下差し 2024年5月5日(土)、在日ウクライナ正教会の大復活祭が夜8時から行われました。2023年度の大復活祭の様子をお知りになりたい方は、こちらの記事をお読み下さい。

 

 

 

下差し 一般的にというか、2024年度の西方教会の復活祭は「3月31日(日)」でした。しかし、2023年9月1日からユリウス暦を廃止しグレゴリオ暦を採用したウクライナ正教会ですが、どうして復活祭だけは西方教会の復活祭の主日である3月31日(日)ではなく5月5日(土)なのか?不思議に思ったので調べてみました。

 

※ 結局のところ、ウクライナ正教会ではユダヤ教の年中行事を意識して設定したとのことでした。確かに、ユダヤ教の過越祭(ペサハ)が終わっていないのにイエス・キリストの復活をお祝いするには少々違和感がありますからね。因みに、日本語では「最後の晩餐」と呼ばれているユダヤ教の過越祭(ペサハ)が行われたのは、2024年4月22日(月)でした。その後にイエス・キリストのご受難があります。

 

(画像提供:Christmas together with Catholics, and Easter separately: why?)

 

下差し 検索して調べた結果、以下のサイト「Why Ukraine's Catholic and Orthodox churches celebrate Easter after Western Catholic and Protestant churches」で、その理由が説明されていましたので記事を和訳してご紹介したいと思います。

 

(画像提供:Christmas together with Catholics, and Easter separately: why?)

 

<記事の和訳始め>

 

ウクライナのカトリック教会と正教会が西方カトリック教会とプロテスタント教会の後に復活祭を祝う理由

 

ウクライナ正教会 (OCU) とウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC) は 5 月 5 日に復活祭を祝います。つまり、大多数の東方正教会と同じ時期です。

 

しかし、ローマ。カトリック教会とプロテスタント教会では、既にその1か月前の3月31日に復活祭を祝ってしまいました。

 

2023年度のクリスマスだけは、ローマ・カトリック教徒やプロテスタント教会と一緒にお祝いしたはずなのに、復活祭だけ別々にお祝いするのは何故なんでしょうか?

ウクライナ正教会 (OCU) とウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC)では、新しい教会年度が始まった2023年9月1日に改訂ユリウス教会暦に切り替えた後、その殆どの聖なる祝日の日付を西方教会に合わせて従来使用していたユリウス暦よりも13日前に遅らせることにしました。その為、ウクライナ正教会 (OCU) とウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC)は、正式に毎年西方教会と同じように12月25日にクリスマスをお祝いすることにしました。

 

西方教会のキリスト教徒 (ローマ カトリック教会、プロテスタント、及び、多くの東方カトリック教会や東方正教会) は、改訂ユリウス教会暦ではなくグレゴリオ暦を使用しています。

それらの違いは、主に復活祭を含む、いわゆる「
移動祝日」という日付の固定しない教会の聖なる祝日の日付がどのように決定されるで明らかになります。

 

ユリウス暦 (各々の東方正教会、特にロシア正教会が使用する) とウクライナ正教会 (OCU) とウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC)が使用する改訂ユリウス暦では、いわゆる古典的な復活祭計算方法「コンプトゥス・パスカーリス (computus paschalis)」 で計算されます。 つまり、それが復活祭の日付を決定する際の計算方法です。 この計算方法は、毎年12月25日にお祝いするクリスマスとは異なり、復活祭は移動祝日という日付の固定しない祝日となります。日本の春分の日のように春分点を天文計算によって決定されおり、因みに、キリスト教の教会暦において春分の日は3月21日に固定されています。復活祭日の計算に欠かせない日である。 この原則は1054年にローマ・カトリック教会と東方正教会に分裂する前に承認されていた為、キリスト教世界全体に普及していました。

 

 

この原則は、復活祭の日付を決定するに際し以下の条件が満たさなければならないことになっています。

 

〇 3月21日(春分の日)まで
〇 春分後の最初の満月(満月)より早くないこと
〇 満月後の最初の日曜日に祝われる
〇 キリスト教徒が信じているように、イエスの磔刑と一致するユダヤ人の祝日であるペサハ(または過越祭)の前には行わないこと。

 

※ ⇒ 従って、イエス・キリストの復活の日はユダヤ教の過越祭(ペサハ)の前であってはいけない。この規則は第1回ニカイア公会議の後に登場したものです。

 

この計算によると、正教会の復活祭は2024年 5 月 5 日になると計算されました。これは太陰ユリウス暦によるもので、この計算により 4 月 3 日より前の日付が得られた場合、1 か月以上スキップされることになります。

 

この計算は元々は、東方正教の中心地の 1 つであるエジプトの古代都市アレクサンドリアで使用されていました。その為、この方法がウクライナ正教会、東方正教会にも導入されました。 ブルガリア正教会、ギリシャ・ビザンチン正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会、及び、ウクライナのギリシャ・カトリック教会、エルサレム・アルメニア総主教庁、エリトリアおよびエチオピアの東方カトリック教会、エチオピア正教会、エリトリア正教会、コプト正教会、シリア東方正教会や東方の古代教会でもそうです。

 

ウクライナ正教会 (OCU) とウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC)は、ユリウス暦から改訂ユリウス暦に切り替えた際、「伝統的なイースターを維持しながら」新暦への移行を行っていると別途指摘しました。

 

だからこそ、ウクライナ正教会 (OCU) とウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC)は、半永久的にローマ・カトリック教会やプロテスタント教会の信者だけでなく、その他の東方正教会のキリスト教徒と共に全ての「復活祭」の主日をお祝いすることになります。 これは復活祭だけでなく、その日付に応じた聖なる祝日(マリア昇天祭や聖霊降臨祭、つまりキリスト教のキリストの復活後40日目と50日目の教会の祝日など)にも当てはまります。

 

グレゴリオ暦は、天文学的な観点からより正確な計算を使用します。 現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦による太陽暦の差は13 日です (20世紀と21世紀)。

 

2024年の最初の満月は 3 月 25 日、春分点は 3 月 20 日であった為、復活祭はグレゴリオ暦に基づいて 3 月 31 日に祝われました。

 

グレゴリオ暦の要件を考慮すると、45% の場合、復活祭はユリウス暦を使用する教会よりも 1 週間早く祝われます。 復活祭の日付が一致するケースは 30%、ケースの 5% ではその差は 4 週間、20% ではその差は 5 週間になります。 但し、ローマ・カトリック教会と東方正教会の復活祭の間に 2 ~ 3 週間の違いが生じることはあり得ません。

 

ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC) のイホル・ウォズニアック大司教(Ігор Михайлович Возьняк)によると、ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC) は既に長年に渡って復活祭の祝賀をローマ・カトリック教会とコラボレーションさせることができると想定していたとのことです。

 

「来年 [2025年]、我々はローマ・カトリック教会と一緒に4月20日に復活祭を祝うことになりますね。(西洋と東洋のキリスト教徒にとって大いなる記念すべき日となる)。恐らく今後は、全ての主要な祝日を共同で祝うことになるでしょう。」 」と彼は2024年2月に喜びと共に語りました。

 

<記事の和訳終わり>

 

 

下差し 確かに、ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会 (UGCC) のイホル・ウォズニアック大司教(Ігор Михайлович Возьняк)がおっしゃるように来年(2025年度)の復活祭は西方教会の復活祭と同じ日お祝いします!ということですから、現在在日ウクライナ正教会が使用している聖オルバン教会聖公会・英国国教会)の復活祭とバッティングしてしまう訳です。さあ~、どうしよう?

 

 

でも、ご心配なく!そうなると、2023年度のクリスマスの時と同じように在日ウクライナ正教会の信者が集える聖堂を他で探すことになるのかな?と思いましたが、その必要はないようですね。在日ウクライナ正教会の復活祭は夜8時から始まりますから。

 

 

十字架 このイエス・キリストが復活されたシーンが描かれている御絵は、今日のこの復活祭までは白い布で覆われていました。その覆っていた白い布を捲ることによって墓から復活したことを意味します。

 

 

下差し お亡くなりになられたイエス・キリストを十字架から下して嘆き悲しむ聖母マリアとその姉妹、クロパの妻マリアと足元にいる聖マグダラのマリア、聖母マリアを世話することになる聖ヨハネが描かれています。(ヨハネの福音書)

 

 

下差し イエス・キリストの復活を表し、煌びやかに栄光に輝いている聖書が置いてあります。

 

 

下差し このロウソクに火を灯して聖オルバン教会周辺の街中を歩いて回りました。

 

 

下差し 復活祭の為の讃美歌のウクライナ語の歌詞を印刷した用紙も配布されました。

 

 

下差し このキャンドルサービスの後で参加者全員で外に出て街中を歩き回ることになりますが、この日の夜は風が強かったのでロウソクの火が何度も消えました。

 

残念ながら、余りにも炎が風で揺れていた為、その炎が紙コップに飛び火して私の紙コップが焼けてしまいました。どうしようもないので燃えている紙コップを地面に落として靴で踏み潰して無事に消火することができました。

 

 

下差し キャンドルサービスの後に一旦参加者全員で聖堂の外に出て祈ってから

 

 

下差し 街中を歩き回ることになりますが、このドアをイエス・キリストの墓に見立てているようでした。

 

実際には、初代教会時代には土葬ではなくパレスチナ地方の岩の穴の中にイエス・キリストのご遺体を入れて葬った訳ですが、その際に大きな石を転がしてドアのようにしてフタをしたと聖書に書かれてあります。その大きな石のドアがこの聖堂のドアですね。

 

 

下差し そして、街中を歩き回って聖オルバン教会に戻るとポール司祭がウクライナ語の祈りを捧げて墓の石に見立てた聖堂のドアを金属製の十字架で3回叩きました。「キリストさま、生き返って下さい!」と叫んでいるようでした。

 

 

下差し ちゃんと司祭用のロウソク3つにも紙コップが付けられていました。いいアイデアですね。

 

 

 

下差し 2024年5月5日(日)のランチ時間に世田谷区にある砧公園(きぬたこうえん)でウクライナ式ピクニックが開催されました。