあることは知っている。でもどこの国民だって、それぞれに特有の欠陥を抱えてやっているのだ。


中国では北京に行ってみたい気持ちもあった(ラストエンペラーの紫禁城を見たい)のだけれど、大気汚染が半端じゃなくひどいと知ってやめて、再び上海に行くことにした。
再び、というのは、5年前に一度上海に行ったことがあるから。311の地震の少し前のことだ。香港は行ったことがあったけれど、中国大陸に渡ったのはその時が初めてだった。実を言うとその旅行中に友人と僕は詐欺に引っかかって酷い目に遭ったのだけれど、全体として上海は素敵な土地だったし、そのことであの街を憎む気持ちには全然なれなかった。

むしろ、急速に発展していく巨大都市(おそらく上海は今世紀の世界の中心都市のひとつとなっていくだろう)が発する微熱のようなものに、僕なんかは結構ハマってしまった。未来は明るいはずだと信じて走る一方で、いろいろな矛盾も生まれている。でも街は立ち止まることができない。その風景は昨日の日本であり、そして僕らの国が二度と経験し得ないものだ。華やかな成功と、ある種の哀しみ。


そして上海は重厚な歴史的連続性を持つ都市でもある。
アヘン戦争以降、上海は列強に半植民地支配され、その光景は日本の幕末の志士たちに強い衝撃を与えた。その中国を反面教師に日本は西洋文明を取り込み自らも帝国主義国家となって列強に加わり、中国大陸に乗り込むことになる。
それら列強による「租界」という異国を内包する上海は、ダンスホールにジャズが流れ、各国の思惑が錯綜しマフィアが暗躍する「魔都」の異名を持つことになる。
そんな上海の歴史を知って、租界時代の面影が残る外灘(バンド)を一人の日本人として歩けば、なんだか不思議な気持ちになってくる。こういう感情は、おそらく他のアジアの都市では体験し得ないものだ。

そして最後に、僕が今まで出会った中国の人たちは、その多くがいい人たちだったということも付け加えておきたい。当たり前だけれど、反日デモで暴れているようなのはごく一部で、僕が出会ったある南京出身のある人は「悲しい歴史だけど過去のことです。今こうして仲良く話しているからいいじゃないですか」と笑って言ってくれた。実際に人一人と語る経験なしに、「〇〇人はこうだ」と決めつけるのは本当に慎むべきだと思う。もちろん実際に中国で中国人に集団リンチにあったという人がいるなら、駅前で一人でヘイトデモをするのは自由だけどね。


というわけで、来週の火曜から上海に行ってきます。

ザイジェン。
今日で東日本大震災から5年。

大きな節目だからテレビでは特集番組なんかをやっているのだろう。
腹の立つことが多そうだから見ないけど。

テレビ業界や広告業界には友達や先輩もいるから悪口はいいにくいんだけれど、近年のテレビや広告が発信しているものの質の低さにはちょっと閉口する。原因はいろいろあるだろうが、一番大きな原因は、「客をナメすぎた」ことに尽きるだろう。僕も以前雑誌の編集に携わっていた時に、それに加担していた疚しさがある。

僕は大阪、神戸地区の旅行ガイドブックを編集していた。
旅行というのは、ちょっとしたストーリーでずいぶん厚みのあるものになる。たとえば、道頓堀の芝居小屋や船場の老舗の物語や、神戸の開港でやってきた異国の人々の歴史を知るだけで、観光の楽しさも変わってくる。僕はそういうものを提供したくて、記事の中で街のことをもっと読み応えのある文章で書こうと思った。でも「文が長いとターゲットの読者は読まない。ビジュアルでわかりやすく見せる方が優先」という上からのお達しで、フォーマット化して紹介文は20字以内、みたいな作り方をせざるを得なくなる。代わりに月並みなキャプションと大きな写真で派手に飾る。要は読者を「文章を読まない阿呆」と設定しているのだ。
あるいはフォーマット化したページでは、すべての物件に所要時間を入れなければならなくて、掲載するある百貨店から「所要時間はそれぞれのお客様で変わってくるので書かないで欲しい」(その通りだと思う)と言われても、「フォーマットなので」と突っぱねるしかない。こんなのはほんの一例にすぎない。
それは読者のための編集ではないし、掲載しているお店のための編集でもない。編集のための編集だ。

おかしいと思っても版元の意向に従うしかなくて、ずるずるそんなことをやっているうちに現場の人間は段々と麻痺してくる。そうして読者との距離が生まれてくる。支持されなくなるのも無理はない。これは出版だけでなくメディア業界のあらゆるところで起こっていることだと思う。システムが巨大化、硬直化し、資本が大きくなっていることによる害だ。たぶん糸井重里さんなんかはそういうのを嗅ぎ取って広告業界から遠ざかったんじゃないかと思うけど、どうだろう。全然違うかも知れないが。

ともかく、僕はこの先の人生でずっとそんな仕事をしていきたいとは思えなかった。
あるいは辛抱してやるうちに、何か突き抜けるものがあったかも知れない。でも結局のところ、そこまでしてもやっていきたいという愛が、僕にはどうしても持てなかったのだ。

僕は幸いなことに、それとは別の、人生を賭して成し遂げたい仕事を見つけることができた。
学生の頃はミーハーな気分で就職活動ではずいぶん大手メディアも受けたけれど、今思えば世間知らずもいいところだった。これから就職活動の学生諸君は、安易にマスメディアを目指さない方がいいですよ、…なんて全然違うところに話が着地してしまった。まあ、いいか。
大変ご無沙汰しておりました。

早いもので、気がつけば1ヶ月以上更新が滞ってしまった。
というのも1月後半から3月にかけては仕事上、一年の総決算ともいうべき受験シーズンにあたるので、まあしょうがないかなというところ。

私大も私立高も公立の特色選抜も国立の二次も終わり、あとは私大の後期と公立高の一般入試を残すのみとなって、とりあえず一番大変な時期はほぼ終わった。
今年の結果についてはいろいろと考えるところがあるけれど、それについてはまたすべて終わって気が向けば書こうと思う。夏期にしろ入試シーズンにしろ、今回はかなりしんどかったな。

それから、このところかなり気分的に停滞していたことも、ブログが滞った一因だった。
季節的なものか、あるいは長期的にそういう時期に入っていたのか、割と鬱々としてしまっていた部分もあり、結構苛立ってしまっていた。まあ、毎年この時期はダメなんだけど。
1、2月だけでも南カリフォルニアに行ってのんびり保養できたりなんかしたらいいだろうな。
そう言えばクリスティーナ・トレインの曲に「LAに住みたい!」を連呼するあほな歌があったけれど、ちょうどそういう気分だ。

今日は気晴らしに、日帰りで倉敷の玉島というところに行ってきた。
ここは同じ倉敷の美観地区に比べるとよりディープというか、商業的観光地化がまだ進んでいないところで、昭和的レトロな町並みが広がっていることで知っている人は知っている(当たり前だどねbyゲスの…)。
僕も今まで、古い町とかレトロな町と形容されるところはかなり多く見てきた方だけれど、玉島はその中でも屈指の素晴らしさだった。もう甘っちょろいレトロやおへん、昭和そのものなんやがな。
久々に街歩きで大興奮してしまった。恐るべし玉島。
町の人も感じが良かったし、訪れてみて正解だった。
またその気になれば記事にします(その気になればという世界で僕は生きているみたいだ)。

感涙モノの哀愁レトロ…

昨日はちょっと用事で京都へ。

ここのところ京都に来るとなると在住の誰かに声をかけることが多くなっているので、完全に誰とも会わないで歩くのは久しぶりだ。変な言い方だけど、これが本来の僕だなという感じもする。
昼過ぎに阪急で烏丸に着いて、錦市場へ抜ける。観光地化されてしまってはいるものの、錦にはやっぱり京都にしかない空気があって、歩くと楽しい。他の市場にはない気品みたいなものがある。



つきたての餅が食べられるお店で、京都風の白味噌雑煮を食べる。
母が作る雑煮が岡山風なので僕の嗜好としてはすまし汁なのだけど、こういう甘い白味噌のまったり感もおいしい。何よりつきたての餅のうまさに「はっ」とする。



それから、寺町通を上り、御所を抜けて…



目的地の今出川へ。
というのは、同志社創立140周年記念の新作能「庭上梅」を観るため。こういう催しがあるのを去年の年末に知って、ハガキで応募したら運良く当選したのだ。これは2005年に寒梅館のハーディーホールで初演、その後東京、名古屋でも行われたそうで、京都では初演以来11年ぶりとのこと。
内容としては、新島襄が病に倒れた大磯の宿に見舞いにきた学生が師・新島と語らう一夜が軸になっている。僕はお能のことはあまり知らないので、明治時代のことを題材にするのもありなのか、というのが素朴な驚きだった。



観覧者は当然ながら同志社OB、OGが多くを占めているようで、しかも年配の方が多い。僕のような20代(ギリギリですが)はそれほどいなかったのではないかと思う。
司会はOBで毎日放送のアナウンサー。まず校友会の副会長と、去年の卒業式で憲法改正について同志社の個人主義の立場から素晴らしいスピーチをされた大谷総長の挨拶があり、NHK大河『八重の桜』の時代考証をされ新島研究の本も多く書かれている本井康博先生の講演。

新島が生まれ、また死んだ1月の寒梅の時期に、新島が愛した寒梅をテーマに、この寒梅館で開催されるのがまたとないことだとか、自責の杖のシーンでオダギリジョーが見せた役者魂など、面白いお話だった。
それからお話をされたどの方もそうだけど、明治時代の新島襄を、まるで最近まで生きていた先生のように懐かしむような口ぶりだ。ここまで愛されている校祖もそれほどいないだろうと思う。


さて、お能。
この種の伝統芸能は教養も必要で、たぶん結構退屈してしまうんだろうなと覚悟して観たのだけど、これが予想に反して面白かった。もちろん新島襄がテーマでストーリーをよく知っているということもあるだろう。でもお能それ自体が放つ、ひとつひとつの動きが持つ張り詰めた緊張感と、後半になってテンポを速めていく舞のグルーヴ感に結構やられてしまうのだ。

隣にアメリカ人(たぶん)の留学生か何かが座っていて、ずっと退屈そうに観ていたんだけど、舞が熱を帯びるに従って彼の身体がそれこそロックみたいな感じでノリ出して、終わった瞬間に弾けるように拍手をしていた。立ち上がってブラボーと叫び出すんじゃないかという気がしたくらいだった。文化的背景が違っても、そこには確かな魔力があるのだ。

その魔力とは何だろう?

それはたぶん、死者の力ではないだろうか。
お能は自己表現ではない。そこには現代的な意味での個人はいない。誰かの仮面を被り、誰かに憑依されて舞うものである。その誰かは、必ず死者だ。匿名性の中に、僕らはこの世のものではないものを見る。それは僕らの深いところに入り込み、共通の水路のようなものを掘り当てる。そういう意味で、お能を演じる人も見る人も、ここではないどこかにいるのだ。そのような魔力こそが、お能が中世から今に至るまで滅びぬ所以なのだろう。


ということで、お能の面白さを知れたのは大きな収穫だった。
やっぱり生で見ないとこういうのは分からないものだ。
余談だけど、終わりの挨拶の時に「こういう演目は慶応にも早稲田にもありませんから(笑)」みたいな一言があって、会場が妙にウケていた。我ら同志社人の「早慶め」というちょっとした屈託が垣間見れた気がして、割に可笑しかった。


寒梅館を出たらあたりはすっかり夕闇。



街中に下って、新京極の乙羽で晩御飯。
京都の冬の定番、「蒸し寿司」をいただく。ふわふわの錦糸卵と香ばしいアナゴのきざんだんが、たまりまへんえ。こことか「ひさご」とか、京都の街場の庶民派のお寿司屋さんって、あーもう、なんでこないにしみじみおいしおすのやろ。



というわけで、充実の上洛でございました。

京都の山河は清かに守らん。