最近、私、よく歩いてるよ。家の周りとか、ちょっと車で出掛けて

くるっと一回り歩いてまた戻る、とかね。(土手沿いが好きかな)

だから最近はよく通る道だけど『こんなものがあったのかびっくり

『あれってこれだったのかニヤリ』的な発見してます♫

 

今日は地図上で近所にも富士山がある!富士山と気づいて行ってみました。

東上線高坂駅から「まなびの道」というウォーキングコースに沿って歩きます。

 東松山市の観光パンフレット 🚶🚶🚶

 

行ってみて「あぁ、この道のことか!」と気がつきました。

その脇の道路は車で何度も通ったことがあります。へぇ、ここって貨物線が通ってたのね。

その「まなびの道」沿いには古墳が点在しています。

地図ではすぐ道沿いでも、高低差があったり私有地を迂回しなくちゃならなかったりで

あれれ、なんだかずいぶんタイムロスしちゃったな(^_^;)

 

みつけた富士塚は、やっぱり車で通ったことがある場所でした。

扁額は石で『富士浅間神社』と端正な文字で書かれています。

「あ、ここかぁ!」って感じよ。

真南から60メートルほどの参道が通っていて、階段下の1合目(?)に到着。

よし、登るぞ!

社殿は真南を向いているようです。

階段の上には、

  

【左】文化三年丙寅(ひのえとら)六月吉祥日

【右】奉建立石壇 願主惣氏・・・ と読めます。

坂上田村麻呂が神体を安置し(西暦800年頃)、

足利基氏が社殿を建立(西暦1362年)したそうですから(チョット調べた)

この文化三(1806)年に参道を整備した、ということなのでしょうね。

文化三年というのは西暦wikipediaによると

4月に江戸三大大火のひとつ「文化の大火」があったそうです。関係あるかな?

この時代はたくさんの文化人が活躍していたようで

富士山関係だと葛飾北斎もこの時代の人。富士講は流行っていたかもしれません。

 

この神社のあるこんもりしたお山は

もとは古墳で、写真の右側に前方部があったそうです。削られちゃったのね(^^;)

この地域の偉い人が葬られ、その後その塚の上に神社を建てたのでしょう。

ここで富士講が行われていたのかもしれませんねぇ富士山

 

 

 

 

・・・それにしても古墳の中の人、どういう人だったんでしょうねぇ照れ