読書とワイン

読書とワイン

読んだ本の感想など書いていきたいと思っています。
ブログタイトルは、ワインを飲みながらの読書が好きなことから。

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トルコの作家オルハン・パムク。彼の作品を読むのは、『雪』につづいて2作目。
パムクは2006年にノーベル文学賞を受賞、その受賞にはこの『黒い本』の影響があったようです。

読んでいる間、ずっとこの本に心を奪われていた。眠っているときは夢にまで見た。
メタファーの張り巡らされたイスタンブールの路地をさまよい歩き、すれ違う人やものが放つ暗示にくらくらし、夢の中を歩くようなこの彷徨が終わらなくてもいいとさえ思った。

<あらすじ>
弁護士のガーリップがある日仕事から帰ると、従妹であり幼なじみの妻リュヤーが書置きを残して消えていた。ガーリップの叔父でありリュヤーの異母兄である人気コラムニストのジェラールも同じ頃失踪する。ガーリップは、ジェラールが新聞に連載しているコラムに2人の行方のヒントを探しながら、イスタンブールの街を彷徨う。

ジェラールのコラムとガーリップの探索が章ごとに交互となり、互いに絡み合いながら物語は進んでいく。
ジェラールのコラムにはメッセージ性があり、トルコの歴史と宗教についてある程度知らなければ、内容を理解するのは難しい。トルコについて深く知っているほどきっと面白いのだろう。さらに原語で読んでいれば、受け取り方はもっと違うのではないか。
そこまで理解が及ばないながらも、このコラムが持つ「伝えたい」という意志には引きつけられる。

ジェラールを追ううちに、ガーリップは自分をジェラールに重ねていく。ガーリップと読者に何度も突きつけられるのは、自分とは何か、自分を生きるとはどういうことかという問い。自分だと思っていたものは他人の影かもしれず、自分を見出そうと他人の影をはがしていけば、何も残らないとしたらなんと恐ろしいことだろう。
自分と他人、これはそれぞれトルコとヨーロッパをも意味する。ヨーロッパを真似てきたというトルコという国に、欧米を追いかけてきた日本を見るのは私だけではないだろう。

夢の終わりは当然に、突然に訪れた。
終わってほしくないと思っていたのに、今は解放感に浸っている。それだけ深く『黒い本』に心が占められていたのだ。
いずれまた、夢の中の彷徨が恋しくなったとき『黒い本』を開くと思う。

『三四郎』 に続く漱石の前期三部作の二作目。


代助は30歳になるが親の脛をかじって暮らしている。自分を『職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種』と考えている。けれどそれは自分ひとりでできることではなく、忙しく働く親からの援助によって成り立っている。上等人種でいるために実家の存在が不可欠というのは、代助さん、なんだかおかしくはないですか。

『食う為の職業は、誠実にゃ出来にくい』、おっしゃることはわかります代助さん、でもたいていの人は理想の現実の折り合いをつけなければ暮らしていけないのですよ。


縁談を断り続ける代助には思う人がいる。

その人と生きていく決心をする代助。その代償は大きかった。

このときの、男と女の覚悟が違いすぎる。女の覚悟は潔い。その覚悟を見て、やっと代助も覚悟を決める。代助さん、だいじょうぶ?


情けない年下男を見ている感じで読み終わった。

女はよくこの男についていく決心をしたなあ。私にはわからないが、代助にもそれなりに男としての魅力があるということなんだろう。

31歳で「介護人」の仕事をしているキャシーが静かに語りを進めていく。

子どもの頃を寄宿学校ヘールシャムで送ったキャシー、そこで親しくなったルースとトミーとの友情は現在まで続いている。ヘールシャムでの仲間内でのひそひそ話やいざこざは、普通の子どもたちの生活だ。でもその世界は学校から外へは広がらない。

何かが語られていない。

それは唐突に読者に明かされ、ときどき出てきた「提供」「介護人」という言葉の意味に衝撃を受けた。

そこから、この本が放っている色合いががらっと変わって見えてくる。


以下ネタバレあります。

『わたしを離さないで』をこれから読もうとしていらしたら、ここから下の文章を読まずに本を読むことをおすすめします。


現在のキャシーは、あと少しで介護人の仕事を終えて提供者となる。

ヘールシャムを出てコテージでの生活のあと、介護人となったキャシーは提供者となったヘールシャム時代の知り合いにときどき出会う。提供を終えて弱った姿に、近い未来の自分を見るのだろうか。

介護人とは提供者の面倒を見てのちに提供者となる人のこと、提供者とは臓器を人に提供するためにつくられたクローン人間のこと。

生まれたときから決められた運命をキャシーたちは受け入れていく。


介護人となってからルースとトミーに再会し、提供を遅らせようとしたこともあった。でもそれは自分たちの無力さをつきつけられるだけの結果となった。真剣に愛し合っているカップルが提供を遅らせることができるなんて、ただの噂だった。

クローン人間をつくった「外の世界の人」の多数はキャシーたちをちゃんとした人間とは思っていない。ちゃんとした人間であってはならないのだ。もしそうなら、臓器を使うなんてできなくなるから。魂を持っていて、友達や愛する人を思いやったりする存在であるはずがない。

「そうじゃない」と思いながら、「外の世界の人」である私はその考えを責めることができるだろうか。大事な人を救うために、キャシーたちを犠牲にするべきではないと本心から思えるだろうか。


提供者たちにもできるだけいい環境で過ごしてほしいと考える「外の世界の人」の少数の運動は今では押しつぶされ、ヘールシャムは閉鎖。

ヘールシャムの運営者たちは複雑な思いを抱えながらもただ手を引けばいい、キャシーたちは提供を遅らせることなど到底できないと知り取り残される。味方だと思っていた人たちとの決して埋められない溝。

今後提供者たちはより劣悪な環境へと追いやられていくだろう。


大事な人を救いたいという思いはむしろ尊いものだけれど、そのために別の生命を産み出し犠牲にするのは人間のエゴでしかない。この2つは絡み合いながらどちらかが突出しないようバランスを取り、その結果私たちの世界ではクローン人間の製造は禁止されている。今後も変わることはないと思う。

この2つに決着をつけるほど、現代の技術と、もしかすると私たちの精神もまだ発達していない。

前作を読まずに読んだけれど、おもしろかった。

ミステリというよりは学園もの。

高校時代の仲良し4人のうち1人が25歳の若さで亡くなるところから始まり、時間をさかのぼり、大学時代、そして高校の卒業式で終わる。


ああでも、この何年か後には死んでしまうんだよな、摩耶は、と思うと、どの話も読みながらじんとした。

最初に親友が亡くなるところから始めるなんて、ずるいな津原さん。そのあとはもう戻れない日々を切なく振り返りながら読まないといけない。


登場人物が個性的。

最後まで読んでから登場人物紹介を読み直すと、論理的思考が苦手な主人公彩子と常識に従うのが苦手な不二子の姉妹、怜悧な友人祀島くん、義理堅い友人キリエ、美しき友人摩耶、納得。

私は摩耶が好き。こういうタイプの人とは仲良くなれそう。もう亡くなってしまったけど。

キャラが書き分けられているから、会話文が続いても誰のセリフなのかわかる。

この人たちのかけあいはおもしろい。


ただ、「慈悲の花園」には違和感。

ネタバレになるけれど、そんなに信仰心の篤いシスターが犯罪を犯せるだろうか。もう一人のシスターはその罪を隠そうとするだろうか。動機から飛躍しすぎだなあ。


そのうち前作も読もう。

たまさか人形堂がおもしろかったので、読んでみました。

恋愛小説はあまり読みませんが、この本はよかった。

30歳を過ぎてからわかる、大人が真剣に人を好きになったときの気恥ずかしさや戸惑いながらも浮かれる気持ちが淡々とした文章で書かれています。


主人公の暁子は、亡くなった祖母の部屋から見つかったある詩人のノートを届けるため、その孫である寒川耿介と会う。耿介はノートのお礼にと、暁子に赤い竪琴を渡す。

そして暁子は恋に落ちる、という展開はなんだか強引に感じるけれど、人を好きになるときなんてそんなものかもしれない。この後を読んでいくと、出会うべくして出会い、恋に落ちるべくして落ちたということ。

耿介が偶然(でもこれは多分偶然ではないのだ)暁子のマンションの下を自転車で通りかかったときなんて、どきどきする。

出会った日からすでに2人の心は動いているのに、突っ走れない。

突っ走れたらいいのにね。

大人になってからの恋愛は、自分を冷静に見られるだけに立ち止まってしまったりする。30を過ぎたら、もう苦しい恋愛なんてしたくないし、相手にもさせたくない。それは時間と体力がある人にだけ許されるものだから。

暁子にべったり感情移入し、一緒に苦しくなり、心から納得できるものではないけれど決めた結末は受け入れられるものでした。


甘くない恋愛小説、どっぷりひたって苦しませてもらいました。

津原泰水さん、これから追いかけてみようと思います。


プロローグ、第一部、二部、三部、エピローグから成ります。

プロローグを伊藤計劃氏、それ以降を円城塔氏が書いたそうです。


以下ネタバレあります。

19世紀後半、ヴィクター・フランケンシュタインが、死者の脳に擬似霊素としてデータを書き込み「屍者」とし、一定の作業をさせる労働力とできる技術を発明する。


医学生だったワトソンはイギリスの国家軍事機密組織ウォルシンガムの一員となり、記録係の屍者フライデー、ウォルシンガムの一員バーナビーとともに、ロシア人が屍者たちの新王国を築こうとしているという噂の真相を確かめに、アフガニスタンの奥地へ赴く。

そこでワトソンたちは屍者を連れ出したロシア人アレクセイ・カラマーゾフと会い、ヴィクターが造った最初の屍者「ザ・ワン」が生存していること、生者にデータを書き込み生者と変わらない動きをする屍者を造る技術、そしてその技術が記された「ヴィクターの手記」が存在することを知る。そのデータは日本に流出していた。(第一部)


ワトソンたちは、データの流出先日本へ。

データを保持していた大里化学へ向かうが、屍者が暴走し生き残った者はいない。その一室でワトソンは、遠隔操作される金属製の脳を介してザ・ワンと対峙し、「ヴィクターの手記」が記されたパンチカードを受け取る。(第二部)


ここからザ・ワンとの全面対決へ入り、盛り上がっていくかと思いきや、少し勢いが落ちた印象でした。

第三部の前半は、少し流し読みしてしまいました。


「意識」の正体は菌、菌が意識があると思わせているだけというのは、もっと驚くような結果を期待していただけに拍子抜けしました。

でもハダリーの「言葉」という答えはとても示唆的だと思います。こちらのほうがわかりやすい。

この世界は、人が使う言語、人以外のものが使う言語、さまざまな言葉によって成立していて、それらの言語がバラバラになれば、積み上げた世界は崩壊する。

世界だけでなく、人も崩壊し、ある場合は新しく造られる。それがワトソン。


ジョン・H・ワトソン。おそらく、後に世界一有名な私立探偵の相棒となる人物です。

その活躍は皆様ご存知のとおり、というところでしょうか。

このへんのパロディーはミステリ好きには楽しめます。



今回急いで書いたため、内容がいつも以上に支離滅裂です。

いつか時間があったら、再読して書き直すかも。気が向いたら。

手に入れたいけれどみつけられなかったものを「ないもの、あります」というクラフト・エヴィング商會へ注文するところから始まります。

5人の注文主の注文書、それに対するクラフト・エヴィング商會の納品書、そして注文主の受領書で綴られています。

納品された品の写真付き。美しくて何度も見てしまう。


5つの話はそれぞれ5つの小説がモチーフになっています。

『たんぽぽ』 川端康成

『バナナフィッシュにうってつけの日』 J・D・サリンジャー

『貧乏な叔母さんの話』 村上春樹

『うたかたの日々』 ボリス ヴィアン

『冥土』内田百閒


読んだあと、じんとしたり、ほわっとしたり。
印象に残ったのは、『たんぽぽ』をモチーフにした『人体欠視症治療薬』。

注文主は、好きな人の体にふれたら、ふれた部分が見えなくなる人体欠視症になった女性。その治療薬を注文する。

好きな人の体がだんだん見えなくなるなんて、そんなに悲しくてこわいことってあるだろうかと読み進めると、結末は、ああ…予想できても切ない。


ほかに、人を狂わせるほど魅力があるサリンジャーの小説、大事な人を失ったとき現れた貧乏な叔母さん、何かを犠牲にしても手に入れたかった体内植物標本、もとになった本をぜひ読みたいと思った『冥土』。

どの話も独特の世界に引き込まれました。


1度目はじっくりと読んで、2度目はパラパラと読んでみただけで、あちこちにヒントが散りばめられていたのだと思った。

読めば読むほど、暗闇に目が慣れてくるように見えてくる。

現実か夢かわからない世界に深く入り込んでいくところは、谷崎潤一郎の『秘密』を連想した。


物語のはじめから、うろの中にいたのだ。

うろに落ちて、歯が痛み、歯医者へ行った。

―深い。

―深いですね。

歯医者とその「家内」が言ってしまうほど深い歯の穴。

痛む歯の穴は、植物園の巣穴とつながっている。

巣穴は、豊彦の心のうろとつながっている。


うろの中の世界で、豊彦は自分のからまった記憶をほどいていく。

記憶をほどくヒント。

乳歯。オフィーリア。二人の千代。

坊の正体。

記憶がからまったのは、後ろめたい気持ちがあったらだろうか。


「水」というキーワードが何度も出てくる。

滞った水は、止まった心のことだろう。

心の流れを止めることは、心の中の誰かを死なせてしまうのかもしれない。

自分と向き合い、思い続けていくことで、生きていくことができるのだと思う。

『たまさか人形堂物語』の続編。

前作に引き続き、魅力的な登場人物たちが登場。

ただ今回、この人たち、相当悩みます。


富永くんは、同じ職場にいたらきっと愛想が尽きるけれど、憎めない人だ。

「小田巻姫」での彼の行動は、きっと計算ずくだったんじゃないか。

悩むことはつらいけれど、そこを抜けられたときは過去の自分の一段上にいるはず。

大いに悩んで、大きく成長してほしい。


澪と束前さんは、お互いどう思っているんだろう。

気になっているのに素直になれない不器用な大人どうしなんじゃないかな。

二人は急接近するんじゃないかと思ったけれど、そんなに簡単にいく訳でもなく。

澪と師村さんも、いい感じなんだけどな。

でも師村さんには亡くなった奥さんのこともあるし、こちらも簡単にはいかない。


澪は仕事でも悩む。

でもこの人はだいじょうぶ。

なんだかんだ言って、乗り越えていける強さがある。


さくさく読ませながらも心にざくっと切り込んでくるような話でした。

続編を望みます。



巻末の参考文献を見て、中島歌子が実在の人物だと知る。

この本は、歌人中島歌子の弟子である三宅花圃が病床の歌子を見舞う現在と、歌子が書いた自身の過去との二重構造になっている。


幕末。

江戸で有名な宿屋池田屋の娘登世は、池田屋での酒席で見かけた水戸の御家中林忠左衛門以徳が忘れられない。

母親の反対を乗り越えて慕っていた以徳と一緒になり、登世は水戸へ。

なかなか水戸の文化になじむことができず、以徳の妹てつにも受け入れられなくて、歯がゆい思いをする。

ときどきしか水戸へ帰ってこられない以徳の姿や声を大事に抱え、登世は自分にもできることをみつけようと前向きに奮闘する。

外の世界では尊皇攘夷の動きが大きくなり、藩どうしの対立だけでなく水戸藩内部の対立も激化していく。

女性も子どももその対立に無関係ではいられず、逆らえない流れの中でも凛として生きる女性たち。

誇りを持って生きるとはこういうことなのだと思った。


最後の20ページでうるっとした。

登世は歌人中島歌子として名を成しても、何も忘れていなかった。

大切な人に対する思いを支えに生き抜く強さ。

その人に恥じない生き方をしようと下した決断。

こんな結末が用意されていたのだな。

生きてきた道は決して楽ではなかったけれど、まっすぐな自分を貫いたから生き抜いてこられたのだろうと思う。