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灯りの場所まで、つなわたり。

カナダで学んだ精神、新島襄の志、内田樹先生の思想を混ぜ合わせて、新しい私塾を開こうと考えている僕が、日々思うこと。

今日は京都で異国の友達を観光案内。

彼女たちは僕がカナダにいた2012年に出会った友達で、今回はそれ以来3年ぶりの再会になる。
元々はスイス人のマガリーたちだけ会うことになっていたんだけど、うまい具合に台湾人と韓国人のカップルも来日していたので、ちょこっとだけリユニオンすることになった。

左から日本人(僕)、韓国人、台湾人、スイス人。


台湾&韓国のカップルはこのあと金閣寺に向かうので、高島屋の前でひとしきり懐かし話をして一旦解散し、僕はスイス人2人を連れおけいはんで伏見稲荷へ。

近況を話したり色々と日本の印象を聞いたりしつつ(「ねえ、なんであんなに自販機あるににゴミ箱は全然ないの?」)、まずは腹ごしらえで稲荷寿司(もう一人がベジタリアンなのでちょうど良かった)ときつねうどん。箸でうどんを食べるのがなかなか骨だったらしく、ずいぶん苦戦していて、見ているぶんには可笑しかった。どうしようもないので店員に言ってスプーンを借りた。


おなじみの千本鳥居はいかにも日本らしい神秘さで、結構気に入ったみたいだった。
「日本はすべて美しくてヘンで、ディズニーランドか何かにいるみたいな気分」なんだって。


普通に会話はできたのだけれど、ちゃんと英語で話すのが久しぶりだったのもあって、結構単語が出て来ない。しかも「ゲイシャについて教えて。どうやってなるのかとか、何をするのかとか」みたいなことを聞かれると、何と説明していいものやら困ってしまう(日本語でだって難しい)。こんなことなら『英語で案内する京都』みたいな本を買っておけば良かったかな。
でも気の利いた冗談で時々笑わせることもできたので、まあいいや。
何にしても、もっと英語を勉強しなくちゃな。

東福寺の庭もぜひ見せたかったんだけど閉門時間になってしまい、おけいはんで祇園四条へ。
祇園の花街や八坂の塔なんかを見せて、彼女たちは今晩二条でライブだか何だかに行く予定なので祇園のバス停でお別れ。またヨーロッパに僕が行ったら案内してくれると言ってくれた。
こういう異国のつながりがあるというのもいいものだ。


2人と分かれて夕暮れの京の街を散歩して、友人が働くカフェバーに顔を出してみたけれど、すでに彼は上がっていた。まあいいかとそのままグリーンサラダとランプ肉のステーキを食べて、しばらくウィルキンソンのジンジャーエールを飲みながらのんびり本を読んだ。


この店が近所にあればなあ…。一見全然違う街に見られるけれど、京都ってちょっとニューヨークっぽいところがある。なんというか、内面的に。

結構疲れてしまっていたので、そのまま大人しく高島屋でパンを買って帰った。
今まで読んできた本の中で一冊を選ぶとしたら?…と聞かれれば、僕は少し考えて、「村上春樹の『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』です」と答える。

J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』も、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も初めて読んだ時は衝撃を受けたし、太宰治の作品群も好きだし、同じ村上春樹でも『羊をめぐる冒険』など大好きな作品は他にもあるけれど、一冊だけと言われれば、やっぱり『世界の終りと~』を選ぶ。

僕はだいたい気に入っている作品は繰り返し読むタイプで、村上春樹やサリンジャーや太宰治の作品は何度も読み返している(ドストエフスキーはしんどいからまだ一回だけだけど)。特に好きなものは4、5回以上は読んでいると思う。

実は今日、『世界の終りと~』を3回目に読了したんだけど、これがやっぱりすごかった。
大袈裟に言えば、読んだあとで少し世界が違って見える。
この作品は村上春樹の作品としては大掛かりでやや異質な部類に入るので好き嫌いは分かれると思うけど、いつもの饒舌でユーモアを含んだ洗練された文体で、自我とか内閉世界とか死とか、色んなことが語られている。内容についてはここで半端に説明するより実際に読んだ方がいいと思うので語らないけれど、もし僕が「もう少しで死ぬ」ということが分かったら、まずこの本を読むだろうと思う。
自分の存在が死へ向かうことをこれほどリアリティを持って書いた小説を僕は知らない。それが空想世界の話であるにもかかわらず、だ。
高い壁に囲まれた静謐な街は僕の中にもあり、おそらくあなたの中にもある。


そう言えば、「今年も村上春樹ノーベル文学賞受賞ならず」みたいなニュースが流れてましたね。
ああいう言い方をすると、村上春樹が今年もダメだったみたいな変な感じになっちゃってるけど、たぶん本人にとってはどうでもいいことだと思う。やんや騒いでる人たちは、自分だったら賞とか金とか欲しいから他人もそうであるはず、という思い込みの前提があるんだろう。
そういう俗物の大衆があまりにも多過ぎて、村上春樹にしろ坂本龍一にしろ、本当に知的な天才たちは日本社会から距離を置いているんだろうな、と思う。


ちなみにどうでもいいことだけど、SEKAI NO OWARIというバンドはなんか好きになれない。
親しい人には公言しているけれど、僕は辛いものが苦手だ。

辛いものにもまあ、色々あるけれど特に苦手なのが赤唐辛子を使った食べ物。
同じ辛いものでもワサビやマスタードは平気、というよりむしろ好きな方に入るくらいなんだけど、キムチとかチゲ鍋とかサンラータンとか、その手の赤くて辛い食べ物はどうしても食べられない。

無理して食べると汗が滝のように吹き出して、ひどい時には腹を下してしまう。
僕にはとても韓国や四川やタイやメキシコに住めそうにない。
そういう食べ物はそもそも食べたくもないし、避けようと思えば避けて通れるからいいんだけれど、微妙なのがカレーの類い。カレーの味そのものは好きなので、時々はリスクを犯して食べたくなることもある(大袈裟だなあ)。
ただ、ありがたいことに、カレーには「甘口」という選択肢がある。
カレー味が恋しくなって汗をかきたくない時は、迷わず甘口を頼めばいい。

ところがこれには別のちょっとした問題がある。
成人男性が外で「甘口」を頼むと、なんだか「弱そう」に見えることだ。
もっと言えば、「おこちゃま」で「頼りなく」て、全然ハードボイルドじゃない。ボールを投げても飛ばなさそうだし、胸板もなんだか薄そうだ。特に女の子なんかとカレーを食べる時に「甘口で」と注文したあとで、横に辛口をもりもり食べるマッチョに座られたら、それだけでオスとして負けた気になりそうな気がする。

普段からそんな風に「辛口コンプレックス」を抱いている僕だけれど、今日仕事帰りにcoco壱番に寄ってチキンカツカレーを食べたら、周りの男たちが案外「甘口」を頼んでいて(「2甘」を頼む紳士もいた)、なんだか拍子抜けしてしまった。

意外と同士はいっぱいいるのかも知れない。
でも世の中の男性がみんな甘口を頼むようになったら、それはそれでなんかイヤですね。
勝手なようだけど。
昨日のラグビー・サモア戦、良かったですね。
僕は普段スポーツなんてまったく見ないし、野球やサッカーにあまりポジティブな感情を抱いていないのだけど、ラグビーはちゃんと見てみるとすごく面白かった。展開が分かりやすい上にエキサイティングだし、乱暴なようで紳士的なのがいい。ラグビーなら今後も見てみてもいいかなと思う(エラそうな言い方ですみません)。

さて。
今日は何もない休日だったので、明石公園を散歩してのんびり本を読んで過ごした。
秋の気持ちのいい午後に木の下でのんびり本を読むことは、人生におけるささやかな幸せのひとつだ。でもそれに適した場所というのが実はなかなか難しくて、残念なことに神戸にはあまりない。

個人的には京都の鴨川の出町から丸太町、あるいは賀茂川に分岐して北大路方面に上がったあたりにかけてがベストで、学生時代もよくそのあたりで半日本を読んで過ごした。すぐ近くにいくらもカフェがあって、帰りにそういうとこへ寄ったり、あるいはサンドイッチか何かを買っていくのも良かった。北大路だと「グリルはせがわ」の弁当、とかね。
そう言えば、カナダのビクトリアにも本を読むのにいい場所がたくさんあったな。


理想ばかり並べても仕方がないので、今日はご近所とも言える明石公園へ。
明石公園は城の見える範囲はイベントやってたりであまり落ち着かないけれど、奥の池の方までいくとのんびりできるベンチがいっぱいある。ここはなかなか悪くない。
本を読んでいるとスワンボートがかたかたと横切ったりして、結構レイドバックした気分になれる。



スワンボートもよく見てみると、微妙な雰囲気のカップルとか、父親がやたらに子どもにボートの運転アドバイスをまくしたてている家族とか、それぞれの人間模様があって面白い。


帰りに見た夕焼けがとてもきれいだった。
日が陰ると、とたんに肌寒くなる。秋も深まりつつある。

9月も今日で終わり。
朝晩肌寒く感じる日も多くなった。
今年もあと3ヶ月となると、なんだかそわそわしてしまう。
僕は10月の後半から12月、秋が深まってクリスマスや年末に転がっていくこれからの季節が好きだ。

逆に僕は9月があまり好きではなくて、どういうわけかテンションが上がらない。たぶん、アンチクライマックス感というか、夏が終わって間延びしたような日常に戻る感じがダメなんだろう。
同じように低めなのが5月の後半から6月と1月、2月で、これらの時期には精神的にもちょっと停滞気味だ。だからこういう時期をどうやり過ごすかが結構重要になってくる。
こういう時はかえって仕事をしている時の方が良くて、休日に何かするよりはむしろ、英文解釈したり生徒としゃべったりしている方が和んだりする。休日はおとなしく家でのんびりコーヒーでも飲みながら、ウディ・アレンの映画でも見て笑っているのがいい。

だいたい僕は一人っ子なので、そういうひとりの時間の過ごし方にかけてはちょっとしたエキスパートの域に達している。僕には親友と呼べる人もいるしそれなりに社交的に振る舞うこともできるけれど、そういう意味ではとても個人主義的で自己中心的な人間なのかも知れない。
「ひとりでいるときの顔が想像できない人とは仲良くなれない」というようなことを糸井重里さんがどこかで言っていたけれど、本当そうだよな、と思う。良い悪いではなく、人間のタイプとしてどっちに分類されるか、という文脈で。


なんだかとりとめのない話になった。
とりあえず、明日から10月。