上差し 2024年5月2日(木)、柏駅付近にあるキネマ旬報シアターで2023年にイタリア・フランス・ドイツ合作でマルコ・ベロッキオ監督によって製作された映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』を観てきました。

 

 

 

 

2023年10月7日(土)にパレスチナガザ地区を支配するハマースイスラエルとの間の戦争が始まり、イスラエル側のネタニヤフ首相が休戦の応じることなくより狂暴化して同胞のイスラエル人質を撃ち殺しキリスト教徒のボランティア活動メンバーをイスラエル国防軍が殺し、ハマス(アラブ系住民)を完全に叩きのめすまで戦い続けるつもりなので両国の死者や負傷者の数は増えるばかりで、最近ではイスラエル国防軍に対する非難の声が高まり、親パレスチナ派によって大学や街中で抗議活動が起こっています。

 

 

だから、そんなご時世に、この映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』を観てしまうと、正直な話、「キリスト教に改宗して良かったね!」と言いたくなってしまいます。何でもそうだと思うのですが、小説の感想なんてのはその時の状況や立場によって変化するものだと思うのです。2023年12月21日(木)に投稿した記事『クリスマスの奇跡を期待するユダヤ教徒たち?』にも書いたように、この苦しい状況下でユダヤ教徒たちがローマ教皇に助けを求めているくらいですから。

 

 

 

 

私でさえ「東京ユダヤ教歳時記」という、私が2019年11月に職業訓練校の「WEBサイト管理者養成科」の卒業作品として制作したサイトが突然に「このサイトで重大なエラーが発生しました。WordPress のトラブルシューティングについてはこちらをご覧ください。」というメッセージと共にログイン不能になってから悔しい思いをしていましたが、その「東京ユダヤ教歳時記」が消えてしまったことが今ではラッキーだったと思うようになりました。2012年1月から約8年間大森にあるユダヤ教超正統派シナゴーグに通っていた私でしたが、反シオニストと反ユダヤ主義の区別がつかない非ユダヤ教徒たちによって叩かれずに済みましたから。それでも2021年7月12日(月)にログイン不能になり更新を止めざるを得なくなった以前のブログ『Baruch Hashem』には、これでもかというくらいに私がユダヤ教徒と共に過ごした8年間の痕跡が残っていますが。

 

 

下差し この映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』は、1858年にボローニャ市内で実際に起こった出来事だそうです。そんなことあるの?と今であれば驚きますが、第1バチカン公会議があったのが1869年12月からですので、それ以前の出来事になります。

 

(画像提供:WIKI エドガルド・モルターラ)

 

 

上差し 因みに、緊急洗礼(臨終洗礼)は、以下のイグナチオ教会の「信仰のしおり」の説明文にあるように、「司祭を呼ぶことが事情によって困難な場合には誰も洗礼を授けることができます(緊急洗礼)ので」とあります。

 

余談ですが、私のカトリック信者である友人が〇〇市立病院で看護婦として勤務していた頃、未信者の方がお亡くなりになる前に緊急洗礼を授けていた時がありました。しかし、ご本人が望まれていらっしゃったかどうかは分からないですが。(※ 多分、ヘセドの一環として一方的にやっていたと思う。)

 

(画像提供:イグナチオ教会 信仰のしおり)

 

 

下差し こちらが、実際のエドガルド・モルターラ神父の現役の頃、子供の頃の写真です。

 

映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』の中のシーンで、まだ6歳だったエドガルド・モルターラ少年が聖堂の祭壇にあった十字架に磔にされていたキリスト像に近寄り、キリストの手足に打たれていた木製の釘を抜くシーンがあります。その後、キリストを助けようとしたエドガルド・モルターラ少年の前にキリストが十字架から下りて来て座り「ありがとう!」と言うシーンが出てきます。その時にエドガルド・モルターラ少年は、幼いながら自らキリスト者として生きる決意をしたのでした。

 

そして、1940年3月11日に亡くなるまで司祭としてベルギーで司牧活動をされていたとのことです。

 

(画像提供:From Edgardo Mortara to Franco Cesana. What the story of two Jewish children teaches Meloni’s Italy)

 

 

 

下差し ユダヤ教徒の子供だからという偏見もなく立派な聖職者になるようにエドガルド・モルターラを大切に育てたのが、このローマ教皇ピウス9世でした。

 

 

 

そして、WIKI「ピウス9世」からの情報によると、「ピウス9世と日本は縁があり、1862年に日本二十六聖人を列聖したのがピウス9世であり、1868年には長崎での信徒発見(ベルナール・プティジャンを参照)のニュースに対して喜びをあらわす書簡を発表している。」と書かれてありました。

 

2000年9月3日にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福されたとのことです。

 

 

下差し コロナ流行後から座席指定がお隣の席の1つ飛ばしになっている為、平日であったものの満席に近い状態でした。恐らく、映画『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』の物語の内容を理解するには前以てある程度の専門知識が必要だと思うので(当時の歴史的な状況や宗教的な知識)、観客の殆どはキリスト教徒なのではないか?と思いました。・・・っていうか、一般の日本人向けに制作した映画ではないと思いました。

 

 

下差し 柏駅付近にあるキネマ旬報シアターの待合室は、雑誌やチラシなどが展示されています。

 

 

下差し 熊本県とは関係ないと思いますが、黄色とくまもんって合いますね。