(画像提供:e-VIVID ―集いのお知らせ― 4月号)

 

下差し 2024年4月21日(日)、カトリック神田教会で午後2時から行われたトリエント・ミサに与りました。

 

 

十字架 私が知らなかっただけなのですが、在日フランス人カトリック共同体の主任司祭であるジェローム・デ・ラ・バティエ神父PERE JEROME DE LA BATIE)さまによるトリエント・ミサは今日で6回目のようです。

 

 

以前の記事『[正統カトリック聖母の御国] について考える』に書きましたが、正統カトリック聖母の御国の創設者である根本幸雄による「教皇ヨハネ23世と教皇パウロ6世はカトリック教会をぶっ壊した悪魔だ!」という意見に賛同しているからなのか?又は、エキュメニズムによる日本の行き過ぎた独りよがりな典礼の簡素化が問題視されているのか?実際には、どういう訳で再びトリエント・ミサ復興の動きが出てきたのかは、私の立場からは全く分からないです。

 

しかし、現在の日本のカトリック教会(カトリック中央協議会)によって伝統が無視され日本独自のやり方に変更され、世界のカトリック教会のやり方とは誤った別の方向へ突っ走っているような気がしているのは私だけではなかったようです。例えば、聖体拝領前のホザンナの後で跪く動作が省略されたのは日本のカトリック教会だけですからね。

 

十字架 実際に、ローマ教皇フランシスコが即位されてから聖ピオ十世会を元の鞘に収まるようにトリエント・ミサの復興と第2バチカン公会議以前の伝統復興を目指す動きが始まっているようです。

 

(画像提供:聖ピオ十世会)

 

※ 結局のところ、ローマ教皇フランシスコ第2バチカン公会議で決定したことについて納得が行かないまま(当時は、まだ青少年で意見を述べるチャンスがなく)「何かが変だよね」と思いながらも、聖ピオ十世会的な考え方を心の中に仕舞い込んで表向きにはシレっと笑顔でカトリック信者として生きてこられたのかも知れません。

 

実際には、現在の日本のカトリック教会でも「何かが変だよね」と思いながら仕方なく新しいやり方に従っている信者さんも多いのではないかと推測しています。それが理由で、私の知人のように盆暮れにしかミサに出席しない信者も増えたと思います。

 

個人的には、ずっと聖ピオ十世会を支持していたので、これからは日本独自の新しい伝統を無視したプロテスタント的なやり方が廃止され、昭和時代の伝統を重んじるカトリック教会の典礼に戻ってほしいですし、可能であれば第2バチカン公会議がなかったことにしてほしいです。

 

 

下差し 午後1時半頃に撮影しました。トリエント・ミサが始まる10分前頃には満席になっていました。

 

 

下差し 残念ながら、カトリック神田教会の内部のアンティ―クな装飾等を撮影することができませんでしたが、お庭を撮影してきましたので宜しければご覧下さい。

 

 

下差し 主イエス・キリストが羊飼いとなっている像です。旧約聖書の詩編23章1節から6節にある「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。」ですね。

 

 

下差し 幼子イエズスを抱く聖母マリア像です。

 

 

下差し こちらが告解室です。詳細については、こちらのカトリック広坂教会サイトにある説明文をご参考になさって下さい。

 

 

 

 

下差し 日本で最も大きなトリエント・ミサ復興活動団体である『ウナ・ヴォーチェ・ジャパン(Una Voce Japan)』が企画して下さいました。

 

 

下差し トリエント・ミサ復興活動団体である『ウナ・ヴォーチェ・ジャパン(Una Voce Japan)』の会員の方々がギャラリーでグレゴリオ聖歌をラテン語で歌って下さいました。

 

 

十字架 こちらのトリエント・ミサローマ典礼)のミサ式次第の本がカトリック神田教会の売店で1冊1300円で売られていました。トリエント・ミサ復興活動団体である『ウナ・ヴォーチェ・ジャパン(Una Voce Japan)』から出版されたものです。

 

 

十字架 私ではなく、私の後ろの席に座っていらっしゃるご婦人たちに注目して頂けますでしょうか?やはり、このトリエント・ミサローマ典礼)のミサに与る際のルールがあり、女性信者はベールを被ります

 

※ 基本的に通常は白いベールですが、お葬式用の黒いベールを被っておられる方もいらっしゃいました。

※ ユダヤ教ではベール(又は、かつら)を被るのは既婚女性だけですが、カトリック教会の場合は全ての女性がかつら以外のものを被ります。

 

 

お願い こちらのフランス人司祭、ジェローム・デ・ラ・バティエ神父PERE JEROME DE LA BATIE)さまが司式して下さいました。2023年9月に在日フランス人カトリック共同体の主任司祭として着任されたので日本語はおできになりません。

 

※ 個人的な意見ですが、単に関東地域で暮らすフランス系カトリック信者の為だけでなく、伝統的典礼の復興活動の為にトリエント・ミサに関する知識がある外国人司祭として来日されたのではないかと推測しています。

 

 

(画像提供:Communauté catholique francophone du Japon)

 
フランス  2023年7月3日(月)に、この在日フランス人カトリック共同体の主任司祭であったルドヴィッチ・セール神父(Abbé Ludovic Serreが帰国され、その後に着任されたのがジェローム・デ・ラ・バティエ神父PERE JEROME DE LA BATIE)さまです。
 

 

下差し こちらが、カトリック神田教会の売店で1300円で売られていた『ローマ典礼の特別形式のミサ式次第』です。

 

 

下差しローマ典礼(特別形式)」についてお知りになりたい方は、こちらのWIKIをご参考になさって下さい。

 

 

下差し トリエント・ミサが始まる前にラテン語でロザリオの祈りを唱えました。

 

※ 昭和時代に唱えていた「めでたし(現在のアヴェ・マリア)」も50回繰り返して唱えますのでラテン語讃美歌のサルヴェ・レジナのように自然に覚えますね。

 

 

お願い ラテン語の正しい読み方や発音の仕方などYOUTUBE動画を観ながら先唱者とペアになって練習することもできます。

 

 

下差し 第2バチカン公会議によって1965年から各国の言語でミサが挙げられるようになりましたが、1965年というのは私が生まれる3年前のことでした。私が通っていた石川県金沢市内にあるカトリック広坂教会でも(第2バチカン公会議に反してか?)イタリア人司祭たちが復活祭とクリスマスの徹夜ミサではラテン語でトリエント・ミサを挙げ、毎週土曜日の夕方のミサの後には聖母マリア像の前にロウソクを持って立ちラテン語聖歌「サルヴェ・レジナ」を歌いました。

 

 

あの頃の伝統的なトリエント・ミサを挙げていた昭和時代の方が各々の信仰を深めることができたように感じます。私が生まれる3年前の、1965年以前の昭和時代には日本のカトリック教会でも毎週日曜日にはラテン語のトリエント・ミサが挙げられていましたからね。

 

 

カラオケ 一応、この「サルヴェ・レジナ(Salve Regina)」は、私が歌ってYOUTUBE動画に投稿しました。しかし、このラテン語聖歌を歌えるからといって何もスゴイことはないです。私の場合、これを門前の小僧で覚えましたからね。ドイツ語も勿論、門前の小僧でしたが。

 

昭和時代のカトリック信者は全員これをラテン語で歌うことができます。最近では日本のカトリック教会は伝統を排除してエキュメニズムの影響でプロテスタント的になりラテン語聖歌は歌わなくなりました。

 

 

 

十字架 実際の伝統的なトリエント・ミサをご存知ない方は、是非こちらのYOUTUBE動画をご覧下さい。