『家守綺譚』の続編。
前作でおなじみの高堂やダァリヤに早々に再会し嬉しくなる。
ゆるゆるとした日常が描かれるかと思いきや、愛犬ゴローが帰宅しない日々が長くなり、綿貫はゴロー(とイワナの宿)を探す旅に出る。
「冬虫夏草」とはこの本を読むまでよく知らなかったけれど、蛾が『幼虫のうちに糸状菌の一種に感染し、菌糸が内部で増殖、ちょうどサナギになったところに体表を突き破って子実体が外へ現れる』という。
ネットで画像を見てもなんとも気持ちわるい。
綿貫はこれを離れがたい関係として種を越えたロマンスに結びつけるけれど、私は綿貫の友人で菌類の研究者である南川の意見と同じで、隙を狙われて『喰われている』と思う。
この本を最後の方まで読むと、この冬虫夏草の記述を思い出さずにいられない。
種を越えたロマンスなのか、喰われているのか、どちらだ。
前作から時間が経過し、綿貫は少し年をとる。
それが生きているということであり、死んだ友人高堂との距離を感じることになる。
少し切ない。
死んだ人は年をとらない。
高堂は死んだときの高堂のまま存在し続けているのか。
綿貫がいた時代から何十年か経った今も。もしかしたら。
「?」とおもうところを先に読み進めると「なるほど」となる仕掛けが随所にあり、前作以上に本好きにはたまらないのでは。
文章もあいかわらず美しい。
まだまだ解決していないことがたくさんあるので、是非とも続編を読みたい。