先週、浅間山周辺ふらっとドライブに行って、鎌原観音堂の見学を記事にしましたが、その資料館で展示されていた本のご紹介です。

気になって図書館で借りて読みました。…いくつかの場面、登場人物と一緒に泣きましたえーん

 

『火山に馳す 浅間大変秘抄』

作者の赤神諒さんは作家であると同時に弁護士さんでもあります。ご専門が行政法、環境法だそうで、なるほど、この物語では天明の大噴火で引き起こされた様々な社会問題に立ち向かった人々の様子を、温かくたくましく描いていました。

 

先日、資料館で見た「観音堂の階段でみつかった二人の女性」は、登場人物の一人・鎌原村の音五郎の妻と彼の母、という設定で描かれています。

 

天明3(1783)年の浅間山大噴火で甚大な被害に遭った鎌原村の住民と、幕府から派遣された勘定吟味役・根岸九郎左衛門が、絶望から立ち直り村を再建する様子を描いています。

その立ち直りには、隣村の名主の尽力があって実現しました。また、吟味役・根岸の命を懸けた奔走と、それに呼応した幕府重鎮の英断が不可欠でした。熊本藩を再興させ名君と呼ばれる熊本藩主・細川重賢(しげかた)、時の老中・田沼意次が、根岸のつなぐ村人の思いに応えます。結局、人なのよね!

 

物語は、想像を超えた困難を乗り越えていく、まさに苦難の道を描いていますが、最終場面で、希望に光がさす形で終わります。よかった…幸せになるんだよ…

 

とてもよい本に出会いました本

映像化も期待したいところです。

 

 

『耳袋』という不思議な物語集は知っていましたが、その作者が、根岸九郎左衛門なんだそう!知らなかった~!

 「根岸鎮衛(やすもり)」は根岸九郎左衛門のこと。

鎮める+衛(まもる)だなんて、名体不二(みょうたいふに:名は体を表す)だなぁ…

 

図書館員さんに探してもらったのですが現代語訳の文庫がみつからず…。でも読めそうなので借りてきました。天明版、世にも不思議ななんとやらですね。

 

本じゃないけど、本棚書庫に投下しましょう!

 

X(Twitter)でも呟きましたが、えのころ工房さん(えのころ工房のホームページ) の作画されたマグカップ「ホームズ&ワトソン ベイカー街」が届きました!

わーパチパチパチ!

あ、後ろの缶は鎌倉の「BAM鎌倉」さんで購入した紅茶ですけど(;^ω^)

 

箱に「われもの注意」ってシールが貼ってありますが、これもえのころさんの作品です。おまけに一枚新品もついていました。私のは「ガソジーン」ですね。

  

なるほど、ホームズ譚の中で出てくる「拡大鏡」「ナポレオン像」!たしかに割れ物。取り扱い注意ですね。(ナポレオン像はホームズが壊して事件解決しましたが(笑))

 

拡大鏡:『緋色の研究』『四つの署名』『バスカヴィル家の犬』『花婿の正体』

ガソジーン:『ボヘミアの醜聞』『マスグレーヴ家の儀式』

ナポレオン像:『6つのナポレオン』

…に出てきますね!(調べた)

私の食器棚には、ホームズ三部作(勝手に作った)が並びました。

左:えのころ工房さんの「ホームズ&ワトソン 『ベイカー街』」

中:学生時代にロンドンのベイカー街駅のパブ『Moriaty’s』で購入したマグカップ

(今は閉店してしまったそうです。)

左:死時計さんで購入した踊る人形のマグカップ(現在、アカウントがありません

 

スタンプもえのころ工房さんの「シャーロック・ホームズ〔ベーシック版〕」「ジョン・H・ワトソン〔ベーシック版〕」です。

 

おっと、ここで梱包材のプリントに気が付きました。な、な、なんと!

こんなところに事件が!!

 

解読したらまた報告します。よい週末だコーヒー

土曜日の昨日、ふと目が覚めて「ちょっとドライブ…」と運転し始めたのですが、とりあえず関越のって…気づいたら…。

 

浅間山のふもとにたどり着いてました爆  笑

写真を撮った六里ヶ原休憩所は鬼押しハイウェイの途中、浅間山を北東から眺める位置にあります。穏やかな山並みです。写真の右側の稜線をみると、かなりゴツゴツとした山容が確認できます。これが天明の大噴火の時に生じた溶岩のあとです。

鬼押しハイウェイをさらに北上するとほどなく鬼押し出し園につきます。ここには寛永寺の別院「浅間山観音堂」があります。

天明3(西暦1783)年の大噴火で鎌原(かんばら)村の寛永寺の末寺「延命寺」も埋没してしまいました。浅間山噴火の被災者への慰霊と自然への畏敬をもって平安を祈願する場所として昭和33年に、寛永寺から観音像を迎え園内にこの観音堂が建てられたそうです。

 

鎌原村、鎌原観音堂にも行ってみました。何度目かな…。資料館の改修や観音像建立もあり周辺は様変わりしていました。

 

でも、観音堂そのものはかわらずそこにありました。

この橋は、火砕流が山麓を滑り降りる際に山体崩壊を引き起こし、大規模な土砂崩れへと変化した「岩屑なだれ(土石なだれ)」で新しくできた地面とお堂を結んでいます。現在は15段しか残っていませんが噴火前は50段ほどあったそうです。しかもその一番下には2体の女性のご遺体が発見されています。逃げ遅れた被害者です。

 

橋の下をのぞくと、数段の階段が本来あった鎌原村の位置に続いているのがみえます。

資料館ではその二人の女性のご遺体が丁寧に供養されたことも展示されていました。復元された二人はよく似たお顔立ちでもしかしたら母娘だったのかもしれない、ということです。

資料館で見た6分程度のアニメがすごくよくできてましたのでリンク張ります。

鎌原観音堂石段のものがたり  

 

噴火を生き延びた93名は、新しく家族を組みなおし村を再建しました。「親のない子に親を、子を亡くした親に子を」「年寄りに若者を」と一人残らず縁組したとありましたが実際には、当時は家柄・家筋などへのこだわりが強く、あいさつの仕方、家に上がれるか否かなど身分制度にも似たものがあったようです。

この超非常事態に対し、江戸幕府からの役人(勘定吟味役 根岸鎮衛ねぎしやすもり:田沼意次の命で派遣)と、村の世話役3人(「黒岩長左衛門」「千川小兵衛」「加部安左衛門」と名が残っています)が打ち出した村の再建には『骨肉の一族』となることを約束させることからはじめた、とありました。有事の時こそ、平時のリーダーへの信頼が必要です。この結果、江戸幕府からの援助も受けながら村は復興を果たしていきます。

 

私たちはその「結果」しか知りませんが、想像を絶する日々を過ごした人がいるからこそ今がある、ということを思い知らされます。名もなき人々に想いを馳せる時間でした。

 

 

 

日々のあれこれから完全に分離した一日。思いのままに「こっちかな~」「あっちかな~」とふらふらドライブしてました。(実は野反湖の方までドライブしてましたが写真なし)。

 

山道ではサルの群れにも遭遇。

10頭以上いて、堂々と道路に出てじゃれている子ザルもいましたよ。

 

天気のいい週末。皆様、いかがお過ごしでしょうか。