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読書とワイン

読んだ本の感想など書いていきたいと思っています。
ブログタイトルは、ワインを飲みながらの読書が好きなことから。

この世は蜃気楼と同じく幻のようなものなのかもしれない。

目に見えるものと見えないものとの間には、たいした違いはないのかもしれない。

もとより人の目に見えるものなんて限られている。


昭和の初めに秋野が初めて遅島を訪れたとき、緑多く野生のカモシカなどが生息するこの島を、

「遅島としてあるべき姿」だと思っただろう。

無残に壊された過去があったと知っても。

ずっとこの島で生きてきたウネさんから見ればきっと違うように見えていた。
もっと昔、平家の時代から考えれば、全く違うように見えるだろう。


時間を経ることで、形や意味が変わる。

古いものがなくなり、変わっていくことに対して喪失感を味わう。

この世が「海うそ」のようなものだとしても、記憶の中を探して目の前の現実と重ねようとすることを止められない。


何度読んでもそのときそのときで、違うものが感じられる本の気がする。

またいつか読もう。

不思議な魅力の本。

現実と空想の間で、より現実に近い側にあるような。

単行本の、メルヘンな装丁から想像できないような、人間の奥底にある欲求を描いている作品。

人に似せた人形、ぬいぐるみ、ラヴドール。人は人形に何を求めているんだろう。

人形とは、何だろう。


先日友人と出かけたとき、ある場所にフランス人形が飾ってあった。

友人はそれを見て、「怖い」と言った。

人形の片目の眼球がずれていた。

パッチリと開いた右目の半分が白目になっていた。

万全ではない状態で人目にさらされることに、同じ女として同情するとともに、私もやはり、怖いと思った。

そう思うのは、「モノ」以上の何かだと感じるからだろう。


人は人形に感情を注ぐ。

愛情を注ぎ、同意を求め、理解しようとする。

その対象が白目で自分を見ていたら、愛情は拒絶され、同意なんてされず、理解できるはずもないと思う。

感情を通じえない別のものに化けてしまう。


主人公の澪が、遠縁の衛くんに

「・・・人はなぜ人形を作るんだと思う?」

と聞くと、衛くんは

「それに託して、力を継承するためだよ」

と答える。

人形に託して継承する力とは、どんな力。

人の恨みを後世に残していくということだろうか。

この章(『村上迷想』)の衝撃的な結末を考えながら思う。


一度は人形堂を閉めようとした澪が、周囲の協力(?)で店を続けることになり、この本には続編があるらしい。

魅力的な登場人物たち、従業員思いで大雑把な性格の澪、資産家の息子で才能はあるが少々性格に難ありの冨永くん、過去も私生活もわからないが並の職人ではない師村さん。

愛すべき人たちにまた会えるのが楽しみ。


この本では『毀す理由』が1番印象的だった。

美を求める執念。

少しわかるような気がしてしまうのが、こわいところだ。



東京各所にある谷地形(スリバチ)を紹介する本。

谷の断面図がおもしろく、わかりやすい。

谷好きにはたまらないのでは。

この本で予習して街歩きをするのが良い読み方ではないかな。

読んでから街を歩くと、見慣れた景色が別の角度で見えてくる。


私は東京生まれではないので、都内の地形どころか位置関係さえ曖昧な場所も多く、しかも方向音痴。

そんな私が地形に興味を持つとは。

地形好きにもいろいろあるというけれど、私は川、それと地形を活かした都市形成が好きみたい。

ちなみに今は『東京人』2015年5月号の「東京35区」の境界線を歩くという特集を愛読中。


次は江戸のまちづくりの本を読もうかな。


ある朝突然、ヨーゼフ・Kは逮捕され、裁判が始まる。

裁判の行方は主に人間関係にゆだねられる。

おそらく刑事裁判だと思うけれど、何が罪なのかも最後までわからない。

罪刑法定主義もデュープロセスもなく、有罪へながれていく不条理な話。


「掟の門」とは何だろう。

内側の世界とつながる門は、男のためだけのものだ。

結局待つことでは内側の世界には入れなかった。

待つことは自己満足にしか過ぎず、結局闘わなくては内側にたどり着くことはできないということなのか。


「城」も読んでみようと思う。

平成18年に貸金業法が改正されて、借入残高が年収の3分の1を超える場合は新規の借り入れができなくなるという総量規制が導入され、またそれまで出資法により29.2%とされていた上限金利が20%に引き下げられ、利息制限法による上限金利(貸付額により15%~20%)との差が縮まりグレーゾーン金利が廃止された。

「火車」は平成10年に発行されている。

この本に書かれているような多重債務者問題の深刻化が、法改正につながったのだろうな。


以下ネタバレあります。


休職中の刑事本間は、甥の和也から失踪した婚約者関根彰子を探して欲しいと頼まれる。

本間は彰子の足取りを現在から過去に向かってたどるが、和也が探している婚約者の女性は「関根彰子」ではなく、「関根彰子」に成り代わった別の女性ではないかという疑いを持つ。

同僚刑事の碇や彰子の幼なじみの保らとともに調査を続けて、「関根彰子」と名乗っていた女性と本物の関根彰子の接点を見つける。

その接点から偽物の「関根彰子」が新城喬子という女性だとわかり、喬子の過去から、なぜ関根彰子と入れ替わったのかが明らかになる。

恭子がこれから何をするつもりなのか確信した本間たちは、喬子を止めるためにある計画を立てる。


途中までは、相手の正体も犯罪がからんでいるのかもわからないまま追っていく展開で、ミステリとしては珍しい。

ストーリーの構造はとても丁寧で、出会いが次の出会いにつながり、事実が次の事実につながっていく。

続きが気になって、後半は一気に読んだ。


丁寧に描かれたミステリである一方で、女性の孤独を書いた作品でもあると思う。

例えば、保の妻郁美が、突然電話をかけてきたOL時代の同僚に、子育て中と告げたら唐突に電話を切られたと話すくだりがある。

「たぶん、彼女、自分に負けてる仲間を探してたんだと思うな」「・・・寂しかったんでしょう、きっと。ひとりぼっちになったような気がして、どん底にいるような気分だったんでしょう。・・・」

自分より孤独な他人を見たら、優越感で救われる。

本当は、そんなことで救われることはないのだけれど。


新城喬子も、孤独だったから、自分と同じように孤独そうな人間を探し、その人に成り代わろうと思った。

「関根彰子」に成り代わり穏やかな生活を手に入れても、婚約者である和也にも真実の自分を見せることはできず、危険だと思ったらその生活を迷いもなく捨ててひとりで逃げ闘い続ける。


孤独を抱える女性たち。

こういうところを織り込むのが、宮部みゆきさんのうまさ。

この話に出てくる孤独な女性たちは誰も救われないのだけれど、最後にやっと出会えた新城喬子にはせめて、孤独から救われて欲しいと思った。

カーの作品、読んだのははじめてです。

これは、好き嫌いが分かれる作品だろうなあ。

あとがきを読むと、名作と駄作に分かれるというカー作品、この本はどのあたりに属するのでしょう?


以下ネタバレあります。


主人公のディックはレスリーという女性と婚約をした。

ある日町のバザーで、たまたま射的の銃を手に持っていたレスリーが、銃の暴発事故で占い師をしていた男性を撃ってしまう。

実はその占い師は、犯罪学の最高権威ギルマン卿が身分を隠していたのだった。

銃による怪我は大したことはなかった。

その夜ギルマン卿はディックを呼び出し、レスリーが過去に3人の男を殺した毒殺犯であり、その事実を隠すために自分を銃で撃ったのだと告げる。

そして、レスリーを罠にはめようとディックに持ちかけた。


話の導入部はおもしろかったものの、途中から「いったいどこにいくのか?この話は」となんだかあちこちにふらふらしているような印象だった。

探偵役のフェル博士には最後まで親近感が持てなかった。

ミステリにはつきものの、ラストの探偵役が犯人を追い詰める場面がこの作品にはない。

動機も手口も犯人以外の人物が説明して終わるとはめずらしい。

トリックもわかりづらい。


ミステリの質としてはそれほどでもない。

でもおもしろいかどうかと言えばおもしろかった。

またカーを読みます。

ロシアの文豪ドストエフスキーの作品。

1865年、賭博で一文なしになったドストエフスキーは、編集者にこの小説の構想を売り込み、原稿料の前借りを頼んだ。

その翌年から連載が開始された。


全体的に、ひとつひとつのシーンが長く、会話が中心に進む部分が多い。

貧困の描写が凄絶。女性の地位も低い。でも、当時の日本も同じようなものだったかもしれない。

苦労したのは、登場人物の名前。

ロシア語の名前は馴染みがうすく、愛称もわかりづらい。

主人公「ラスコーリニコフ」は「ロージャ」と呼ばれたり、主人公の妹「アヴドーチヤ」は「ドゥーニャ」だったり「ドゥーネチカ」だったり。

誰が誰やらわからなくなってしまい、慣れるまで人物一覧を見ながら読み進めた。


以下ネタバレあります。

主人公のラスコリーニコフは、元役人の未亡人で質屋を営む老婆を斧で殺害し、たまたまその現場に入ってきた老婆の妹をも殺害した。

ラスコーリニコフは殺害の前に、自分が老婆を殺害するとしても、それは「犯罪ではない」と考えていた。

これは、ラスコーリニコフが以前論文に書いたある考え方から来ている。

それは、人には凡人と非凡人の2つの部類があり、凡人とは保守的で服従を義務としている人びと、非凡人とはごく少数の人であり、新しい思想の実現のために障害を踏み越える権利を持つ人々のことである、非凡人が障害を踏み越えるのは自分の良心に対してであるが、ある種の人々が思想の実現の障害となっている場合は、その人々を犠牲にする義務さえあるというものである。


なぜラスコーリニコフは老婆を殺害したのだろうと考えながら読んでいた。

殺害したことで状況が変わることはない。

貧困に覆われた世の中が変わることもないし、盗んだ金品を使って家計を助けることもできない。

そもそもすぐ足のつく質草でなく現金を盗もうとさえしていない。

ラスコーリニコフも、老婆を殺害したことで現状を変えられるなんて思っていなかったのだろう。

彼はソーニャに罪を告白したときに

「ぼくがあのとき、一刻も早く知りたいと思ったのは、自分はみなと同じようにしらみなのか、それとも人間なのか、ということだった。ぼくは踏み越えることができるのか、それともできないのか!」

ラスコーリニコフは、自分が非凡人なのか試したかった、自己満足のためと言っていいと思う。


殺害によって罪の意識と捕らえられる恐怖に怯えるラスコーリニコフは、ソーニャに心が向いていく。

ソーニャは、ラスコーリニコフが酒場で偶然出会った元役人マルメラードフの娘で、家計を助けるために娼婦をしている。

ラスコーリニコフは、ソーニャは娼婦となったことで自分の生命を殺したのだから、彼女も自分と同じく「踏み越えた」人だと言った。

そうだとしても、ソーニャは他人のためであり、ラスコーリニコフは自己満足のためだった。

他人を犠牲にするのと自分を犠牲にするのとでは全く違う。

すさんだ生活をしていても純粋な心を失わないソーニャと自分との違いにラスコーリニコフも気づく。

そしてラスコーリニコフは自分踏み越える権利のない凡人なのだと自覚した。


監獄に入った頃のラスコーリニコフは、殺害したことよりも自首したことで自分を責めた。

また自殺せずにいる自分にも疑問を感じる。

なぜ生きているのか。

おそらく非凡人になりたいという願望は、存在を認められ愛されたいという願望だったのではないか。

ソーニャと出会い、生きる意味を見つけたのではないか。


今回読んだのは岩波文庫の江川卓さん訳のもの。

訳注でドストエフスキーが影響を受けただろう聖書の記述にも触れていてわかりやすかった。

「このミステリがすごい2014」の1位になった本、ということで読んでみた。

ミステリ好きを対象にしたSF。

4つの章から成る本です。

以下ネタバレあります。


『ノックス・マシン』は、目新しい結末じゃないなと思ったけれど、全部の章を読んでみるとここがやはり導入部。

ああいうふうにつながっていくとは。

簡単な物理の本をぱらぱら読んだり、アインシュタインの理論をほんのすこーしかじっただけの私には物理的な記述は難しかった。


『引き立て役倶楽部の陰謀』。

引き立て役クラブ(名探偵の相棒たちが所属している架空のクラブ)のメンバーが、あるテーマのために集まって話し合いをするというストーリー。

引き立て役はさまざまな作品から登場するので、ミステリ好きになら楽しめると思うけれど、他の章と比べると迫力不足の感あり。

それでも、クリスティーの失踪事件で昔読んだクリスティーの自伝を思い出したり、

『テン・リトル・ニガーズ(そして誰もいなくなった』を、思わず本棚から出し読んでみたりしたほど

ミステリ好きの心をくすぐる作品ではあると思う。
ワトソン氏にはもう少し思慮深くあって欲しかったな。


『バベルの牢獄』。

アイディアがおもしろい。

鏡文字や各ページの同じ箇所にある句点など、「本」という物を使ったゲームのような作品。

捕らえた敵の身体と脳を切り離すのは、水槽の脳を連想した。

主人公の試みがうまくいったとき、どうやって思考が身体を取り戻すのかはSFの領域?


『論理蒸発-ノックス・マシン2』。

これまでの章がここにつながっていく。

この本の中で1番好きな話。

物理的な記述がよくわからなくても、

英雄になるはずだった男の末路とか、幸福とは何かとかいう読み方もできる。

とりあえずエラリー・クイーンを読みます。

漱石の前期三部作の第一作目。


田舎から進学のために東京に出てきた三四郎は、今まで出会ったことのないような人たちと出会い、好きになった東京の女に振り回される。

多くの雑多なものが速いスピードで流れていく中で、どういう道を選んでいくか、日々迷い考える。

考えても答えを出すことができない。


「ストレイ シープ」は三四郎のことなのだろう。

自分の判断基準を確立できなければ流れの中で迷い続けてしまう。

三四郎の迷う姿はなんだか懐かしく、漱石の小説の主人公の中ではめずらしく親近感を感じる人物だった。


東京で三四郎が知り合う人々は個性的だ。

学友の佐々木、好意を持った美禰子、同じ出身地の先輩野々宮さん、その妹よし子、広田先生・・・。

東京で長く暮らしている彼らは、三四郎に比べたら器用に生きているように見える。

けれど三四郎ももう少し時間が経てば、東京の暮らしになれていくのだろうな。

故郷のお光さんよりも、東京の美禰子に惹かれてしまうくらいだから。


「日本より頭の中の方が広いでしょう」

昔誰かに言われたことがあるけれど、『三四郎』を読んでいたのだな。

やはり印象的な言葉だと思う。


横山秀夫さんの作品、読んだのははじめて。

映画やドラマにもなった人気作品ですが見たことはなく

人から薦められて読んでみました。


<あらすじ>
警察官梶総一郎がアルツハイマー病で苦しむ妻を殺害したと自首してきた。

W中央署捜査第1課の志木は梶の取り調べを担当することになる。

梶は妻を殺したときのことは話すが、殺してから自首するまでの2日間に何をしていたのかをどうしても話さず「完落ち」しない。

時間の経過につれ、志木から検事、事件記者、弁護士・・・と語り手を代えながら、梶がなぜ「空白の2日間」についてだけ口を閉ざすのかに近づいていく。


語り手となる登場人物のそれぞれが人にはわからない問題を抱え葛藤しています。

うまくいっているように見えても、簡単に生きていける人なんていません。

迷って、苦しんで生きていくなら、何が心の拠り所になるのだろう。

家族、恋人、それ以外の誰か。

生きていくためには誰かの存在が必要だと思います。


妻と子どもを失った梶にとってそれは何なのか。

残念なのは、途中でそれがわかってしまったこと。

ヒントが少ないために逆に答えがしぼられてしまいました。

丹念に読んでいけば答えが導かれるというのはミステリの骨組みとしては必要なものだけれど、もう少しわかりづらくてもよかったと思います。

ミステリとして読むより、人間ドラマとして読んだ方がよい本です。