元気だから連投しちゃう!

 

先週の土曜日12月17日に、埼玉県ときがわ町の萩日吉神社で3年ごとに行われる神事「流鏑馬」をみてきました。

「善霊鎮国家」と書いてある?なんだか日蓮聖人が思い浮かびますねぇ。かつて神仏習合時は「山王権現」祀っていたそうなので仏教の教えもあるのはわかります。明治元年、神仏分離で萩日吉(はぎひよし)神社となったそうで…ふむ。まぁ、そもそも読みがあっているかどうかもわかりませんけど(笑)

 

3年に一度の神事です。朝まとう(10時ころ)と夕まとう(15時ころ)を見学できるのですが、神事そのものは早朝から。矢とりっ子と呼ばれる馬子はこの馬場まで装束を着て集落から歩いてやってくるのだとか。すごいね。

 

お二人の神主さんが馬場を清めます。

今回の射手はお一人が女性でした。かっこいいな~照れ

ここ萩日吉神社は、欽明天皇の御代に創建されたと伝えられています。流鏑馬は木曽義仲の家臣七氏が始めたとされていますから、…長い歴史ですねぇ馬

 

特設馬場から境内に登ると狛犬ならぬ「神猿」がお出迎えしてくれます。左にはおっぱいをあげている母猿。(向こうの紅白幕は神楽舞台です。この日は小神楽が奉納されました。)

右には父猿、でしょうか。口をつぐんで吽形になっています。

陰陽五行説で馬は火、猿は水の属性を持つと言われますから、馬を暴走させず健康を守るという意味がありそうです。しかも今年は丙午ですから、炎と水タラーを、うまく制御していきたいものですね。

 

大役を果たし、馬場から離れて休息中のおうまさん。こっちを向いてくれました。

4月29日には先ほどの神楽舞台で、「太太神楽(だいだいかぐら)」が奉納されます。ワタシ、これ、観に行くことにしてます。晴れるといいなぁ。もう今から楽しみ照れ

 

 

宇佐神宮お参り中、ずっと考えてたことは

 (高木彬光の小説ではここが邪馬台国って比定してたなぁ。石棺が見つかったことがあったんだってね。それはホントなんだって。どの辺なんだろう?もしかして親魏倭王の金印とか出ちゃってたりしないのかなぁ…)

 (和気清麻呂はどうして宇佐神宮に来たんだっけ?伊勢ではなく?神武天皇をウサツヒコが歓待したことが関係してるの?)…などなど。

でも考えてただけで、なんだか『よくわかんないけど不思議で魅力的』っていうのが楽しい。ぼんやりと不思議にひたる旅でございました。

 

ひと回り境内をめぐって、↑上記の答のない「?」を楽しみながら宇佐神宮境内のすぐお隣の『柱一騰宮(あしひとつあがりのみや)』跡を探してみました。

 

宇佐神宮の西となり、呉橋のそばの高台にありました。

宇佐神宮のHPにはこの一柱騰宮は紹介されていません。そのとなりの弥勒寺跡は載っています。神宮とはまた異なる経緯があるのでしょう。

それにしてもどうしてこれがそう読むのでしょう?製鉄と関係してるの?

一柱騰宮跡(あしひとつあがりのみやあと):子の高台一帯を騰隈といいます 「日本書紀」には神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと;神武天皇)が御東征のおり 日向を発たれ椎根津彦命(しいねつひこのみこと)の水先案内で豊後須藤の難所を通り抜けて宇佐に上陸され このとき宇佐国造の祖である菟狭津彦命(うさつひこのみこと)と菟狭津媛命(うさつひめのみこと)が天皇一行をこの騰隈の地でお出迎えになり一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を建て饗(みあえ;ご馳走)を奉ったとしるされています また神武天皇上陸の地と伝えられる和気の柁鼻(かじはな)神社には文無天皇とその兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を 大尾山の東側大地の椎ノ宮の椎根津彦神社には椎根津彦をお祀りしています

 

…とありますが、神武天皇上陸の地として、ここは推定地の一つで、他には宇佐市拝田の鷹栖観音周辺説、宇佐市安心院町妻垣神社説などに石碑や案内板があるそうです。拝田が有力、かなぁ…。

 

呉橋も見ましたよ。まずは鉄鳥居の沓石を。鳥居の礎石の部分です。戦争中の金属類回収令で供出され、今はこの礎石だけが残っています。

あっちとこっちに対になっています。

この間の参道は奈良時代以来勅使(天皇の使者)が使った道なので勅使街道を呼ばれていたそう。今は、こんな感じ。勅使になった気持ちでいざまいらん。

鳥居の向こうに見える破風のついた建造物、あれが呉橋です。今は渡れません。なんでも呉の国の人が建てたことに由来しているそう。呉、って三国志の「魏・呉・蜀」の、あの孫権とか周瑜で有名な呉、ですよね?海を越えてずいぶん人の行き来があったんですねぇ…。

下流側から眺めるとこんな感じです。

先ほどの「柱一騰宮跡」は、この橋の写真でいうと左側の奥にあります。なんだかジブリ映画『千と千尋の神隠し』を思い起こさせる風景ではないですか。…いや、待てよ?逆か。千と千尋がこういう風景に寄せているんだっけ。

 

また境内に戻り、宝物館が開くのを待って見学させていただきました。こちらは内部は撮影禁止なのでお池「初澤池」を。ここは奈良の猿澤池、京都の広澤池と並ぶ日本三沢として有名。初夏には蓮が咲くそうです。ここは神社というより「寺院」ですね。

雪がひどくなってきました。寒かったなぁ。あちこち、うろうろ、キョロキョロ歩き回っている私は、さぞかし神様方には不審で胡乱な客だったことでしょう。いやいや、飛行機の時間も迫っているし、雪というよりもう吹雪だし、焦って歩いてごめんなさいという気持ちでした。

 

またもっとゆっくり、伺いたいものです。

(昔お世話になった保育園の先生に「和気」姓の方がいました。男性だったので、私はこっそり尊敬をもって「清麻呂先生」と呼んでいたことを告白します。)

 

旅の予定、最終日は宇佐へ。宇佐八幡神託事件の宇佐神宮ですね~。この事件、不思議ですよね、道鏡が天皇位を狙って、その是非について和気清麻呂が宇佐八幡に伺いをたて真の神託を得る…という事件。宇佐神宮が、天皇家にとってもっとも高位の社だったということじゃぁないですか?高校時代から、「どうして宇佐なんだろう?」「伊勢神宮じゃなくて?」とずっとずっと思っておりました。

 

特に高木彬光氏の神津恭介シリーズ『邪馬台国の秘密』では、宇佐神宮を邪馬台国中心地として比定していましたねっ!

 

さぁ!まいりましょう!!

こちらは駐車場の鳥居。

 

御由緒はゆっくり読む派です。

 

寄藻(よりも)川を渡って、向こう岸の神宮にお邪魔します。川を渡る、のか…

寄藻川は場所によって名前が変わります。この橋は「神橋」ですが、神橋から下流(写真に写っている方角)は「浅瀬川」、上流の呉橋までの部分を「月瀬川」、呉橋から上流は寄藻川、あるいは呉橋川といいます。「寄藻川」はその総称だそうですよ。面白い!!

なんだか結界めいた強さを感じる鳥居の立ち姿ですねぇ…

宇佐神宮の鳥居には額束(がくつか:鳥居の水平な笠木と島木の間の中央に垂直に立てる柱。神社の名前などを掲げる装飾的な意味もあります。)がありません。宇佐鳥居と呼ばれるそうです。ホントだ、どうしてなんだろ…。

 

まずは菱形池と呼ばれる池(心字池じゃないんですね)の奥の「御霊水」を見に行きます。

雪が降り始めました。寒くて静か。この朱い橋は島のお堂に掛けられています。池の中にゴイサギがいます、横目で私をじっと観察しているようでした。

ここまで来る人は少ないみたいです。独り占めでした。

「欽明天皇32(571)辛卯、八幡大明神、筑紫に顕れたまふ…」

この御霊水の最奥にある八角形の影向石(ようごうせき)には、八幡大神が神馬に召され天翔けられた時の馬蹄の跡が残されている、ともあります。日本中の「はちまんさま」と呼ばれる神社の総本宮の、さらに一番初めの場所ですな。

タイトルにした「神と仏が…」はこの案内板からいただきました。

奈良時代に南九州の隼人(はやと)や東北の蝦夷(えみし)と呼ばれた人々が、律令制度に与せず抵抗したことが様々な資料からわかっています。まぁ、そりゃそうですよね~その土地で自分達の文化を守って生活していたのに、中央の権力者に唐突に傘下に下れと言われても従えないですよ。特に大きな戦乱としては、8世紀の「隼人の反乱(720~721)」。これを鎮めるためにここ「宇佐の八幡神」が神輿に担がれ、宇佐の人々も戦いに参加したそうです。その後、隼人の戦いでの殺生を悔いた八幡神が仏教に救いを求めた、ということが神と仏の出会い、とされているようです。

 

隼人の反乱鎮圧後、弥勒寺が移され金堂や講堂が建立されるなど神仏習合はどんどん進みます。これは時の聖武天皇(ご在位724~749年)の力添えが大きかったようです。でしょうね~、本来日本古来の神の系譜であられる天皇が仏の道を信仰されていたわけですからね。日本独自の考え方がここに定着していったわけですな。

 

こちら↓が弥勒寺跡といわれる史跡。

今は礎石しか残っていません。

 

上宮(じょうぐう)は建造物も立派ですが、この古木との対比がよかったなぁ。

 

こちら↓は下宮(げぐう)。

「下宮参らにゃ片参り」と言われるそうですが大丈夫、参拝者の動線は出来上がっています。自然とお参りできるようになってます。上宮は国家の神、下宮は庶民の神、だそうですよ。でも祀られているのはどちらの宮も「八幡大神」「比売大神」「神功皇后」の三柱なんですね~。

 

…ちょっと文字数が多くなったので、前半終了。

以下次号!…ってことでウインク

 

 

 

あ、そうそう。こちら、宇佐神宮は一般的な二拝二拍手一拝ではなく「二拝四拍手一拝」です。「し」はくしゅ、出雲大社と同じですね…。

(ちなみに二礼とも言いますが、拝と礼はお辞儀の角度が違います。拝の方がより丁寧なのでここでは「拝」と表記しました。)