上差し 2024年6月2日(日)、午前10時から石川県金沢市内にあるカトリック広坂教会のミサに出席しました。

 

 

下差し 2024年6月1日(土)の午後2時から始まった百万石行列を撮影する際に、私が立っていた場所がこちらのカトリック広坂教会の前になります。

 

金沢市民の皆さんであれば、この百万石行列が開催される前日になると早いもん勝ちで遠足で使用する一人分のレジャーシートや折り畳み式椅子を歩道の脇に置いて陣地を確保して準備するのですが、このカトリック広坂教会の前の歩道は自動車が出入りできるように誰もここで陣地取りをしようと思わないんですね。だから、毎年のようにカトリック広坂教会関係者たちが、この位置で百万石行列を見物しています。

 

(画像提供:GOOGLE MAP)

 

 

下差し そして、このカトリック広坂教会の門をくぐると右手に聖ヨゼフ幼稚園があり、その駐車場の脇に高山右近像があります。

 

(画像提供:GOOGLE MAP)

 

下差し 大名の地位を捨ててまでもキリスト教の信仰を貫いたことで知られる高山右近の死後400年を経て、2017年にローマ教皇庁から殉教者として列福されました。

 

 

カトリック広坂教会の大聖堂の入口付近から撮影しました。ローマ教皇フランシスコと名古屋教区司教であるミカエル・松浦悟郎司教さまの写真が飾られていました。

 

 

下差し カトリック広坂教会の歴史についてですが、公式サイトの説明文を引用すると、「1888年(明治21年)に創立され、百十余年の歴史を持っています。さらにこれより前、1588年(天正16年)頃、豊臣秀吉に追放されたキリシタン大名高山右近が、金沢前田家に預けられました。 右近は金沢や能登に教会を建てキリストの教えをひろめ、沢山の信者が生まれました。しかし、その後のキリシタンの歴史は、すさまじい迫害の為に歴史の表面から姿を消されてしまいました。 およそ三百年後の明治二十一年、この地に教会の誕生を見たことは、まさに信仰の復活と言えるでしょう。」です。

 

 

下差し やっぱり、明治時代から続いている古いカトリック教会ですから、正面の祭壇の十字架の両脇に6本のロウソクが立っているのがお分かりかと思います。

 

※ 第2バチカン公会議でラテン語によるトリエント・ミサ(伝統的ラテン語ミサ)を廃止して各々の言語でミサを挙げる「パウロ6世ミサ」が始まる前から存在していたカトリック広坂教会ですので、それまではイタリア人司祭(カルメル会)によってラテン語によるトリエント・ミサ(伝統的ラテン語ミサ)が挙げられていました。これらの正面の祭壇の十字架の両脇に6本のロウソクは、その昭和時代までトリエント・ミサ(伝統的ラテン語ミサ)が挙げられていた名残りです。

 

※ 因みに、金沢在住の(全国でも)現在70歳以上の信者さんたちはラテン語はペラペラですね。ラテン語を流暢に話すというよりもラテン語の讃美歌やミサ中に唱える文章もしっかりと暗記されています。

 

 

下差し 大聖堂の右側には聖ヨゼフの祭壇があります。高山右近の聖遺物が安置されていました。

 

 

下差し 「聖遺物」というと、亡くなられた聖職者たちのご遺体がミイラ化した後に、そのミイラ化したご遺体の一部をもぎ取って(指や髪毛など)飾っている場合が多いですが、このカトリック広坂教会の聖遺物は高山右近のチョッキの一部だそうです。

 

 

下差し その詳細についてお知りになりたい方は、こちらをご参考になさって下さい。

 

(画像提供:聖遺物)

 

そして、大聖堂の向かって左側には聖母マリアの祭壇があります。

 

 

その上というか横には「聖家族と主のご降誕(クリスマス)」のシーンが描かれたステンドグラスがあります。

 

 

そして、聖ヨゼフの祭壇の上というか横には「イエス・キリストの昇天キリストの復活)」のシーンが描かれたステンドグラスがあります。

 

 

下差し そして、最近になって、北陸新幹線が開通してからですね、大聖堂の右横の窓がステンドグラスになっていました。それまでは、一応、ステンドグラスであったものの緑色と黄色だけのシンプルなデザインでした。

 

 

こちらのステンドグラスには「」を持った聖人がいます。「」がトレードマークの聖人と言えば「聖パウロ」だそうです。

 

 

下差し ご興味がおありの方は、是非お読み下さい。

 

 

下差し こちらは、聖ヨハネだそうですが、何故、ローマ水道橋のようなデザインが下にあるのか分からないです。その内に再び金沢に出向いた際に質問します。別に電話してまで聞きたいとは思わないので。

 

 

私が大学生の頃は単なる中庭でしたが、10年前にこのテラスが作られました。これ、信者のどなたかが趣味で作って下さったんじゃないかな?とてもステキです。

 

 

下差し 2024年6月2日(日)の午前9時45分頃に撮影しました。ミサは午前10時から始まります。

 

 

下差し ちゃんとね、この日のミサに出ましたいう証拠として撮影しました。『キリストの聖体の主日』でした。

 

 

下差し そして、私が大学生の頃から自分の母親であるかのように尊敬し長年お世話になっていた若狭美代さんが亡くなられたことを教えて下さった白浜さんにお会いすることができました。イタリア人司祭のチプリアノ・ボンタッキョ神父さまも少し痩せられましたが、どうにかお元気そうで良かったです。

 

 

下差し 2024年4月16日(火)に白浜さんからメールが届き、その日の午前中に若狭美代さんが天の神様の許に帰られましたと書かれてありました。

 

若狭美代さんが天の御国へ旅立たれることについては、もう既に数か月前から心の準備はできていたものの、こうしてカトリック広坂教会に戻ってきても温かく向かい入れてくれる人がいなくなって寂しさを感じていましたが、次回、ここに来る際には白浜さんにお会いする楽しみができました。有難いことです。

 

 

下差し そして、私が大学生の頃に所属していたカトリック広坂教会の信徒会館内にある青年会室には若狭美代さんの祭壇が設けられていました。

 

そして、寺島さんというご年配の女性信者さんが私を温かく向かい入れて下さり、この青年会室で共にお昼ご飯を頂きました。そして、あの当時、私と共に青年会で一緒だったお兄さんやお姉さん方が現在どこで何をしていらっしゃるのかも寺島さんからお聞きすることができました。

 

また、私の方から写真を数枚、寺島さんに送り兄弟姉妹に転送して頂く予定でいます。互いに再会できる日が来ると良いです。

 

 

下差し イタリア人司祭のチプリアノ・ボンタッキョ神父さまとのツーショットも撮影させて頂きました。私に洗礼を授けて下さったカワルザン・ジョヴァンニ・クリストフォロ神父さまが、2019年4月6日(土)に亡くなられてから、現在もお元気に頑張っていらっしゃるイタリア人司祭はチプリアノ・ボンタッキョ神父さまとペトロ・ザンケッタ神父さまです。やっぱり、長年知っている神父さまがいらっしゃると「自分の教会に戻ったな~!」という安心感がありますね。有難いです。