年の瀬ですね。
前の記事から2週間以上空いてしまった。
仕事の方も一年で一番大事な時期に入ってきて、そういえばセンター試験も30日を切った。
推薦の結果も出て、この段階で受験終了という生徒もいれば、仕方なく一般入試にのぞむ生徒もいる。推薦は関係なく国立に向かって着々と歩みを進める生徒もいる。この調子でいけば大丈夫という生徒もいるし、お話にならないレベルなのに高望みする生徒もいる。まあ、いろいろだ。
そしてそんな彼ら彼女らの一喜一憂や日々の姿勢を見ていると、僕はまちがいなくその人生の大きな局面に関わっているんだなと実感する。かつて僕がそうであったように、彼ら彼女らは多くの人に支えられながら、新しい段階へと進もうとしている。結果はどうあれ、それは揺るぎない事実だ。
やがて彼ら彼女らは自立し、次の世代を作り出していくだろう。
そういえば生徒の一人が、僕が編集者時代に関わったとある会社の代表の娘さんだったということを、今日知った。神戸のその業界ではかなり有名なところなので、二度驚いた。
取材したりゲラを送りつけたりしていたところの娘さんを5年後に教えることになるなんて、その当時は思いもしなかった。変なものだ。彼女は春から京都の大学に行くことが決まっている。ということは、かつて僕が過ごしたあの街で、あるいは僕が行き付けていた店の常連になったりするかも知れない。そして彼女も僕と同じように色々な思い出を胸にいつかあの街を去り、そしてまた誰かが新しい希望と不安を胸にやってくるだろう。そしてその誰かはまた僕の教え子かも知れない。
同じようで二度とない、そんな不思議な繰り返しの中に身を置くことが、実はこの仕事の一番楽しいところだったりする。
すっかり寒くなった。
街を歩けば流れるクリスマスソング、目に飛び込んでくる年賀はがきやおせち予約の広告…。
11月末なのに、もう年の瀬ムード満点で、なんだかちょっと焦ってしまう。そんなに急がなくても、ねえ。と言っても、あとの一ヶ月なんて毎度のようにあっという間に終わってしまうのだろう。
ところで、眠れぬ夜にYouTubeで色々と動画を見たりしていると(そんなことするから余計に眠れなくなるんだけど)、90年代ヒットソングメドレーみたいなのが出て来て、割とのめり込んで聴いてしまった。
今から振り返ってみると、90年代後半がJ-popの最盛期だったんだなあと感じる。
というか、あの頃こそが戦後日本の最盛期だったのかも知れない。
僕はその頃まだ小学生だったけれど。
90年代後半は、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件をもって始まった。
高度成長期とバブルの狂乱を経て経済的に円熟期に入っていた日本は、ともに地面の下で起こった象徴的なカタストロフに震えながらも、素晴らしい季節の終わりを謳歌していた。
不況の中でも、まだ日本には自信があった。日本にとって「遅れた国」である中国や韓国などを意識することもなく、アジア唯一の経済大国として、アメリカのことを意識しつつも自分たちだけのことを考え、甘い憂鬱を味わう余裕を持っていた。
でもたぶん、日本はこれから何かが変わり、何かが終わろうとしていることをどこかで感じ取っていたような気がする。オカルトだと笑い飛ばしながら、ノストラダムスの大予言(1999年に世界が終わる)を半ば本気にしつつ、何かに向かって突っ走っていた。
努力は報われるはずのものであり、確かに目指すべきものは未来にあった。
未来への信頼をもとにした明るさと、同時にまとわりついてくる不安と憂鬱。
90年代後半のJ-popには、そういう時代の空気が濃厚に映し出されている。
その90年代後半が終わると、日本は否応なく新自由主義とグローバリズムの荒波に飲み込まれることになる。その意味でJ-popにとって宇多田ヒカルの登場は象徴的だったかも知れない。それと表裏一体に、オタク、ヤンキーといった内向き志向でAKBやEXILEの類いがメインストリームに躍り出ることも、やっぱり象徴的だった。そして韓流、K-popブーム。これもまた、意識さえしていなかったアジアの他国の台頭と、その後の日本の相対的な地位の低下を象徴する出来事だった。
そして、2001年9.11のテロによって、世界は決定的に変わってしまったのだった。
それ以後、そして今2015年の日本の空気というものは、みなさんご存知の通りだ。
そんな風に考えながら改めてこの頃のヒットソングを聴いてみると、なんだか泣けてきちゃいそうな気分になる。
そんな90年代象徴する曲を、独断と偏見で貼ってみます。
まずは、スピッツ『ロビンソン』。
90年代後半は、Mr.children、スピッツ、シャ乱Q、THE yellow MONKEY、ウルフルズ、少し遅れてGLAYやL’Arc~en~Cielといったバンドが次から次へヒットを飛ばしていた。それだけでもすごい時代だったなあ。その中ではMr.childrenが突出して大衆性を獲得し、今に至るまで国民的バンドとなっている。
スピッツは今では草野マサムネの変態性が薄れ日本ロックの良心みたいになっているけれど、やっぱり『ロビンソン』のキャッチーな美しさはJ-pop史上最高傑作と言っていいと思う。
それから、globeで『Can't Stop Fallin' in Love』。
90年代後半はいわゆる「小室ファミリー」の時代でもあった。当時は「こんなちゃらちゃらした音楽が時代を経て残るもんか」みたいな批判を結構されてたみたいだけど、今聴けばちゃんとあの頃の音楽として懐かしいものになっている。僕は全然このへんは聴かなかったけど、色んなところで流れてたから結構懐かしくなる。そう言えばこの間復活してたらしいテレビ「学校へ行こう」もこの頃だ。パークマンサー…。
つづいて、PUFFY『渚にまつわるエトセトラ』。
これも90年代後半の空気だなあと思う。歌い手、パフォーマーとしての女性歌手だと80年代は歌謡曲的アイドル色が全面に出ていたし、2000年代以降はモーニング娘からAKB系の流れで大人数で大衆化する。その隙間に現れたこの異色の脱力感はちょっとした奇跡であるような気がする。2000年代以降、再び処女性に群がるようなアイドル音楽が隆盛したことを考えると、世の中をいい意味でナメたようなこの二人のスタンスが惜しい。
今度は、ちょっと毛色を変えて、H Jungle with t『WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~』。
90年代はまだテレビの時代だった。ドラマもバラエティも勢いがあったし、今ではほとんどテレビを見ない僕も結構かじりついて見ていた覚えがある。お笑いで言えば、90年代後半はやっぱりダウンタウンの時代でもあった。お笑い芸人がロックスターみたいな存在になり得たのも、彼らだけではないかと思う。その時代の子となったダウンタウン浜田が、同じく時代を引っ張る小室哲哉と組んで生まれたこの曲は、90年代後半の精神が凝縮されていて、ちょっと泣ける。
同時期、ウリナリから出たポケットビスケッツや電波少年の猿岩石などもバラエティからヒット曲を出した。
このほかにも触れるべきものがいっぱいあると思うけど、個人的に90年代という時代を象徴しているなと思うのはこんなところ。
最後に、今日の記事を書きたくなったきっかけの曲を貼り付けておこう。
明るくてちょっと寂しくて、あの時代は終わったんだなあと感じてしまう曲。
JUDY AND MARY『OVER DRIVE』。
街を歩けば流れるクリスマスソング、目に飛び込んでくる年賀はがきやおせち予約の広告…。
11月末なのに、もう年の瀬ムード満点で、なんだかちょっと焦ってしまう。そんなに急がなくても、ねえ。と言っても、あとの一ヶ月なんて毎度のようにあっという間に終わってしまうのだろう。
ところで、眠れぬ夜にYouTubeで色々と動画を見たりしていると(そんなことするから余計に眠れなくなるんだけど)、90年代ヒットソングメドレーみたいなのが出て来て、割とのめり込んで聴いてしまった。
今から振り返ってみると、90年代後半がJ-popの最盛期だったんだなあと感じる。
というか、あの頃こそが戦後日本の最盛期だったのかも知れない。
僕はその頃まだ小学生だったけれど。
90年代後半は、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件をもって始まった。
高度成長期とバブルの狂乱を経て経済的に円熟期に入っていた日本は、ともに地面の下で起こった象徴的なカタストロフに震えながらも、素晴らしい季節の終わりを謳歌していた。
不況の中でも、まだ日本には自信があった。日本にとって「遅れた国」である中国や韓国などを意識することもなく、アジア唯一の経済大国として、アメリカのことを意識しつつも自分たちだけのことを考え、甘い憂鬱を味わう余裕を持っていた。
でもたぶん、日本はこれから何かが変わり、何かが終わろうとしていることをどこかで感じ取っていたような気がする。オカルトだと笑い飛ばしながら、ノストラダムスの大予言(1999年に世界が終わる)を半ば本気にしつつ、何かに向かって突っ走っていた。
努力は報われるはずのものであり、確かに目指すべきものは未来にあった。
未来への信頼をもとにした明るさと、同時にまとわりついてくる不安と憂鬱。
90年代後半のJ-popには、そういう時代の空気が濃厚に映し出されている。
その90年代後半が終わると、日本は否応なく新自由主義とグローバリズムの荒波に飲み込まれることになる。その意味でJ-popにとって宇多田ヒカルの登場は象徴的だったかも知れない。それと表裏一体に、オタク、ヤンキーといった内向き志向でAKBやEXILEの類いがメインストリームに躍り出ることも、やっぱり象徴的だった。そして韓流、K-popブーム。これもまた、意識さえしていなかったアジアの他国の台頭と、その後の日本の相対的な地位の低下を象徴する出来事だった。
そして、2001年9.11のテロによって、世界は決定的に変わってしまったのだった。
それ以後、そして今2015年の日本の空気というものは、みなさんご存知の通りだ。
そんな風に考えながら改めてこの頃のヒットソングを聴いてみると、なんだか泣けてきちゃいそうな気分になる。
そんな90年代象徴する曲を、独断と偏見で貼ってみます。
まずは、スピッツ『ロビンソン』。
90年代後半は、Mr.children、スピッツ、シャ乱Q、THE yellow MONKEY、ウルフルズ、少し遅れてGLAYやL’Arc~en~Cielといったバンドが次から次へヒットを飛ばしていた。それだけでもすごい時代だったなあ。その中ではMr.childrenが突出して大衆性を獲得し、今に至るまで国民的バンドとなっている。
スピッツは今では草野マサムネの変態性が薄れ日本ロックの良心みたいになっているけれど、やっぱり『ロビンソン』のキャッチーな美しさはJ-pop史上最高傑作と言っていいと思う。
それから、globeで『Can't Stop Fallin' in Love』。
90年代後半はいわゆる「小室ファミリー」の時代でもあった。当時は「こんなちゃらちゃらした音楽が時代を経て残るもんか」みたいな批判を結構されてたみたいだけど、今聴けばちゃんとあの頃の音楽として懐かしいものになっている。僕は全然このへんは聴かなかったけど、色んなところで流れてたから結構懐かしくなる。そう言えばこの間復活してたらしいテレビ「学校へ行こう」もこの頃だ。パークマンサー…。
つづいて、PUFFY『渚にまつわるエトセトラ』。
これも90年代後半の空気だなあと思う。歌い手、パフォーマーとしての女性歌手だと80年代は歌謡曲的アイドル色が全面に出ていたし、2000年代以降はモーニング娘からAKB系の流れで大人数で大衆化する。その隙間に現れたこの異色の脱力感はちょっとした奇跡であるような気がする。2000年代以降、再び処女性に群がるようなアイドル音楽が隆盛したことを考えると、世の中をいい意味でナメたようなこの二人のスタンスが惜しい。
今度は、ちょっと毛色を変えて、H Jungle with t『WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~』。
90年代はまだテレビの時代だった。ドラマもバラエティも勢いがあったし、今ではほとんどテレビを見ない僕も結構かじりついて見ていた覚えがある。お笑いで言えば、90年代後半はやっぱりダウンタウンの時代でもあった。お笑い芸人がロックスターみたいな存在になり得たのも、彼らだけではないかと思う。その時代の子となったダウンタウン浜田が、同じく時代を引っ張る小室哲哉と組んで生まれたこの曲は、90年代後半の精神が凝縮されていて、ちょっと泣ける。
同時期、ウリナリから出たポケットビスケッツや電波少年の猿岩石などもバラエティからヒット曲を出した。
このほかにも触れるべきものがいっぱいあると思うけど、個人的に90年代という時代を象徴しているなと思うのはこんなところ。
最後に、今日の記事を書きたくなったきっかけの曲を貼り付けておこう。
明るくてちょっと寂しくて、あの時代は終わったんだなあと感じてしまう曲。
JUDY AND MARY『OVER DRIVE』。
11月ももう20日。
なんだか今年は特に早く過ぎるような気がする。
このところパリのテロからのトリコロールに関する応酬合戦や何やかやで、結構うんざりしてしまった。こういうのって見ていても参加しても、あまり心温まるものではない。それでfacebookにもちょっと距離を置こうかな、なんて思ったり。
ところで、入試の季節が近づいてきた。
今はちょうど大学の公募推薦の時期で、教え子も何人か戦っている。
中には第一志望がもはや敗戦濃厚という生徒もいる。
でも思うのだけれど、努力した結果の第二志望なら、それはそれで何も落ち込むことはない。
ここまで来るとあとは運と縁みたいなもので、そこに「呼ばれた」と思ってやっていく方が前向きだし、人生にとってはそれが正解だったということも大いにある。
実は僕も大学は第一志望には受からなかったくちだ。
僕は高校の頃早稲田の第一文学部(今は文学部に統合されてしまったけど)にすごく憧れていて、大学はそれしかないと思っていたし、頑張ればきっと受かるものだと信じていた。
でも現役では強気に滑り止めも受けず、落ちて浪人することになった。
二年目に早稲田以外で受ける学校には特に悩まなかった。
数学が嫌いな上に地方の国立に魅力を感じなかった(帝大なんてとても無理だし)から、受けるのは早稲田ほどは難しくない私学ということになる。東京ではいわゆるMARCHのトップ、明治と立教を受けた。早稲田で東京に行くつもりだったので、関西ではこだわりもなく一番偏差値が高い同志社を選んだ。
結果は、同志社、明治、立教は受かって、早稲田だけがダメだった。
明治も立教もそれぞれに良かったのだけれど、明治に行けば早稲田を意識してしまいそうだし、立教に関しては池袋の街がどうしても好きになれなかった(すみません)。それで、入試の時期にはなんとなく同志社の校風に魅力を感じていたこともあって、結局僕は同志社に行くことになった。正直言って、京都の大学に行くことになるなんて思いもしなかったのだけど。
でも、この選択は僕にとって正解だったと思う。結果論かも知れないけれど、京都の街で学生生活を送れたことや、その間にあった様々な出会いは僕の一生の宝物となっている。そしてこれも結果論かも知れないけれど、僕には同志社の学風が一番ぴったりくる。「ほかの大学に行っていたら」という仮定が成立する余地のないくらい、それは僕にとって必然的なものになっている。そして、僕に誇りと夢を与えてくれた新島襄という師を発見できたことも、僕の人生にとって大きな意味を持つ。
長々と書いたけれど僕が言いたいのは、人はどうしたって縁があるところに行くことになるものだから、短期的に見て「失敗だった」なんて思わない方がいいよ、ということ。
あなたの行くことになるところが、あなたの行くべきところなのです。
その先には必ず、あなたの人生を動かす出会いが待っているはずだ。
なんだか今年は特に早く過ぎるような気がする。
このところパリのテロからのトリコロールに関する応酬合戦や何やかやで、結構うんざりしてしまった。こういうのって見ていても参加しても、あまり心温まるものではない。それでfacebookにもちょっと距離を置こうかな、なんて思ったり。
ところで、入試の季節が近づいてきた。
今はちょうど大学の公募推薦の時期で、教え子も何人か戦っている。
中には第一志望がもはや敗戦濃厚という生徒もいる。
でも思うのだけれど、努力した結果の第二志望なら、それはそれで何も落ち込むことはない。
ここまで来るとあとは運と縁みたいなもので、そこに「呼ばれた」と思ってやっていく方が前向きだし、人生にとってはそれが正解だったということも大いにある。
実は僕も大学は第一志望には受からなかったくちだ。
僕は高校の頃早稲田の第一文学部(今は文学部に統合されてしまったけど)にすごく憧れていて、大学はそれしかないと思っていたし、頑張ればきっと受かるものだと信じていた。
でも現役では強気に滑り止めも受けず、落ちて浪人することになった。
二年目に早稲田以外で受ける学校には特に悩まなかった。
数学が嫌いな上に地方の国立に魅力を感じなかった(帝大なんてとても無理だし)から、受けるのは早稲田ほどは難しくない私学ということになる。東京ではいわゆるMARCHのトップ、明治と立教を受けた。早稲田で東京に行くつもりだったので、関西ではこだわりもなく一番偏差値が高い同志社を選んだ。
結果は、同志社、明治、立教は受かって、早稲田だけがダメだった。
明治も立教もそれぞれに良かったのだけれど、明治に行けば早稲田を意識してしまいそうだし、立教に関しては池袋の街がどうしても好きになれなかった(すみません)。それで、入試の時期にはなんとなく同志社の校風に魅力を感じていたこともあって、結局僕は同志社に行くことになった。正直言って、京都の大学に行くことになるなんて思いもしなかったのだけど。
でも、この選択は僕にとって正解だったと思う。結果論かも知れないけれど、京都の街で学生生活を送れたことや、その間にあった様々な出会いは僕の一生の宝物となっている。そしてこれも結果論かも知れないけれど、僕には同志社の学風が一番ぴったりくる。「ほかの大学に行っていたら」という仮定が成立する余地のないくらい、それは僕にとって必然的なものになっている。そして、僕に誇りと夢を与えてくれた新島襄という師を発見できたことも、僕の人生にとって大きな意味を持つ。
長々と書いたけれど僕が言いたいのは、人はどうしたって縁があるところに行くことになるものだから、短期的に見て「失敗だった」なんて思わない方がいいよ、ということ。
あなたの行くことになるところが、あなたの行くべきところなのです。
その先には必ず、あなたの人生を動かす出会いが待っているはずだ。
Facebookを利用している方はご存知だろうけれど、パリのテロのあとトリコロールがちょっとした論争の種になった。
犠牲者を悼む意図で、Facebookのプロフィールにフランス国旗を重ねるサービスが提供されたことがことの発端だ。悲劇のあとの連帯を表明しようとする人々の間でこれが急速に広まり、それに伴って「フランスを悼んで中東の人々の死は無視するのか」というような批判が噴出した。
僕はこのところ内藤正典さんの本を読んだり、神戸モスクで実際にムスリムに話を聞いたりして勉強していたところなので、気持ちとしてはトリコロールサービスに否定的だ。
だからFacebookにどんどんトリコロールが増えて行くことに、なんとなく違和感を抱いていた。
でも同時に、普段好意的に思っている人たちと、そのことが原因で嫌な感じになりたくないとも思っていた。僕はとにかく喧嘩というものが苦手なのだ。
どちらの気持ちも分かる。
日常を襲った理不尽な暴力に対しきっぱりとプロテストし、犠牲者たちを悼む気持ちは人としてまっとうだし、同時にパリだけでなく中東では多くの人々がその種の暴力に晒されているわけだから、パリの側に臆面もなく立つことに偽善を感じるのも真実だ。
でもはっきり言って、きちんと考えてのことなら、フランス国旗を掲げようが否定しようが、どっちでも構わないと思う。「こう思うからこうしたのだ」ときちんと語れるなら信頼できるし、そうやって話し合うことで世界をより良い方向に向かわせることができるはずだ。
もう一度自分でよおうく考えてみると、僕が最も違和感を抱いたのは、何も考えずファッション感覚でトリコロールを採用し、批判が多くなった途端にもとに戻した人たちに対してだ。
そういう彼らの多くからは、これまで一度も、彼らの描く理想の世界や問題意識を聞かせてもらったことがない。彼らは本当にパリの人たちを悼んでフランス国旗を掲げたのだろうか? もしそうだとしたら、なぜすぐにそれをやめたのか。そんな風にポップに追悼をやってみたりやめてみたりというのは、犠牲者に対して非礼すぎるのではないか。ひどい言い方になるかも知れないけれど、例えば70年前、軍国主義に異を唱えず率先してそれを押し進めておきながら、終戦後にあっさりと「これからは民主主義だ」と標榜していたのは、こういうタイプの大衆だろうと思う。僕はこういう人たちに対してどうしても肯定的な感情を抱くことができない。
オルテガの言う、こんな「大衆」で構成される日本は「空気」というもので世の中の流れがどうにでも変わっていってしまう。空気はこの国では正義や良心よりも力を持つ。今回のことで改めて日本人のそういう怖い一面を見た気がして、僕はどうにも気が滅入ってしまったのだ。
ーー補足ーー
トリコロールサービスそのものについて。
Facebookの運営側は、パリの犠牲者を追悼するツールとしてトリコロールを使ってしまったのが、そもそもの間違いだったと思う。トリコロールはもちろんパリの人々の象徴ともなり得るけれど、それ以前にフランスという国家の象徴だ。そして重要なことは、そのフランスという国家は中東を分断し混乱に陥れた西欧列強の主要なメンバーであり、また現在空爆を行っている主体でもあるからだ。
パリの犠牲者たちは、言うなればそのトリコロールが象徴するものによってテロリストの標的となったわけだから、彼らの死を悼む時にそれを使うことはなんだかねじれているような気がしてくる。そしてそのフランスという国家を象徴するものを世界中の人々が掲げることで、またイスラーム世界の人々は疎外され敵視されているように感じるのではないか。フランスという国家に正義があり、我々の死は彼らにとっては意味のないものなのだ、と。
そういう側面を考えると、パリの人たちを追悼し連帯を表明するなら、例えばエッフェル塔のシルエットにpray for Parisとでも書いて、プロフィールの右下にでもくっつけられるようなデザインにしたら良かったんじゃないかな、と思う。僕もそういうのだったらやりたかったな、なんて思うんだけど、どうでしょう?
犠牲者を悼む意図で、Facebookのプロフィールにフランス国旗を重ねるサービスが提供されたことがことの発端だ。悲劇のあとの連帯を表明しようとする人々の間でこれが急速に広まり、それに伴って「フランスを悼んで中東の人々の死は無視するのか」というような批判が噴出した。
僕はこのところ内藤正典さんの本を読んだり、神戸モスクで実際にムスリムに話を聞いたりして勉強していたところなので、気持ちとしてはトリコロールサービスに否定的だ。
だからFacebookにどんどんトリコロールが増えて行くことに、なんとなく違和感を抱いていた。
でも同時に、普段好意的に思っている人たちと、そのことが原因で嫌な感じになりたくないとも思っていた。僕はとにかく喧嘩というものが苦手なのだ。
どちらの気持ちも分かる。
日常を襲った理不尽な暴力に対しきっぱりとプロテストし、犠牲者たちを悼む気持ちは人としてまっとうだし、同時にパリだけでなく中東では多くの人々がその種の暴力に晒されているわけだから、パリの側に臆面もなく立つことに偽善を感じるのも真実だ。
でもはっきり言って、きちんと考えてのことなら、フランス国旗を掲げようが否定しようが、どっちでも構わないと思う。「こう思うからこうしたのだ」ときちんと語れるなら信頼できるし、そうやって話し合うことで世界をより良い方向に向かわせることができるはずだ。
もう一度自分でよおうく考えてみると、僕が最も違和感を抱いたのは、何も考えずファッション感覚でトリコロールを採用し、批判が多くなった途端にもとに戻した人たちに対してだ。
そういう彼らの多くからは、これまで一度も、彼らの描く理想の世界や問題意識を聞かせてもらったことがない。彼らは本当にパリの人たちを悼んでフランス国旗を掲げたのだろうか? もしそうだとしたら、なぜすぐにそれをやめたのか。そんな風にポップに追悼をやってみたりやめてみたりというのは、犠牲者に対して非礼すぎるのではないか。ひどい言い方になるかも知れないけれど、例えば70年前、軍国主義に異を唱えず率先してそれを押し進めておきながら、終戦後にあっさりと「これからは民主主義だ」と標榜していたのは、こういうタイプの大衆だろうと思う。僕はこういう人たちに対してどうしても肯定的な感情を抱くことができない。
オルテガの言う、こんな「大衆」で構成される日本は「空気」というもので世の中の流れがどうにでも変わっていってしまう。空気はこの国では正義や良心よりも力を持つ。今回のことで改めて日本人のそういう怖い一面を見た気がして、僕はどうにも気が滅入ってしまったのだ。
ーー補足ーー
トリコロールサービスそのものについて。
Facebookの運営側は、パリの犠牲者を追悼するツールとしてトリコロールを使ってしまったのが、そもそもの間違いだったと思う。トリコロールはもちろんパリの人々の象徴ともなり得るけれど、それ以前にフランスという国家の象徴だ。そして重要なことは、そのフランスという国家は中東を分断し混乱に陥れた西欧列強の主要なメンバーであり、また現在空爆を行っている主体でもあるからだ。
パリの犠牲者たちは、言うなればそのトリコロールが象徴するものによってテロリストの標的となったわけだから、彼らの死を悼む時にそれを使うことはなんだかねじれているような気がしてくる。そしてそのフランスという国家を象徴するものを世界中の人々が掲げることで、またイスラーム世界の人々は疎外され敵視されているように感じるのではないか。フランスという国家に正義があり、我々の死は彼らにとっては意味のないものなのだ、と。
そういう側面を考えると、パリの人たちを追悼し連帯を表明するなら、例えばエッフェル塔のシルエットにpray for Parisとでも書いて、プロフィールの右下にでもくっつけられるようなデザインにしたら良かったんじゃないかな、と思う。僕もそういうのだったらやりたかったな、なんて思うんだけど、どうでしょう?
パリで起こったテロの意味は、時間が経つにつれて大きくなっている。
このような暴力的な殺戮は、いつも市井の人々の上に降り注ぐ。
テロ、テロと突発的な事件のようにとらえがちだけれど、これはもはや戦争だ。
パリの人たちに対しテロリストが行ったことと、例えば太平洋戦争中に米軍が日本の都市を焼き払ったこと、あるいは日本軍が大陸でやったこととの間に、一体どれほどの違いがあるだろう?
国家が組織的に行ったこと、特殊な集団が行ったことという違いがあるにせよ、殺され傷付けられるのは何の関係もない一般人ばかりだ。彼らがあんな風に殺されなければならない理由はどこにもない。それは何の意味もない死だ。そしてそれが僕やあなたではなかったということに、どれほどの必然性があるだろう?
パリで殺された人たちのことを考える時、僕らは同時にガザやバグダードやシリアの町で空爆され意味もなく殺された人々のことも思い出さなければならない。こんな言い方は誤解を招くかも知れないけれど、アメリカや西欧やロシアが中東地域で行ってきたことが現在の世界の様々な困難を引き起こしているわけで、今回の事件もその流れの中にある。パリの人たちの死だけが世界中で悼まれ連帯され、ベイルートやバグダードのテロで死んだ人たちをそれほど重んじていない今の状況に、何か釈然としないものを僕は感じてしまう。これが世界のフェアネスなんだろうか?
憎しみは連鎖する。空爆で家族を失った人が憎しみからテロリズムに走り、またそのテロで家族を失った人が憎しみから報復に加担する。そして憎悪は癌細胞のように増殖し世界を覆っていく。
この連鎖を断ち切り、僕らはよりましな世界を次の代に渡せるのだろうか?
戦争や暴力にコミットせずに、どのように人々の安全な暮らしを守ることが可能なのだろうか?
僕らは頭を使わなければならない。
2015年の僕らは、歴史に試されているのだ。
このような暴力的な殺戮は、いつも市井の人々の上に降り注ぐ。
テロ、テロと突発的な事件のようにとらえがちだけれど、これはもはや戦争だ。
パリの人たちに対しテロリストが行ったことと、例えば太平洋戦争中に米軍が日本の都市を焼き払ったこと、あるいは日本軍が大陸でやったこととの間に、一体どれほどの違いがあるだろう?
国家が組織的に行ったこと、特殊な集団が行ったことという違いがあるにせよ、殺され傷付けられるのは何の関係もない一般人ばかりだ。彼らがあんな風に殺されなければならない理由はどこにもない。それは何の意味もない死だ。そしてそれが僕やあなたではなかったということに、どれほどの必然性があるだろう?
パリで殺された人たちのことを考える時、僕らは同時にガザやバグダードやシリアの町で空爆され意味もなく殺された人々のことも思い出さなければならない。こんな言い方は誤解を招くかも知れないけれど、アメリカや西欧やロシアが中東地域で行ってきたことが現在の世界の様々な困難を引き起こしているわけで、今回の事件もその流れの中にある。パリの人たちの死だけが世界中で悼まれ連帯され、ベイルートやバグダードのテロで死んだ人たちをそれほど重んじていない今の状況に、何か釈然としないものを僕は感じてしまう。これが世界のフェアネスなんだろうか?
憎しみは連鎖する。空爆で家族を失った人が憎しみからテロリズムに走り、またそのテロで家族を失った人が憎しみから報復に加担する。そして憎悪は癌細胞のように増殖し世界を覆っていく。
この連鎖を断ち切り、僕らはよりましな世界を次の代に渡せるのだろうか?
戦争や暴力にコミットせずに、どのように人々の安全な暮らしを守ることが可能なのだろうか?
僕らは頭を使わなければならない。
2015年の僕らは、歴史に試されているのだ。