人類誕生の歴史
【ホモサピエンス誕生】
現代人の祖先・ホモサピエンスは、およそ20万年前にアフリカで誕生した、と推定されている。
そして、6万年前ごろからアフリカから長い道のりを経て世界中に移動していった。
そのころ、欧州地域に住んでいたネアンデルタール人と接触があったのだろうか?
ネアンデルタール人は、ホモサピエンスより、強靭な肉体を有していた。
狩猟を得意としていたであろう。
南から移動してきたホモサピエンスは、ネアンデルタール人より少し小柄で弱々しそうだったが、似たような体形と似たような生活をする者同士が、交わりをもったと推定するのは自然ではないか。(多くの現代人のDNAにネアンデルタール人の痕跡が残されている。ただ、母系遺伝のミトコンドリアDNAには残っていない模様。)
その交雑により欧州(白人)系のルーツが誕生したのではないか。(欧州系民族は、アジア系の民族より強靭な体形をしている故に、そのように連想してしまう。)
ネアンデルタール人が滅亡し、ホモサピエンスが繫栄したのはなぜか?
ホモサピエンスは、家族単位を超越した大集団生活をし、情報を共有・蓄積し、さまざまな改良や発展を成し遂げ、優位に立ってきたという説がある。
また、ホモサピエンスは繁殖能力が高く、多くの子孫を産んできた(多産)という説がある。
ネアンデルタール人は、それらの点で劣っており競争に負けた、あるいは気候変動や感染症の影響があったのではないかとも推定されている。
――ネアンデルタール人が、チベットの奥地で生存していたとして描かれた小説(フィクション)があり、引き込まれるように読んだときは、生々しく感じた。
【人類の長距離移動、世界への広がり】
ヒト(ホモサピエンス)は、移動を繰り返し環境の変化に適応しながら、さまざまな人種や民族が枝分かれしていった。長距離を、しかも気温や環境の厳しい地域へも移動した。
何がそうさせたのか?
食べ物を求め、逃亡し、あるいは強い好奇心がそうさせたのではないか、と推定される。
ヒトほど世界中に広く住む動物は他にいないのではないか。環境に適応する優れた能力があることを歴史が教えてくれている。
――近ごろの世界情勢に思いを馳せながら、このころは、国境がなく、国境を跨ぐ争いごともなかったのだ、としみじみ思う。
日本のあけぼの【日本人の起源】
日本には数万年前の旧石器時代に大陸から人が移住してきたらしい。
ヒトの大移動の奇跡は、ミトコンドリアDNA(mDNA)で辿れるという。
mDNAは、細胞核のDNAと異なり、細胞内にあるミトコンドリアの中に存在し、母親によって遺伝する(父親には無関係)。それが、大移動する間に変異するため、mDNAを調べれば、どのように大移動したか判別できるという。
我々日本人のルーツは、アフリカを出て東へ移動してやってきた、モンゴロイドだ。
再度、東へ移動するグループと南(オーストラリアなど)へ移動するグループに分かれる。両者はmDNAが異なる。
尚、アメリカ大陸のアンデスの人々には、モンゴロイドの特徴が見られるそうだ。
【日本人は、単一民族か?】
日本列島はおよそ二千万年前に大陸から切り離され始めた。
1~2万年前まで部分的に大陸と陸続きであったとされている。
当初、日本海(当時は湖)を挟んで北も南も大陸と繋がっていたため、ヒトは両方向から日本列島に移動してきた。
縄文時代には、縄文人が住んでいた。
弥生時代に、さらに大陸から移動してきて血が混じり合ったという。つまり、日本人は、単一民族ではなく、混合民族だということが、mDNAによってわかってきた。
縄文時代(紀元前一万二、三千年~紀元前三百年頃)は、狩猟採集生活が営まれていた。小規模の血縁集団で移動しながら生活していたと想われる。
世界では、四大文明が栄えていた頃である。その文明が、徐々に日本に流入し、新たな展開が繰り広げられる。
弥生時代(紀元前十世紀頃~三世紀)には、大陸から別の民族が入り、縄文人と混血し弥生人が誕生していく。
ヒトの移動に伴い水稲耕作が伝えられ、農耕生活が始まった。
定住生活はさまざまな変化を生んでいく。蓄財が可能になり貧富の差が生じ、大きくなった集団の縄張り争いが激しくなる。文化も発展する。
青銅器や鉄器が、農耕や武器として使用され始めた。製品や原材料が朝鮮半島から対馬や壱岐の島々を通って九州北部に入ってきた。九州に青銅器や鉄器の出土が多いので頷ける。
【邪馬台国】
弥生時代後期に誕生した邪馬台国は、239年に女王・卑弥呼が中国・魏に使者を派遣したことが魏志倭人伝に記録されている。
朝鮮半島を通じて交易が行われ、やがて国と国の交わりに発展していった。魏からも翌年使者が派遣され、渡航ルートの記録があるが、訪問地は明白でない。交流がかなり頻繁に(1~3年間隔で)行われていたようだ。
この時代は、小国間の争いが激しく、天変地異も多かったであろう。そんな中で、争いを避け五穀豊穣を祈願することは大事なイベントであったのではないか。小国が連合して卑弥呼を王に祀り上げたとされる。が、卑弥呼は神事を司り、政治は弟が補佐したと記されており、卑弥呼は巫女として祭りごとを取り仕切っていたという説が尤もと思われる。
邪馬台国がどこに存在したかの大論争が延々と続き、止まない。
畿内説と九州説の論争および発掘調査などによる事実解明は、大変興味深く、関心を寄せている。
【瀬戸内海に遺された跡~淡路島~】
淡路島の五斗長垣内遺跡:弥生後期に萱葺式住居で鉄器がここで製作されていた。
邪馬台国と時が重なる。
外部から購入した鉄原料を熱して加工していた。原料は朝鮮半島から入ってきた模様。
島では、銅鐸・銅剣、中国製銅鏡、近畿初の鉄製ヤス・釣針の出土もある。
海の民の活躍が目に浮ぶ。また、伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られている神社が島内にあり、日本発祥期の地の一つであることが窺がえる。
今回は、「日本のあけぼの」「日本人のルーツ」について書きましたが、これまで、海の起源、瀬戸内海誕生、地球生命誕生について、それぞれ3月1日、9月9日、10月7日に書いてきました。関連する点もあるので、合わせて読んでみてください。