下差し 2024年6月22日(土)の記事『Violin For Ukraine by Ms. Chieko Arai』では、バイオリニストの新井智子さんが演奏して下さったウクライナ人作曲家による現代音楽「新ウクライナ学派」についてお伝えしました。

 

 

下差し そして、今回、アーノルド・シェーンベルク(Arnold Schoenberg)などの新ウィーン楽派ユダヤ人作曲家たちによって書かれた楽譜をドブリンガー楽譜店(Musikverlag Doblinger)の店主が一斗缶の中に詰めて土に埋めてナチス・ドイツによって没収されるのを免れたという戦争時代の話を、2024年3月6日(水)の記事「♫ 現代音楽を教えてくれたシュテファンが作曲した曲 ♬」でご紹介したシュテファン・トゥルンマー氏(Stefan Tummer)から聞いたことがありましたので書きたいと思います。

 

(画像提供:Musikverlag Doblinger)

 

※ 最近というかガザ戦争が始まってからイスラエル軍に対する抗議活動が盛んになってしまった為に下書きを保留にしていましたが、そのドブリンガー楽譜店の店主のナチスに抵抗する正義感のある行動を後世に語り次いでいく為にも必要ではないかと思い書くことにしました。

 

 

上差し 私が金沢市内にある大学を卒業して1992年に渡墺してから交際していた、このシュテファン・トゥルンマー氏(Stefan Tummer)の母方の曾祖父がユダヤ系ボヘミア人(当時のオーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方生まれ)だったということで、よく私に戦前のユダヤ人たちの暮らしについて教えてくれました。

 

 

下差し その中の1つが・・・、

 

ナチス・ドイツがユダヤ人作曲家による音楽を禁止していた時代、ウィーン市の中心街にあるシュテファン大聖堂から徒歩10分ほどの場所にあるドブリンガー楽譜店の店主が新ウィーン楽派のユダヤ人作曲家を支持しており、彼らの楽譜を保管しているとのうわさが流れてドブリンガー楽譜店の店主であったベルンハルト・ヘルツマンスキ―・ジュニア氏が逮捕され、合計で約6か月間ダッハウ強制収容所に収容されました。そのドブリンガー楽譜店の店主であったベルンハルト・ヘルツマンスキ―・ジュニア氏が逮捕されダッハウ強制収容所に向かう前にユダヤ人作曲家たちによって書かれた楽譜を一斗缶の中に詰めて土に埋めて隠し、長く続いた戦争が終わった頃にその一斗缶を掘り起こして新ウィーン楽派のユダヤ人作曲家によって書かれた楽譜を再びドブリンガー楽譜店で売り出しました。その勇気あるベルンハルト・ヘルツマンスキ―・ジュニア氏の行動のお陰で現在でも新ウィーン楽派の音楽を私たちは楽しむことができます。

 

・・・というお話でした。

 

(画像提供:一斗缶で炭焼き)

 

※ 私が皆さんにお伝えしたドブリンガー楽譜店の店主がナチス・ドイツに逮捕されダッハウ強制収容所に向かう前にユダヤ人作曲家たちによって書かれた楽譜を一斗缶の中に詰めて土に埋めて隠し、長く続いた戦争が終わった頃にその一斗缶を掘り起こして再度売り出しました、という内容のくだりはシュテファン・トゥルンマー氏(Stefan Tummer)から聞いたものです。

 

※ 実際にそうだったのか?と疑っていらっしゃる方はご自身で現地調査されるか、又は、シュテファン・トゥルンマー氏(Stefan Tummer)に直接ご質問して頂けたら幸いです。

 

 

 

下差し それでは、少しだけドブリンガー楽譜店の歴史についてサイトからの抜粋を和訳してお伝えしたいと思います。

 

(画像提供:Historisch/Musikhaus Doblinger)

 

<和訳始め>

 

「ドブリンガー楽譜店」 - 1817年からウィーンに


ウィーンでの1917年の出来事、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンはロンドンから第 9 交響曲の作曲依頼を受けました。フランツ・シューベルトは不朽の名曲「音楽に寄せて」をはじめ、数多くの曲を書き残しました。音楽友の会(Die Gesellschaft der Musikfreunde)は、歌唱学校を創設し、今日の音楽大学と舞台芸術大学の基盤を築きました。そして、この物語は、2代目のドブリンガー楽譜店の所有者の名前である「ドブリンガー」に因み、ウィーン市街地にあるドロテア通りの「デア・ドブリンガー(Der Dolinger)」として長く知られ音楽と共に生きる人生を豊かなものにし、この世になくてはならない楽譜店の始まりでもありました。

 

(画像提供:Historisch/Musikhaus Doblinger)

 

1817年 8 月 1 日、恐らくですが、プロイセン王国からウィーン市にやって来たフリードリヒ・マインツァー(Friedrich Mainzer)という人物が、ドロテア通りとシュタルブルク通りの角っこに楽譜貸出所を設立しました。この楽譜貸出所は数年後には販売部門も併設されました。1836年にそのフリードリヒ・マインツァー(Friedrich Mainzer)が悲劇的な最期を遂げ、遺体がドナウ川から引き上げられてから分かったことは明らかにビジネス上の理由というよりも個人的な理由によるものだということでした。その離婚した妻のテレジアは、適用法に基づいて相続人となり死後売りに出されるまで繁盛していた楽譜貸出所の事業を経営し続けました。創立から40年後、新しい店主と交代することになりました。当時、リヒャルト・ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」の作曲に取り掛かり、ジュゼッペ・ヴェルディは「シモン ボッカネグラ」の初版を上演し、フランツ・リストはワイマール市内で「ファウスト交響曲」、ドレスデン市内で「ダンテ交響曲」を新作として上演していました。その楽譜貸出所の新しい店主の名前はルートヴィヒ・ドブリンガー(Ludwig Doblinger)で、その後も何回か店舗移転をするが伝統ある楽譜貸出所は、現在でもこの昔の店主のルートヴィヒ・ドブリンガー(Ludwig Doblinger)に因んで「ドブリンガー楽譜店」と名乗っています。ルートヴィヒ・ドブリンガー(Ludwig Doblinger)は 1890年、ナポレオンとの第 5 次対仏大同盟戦争の直前に田舎の宿屋の息子として生まれました。彼は既に1843年からウィーン市内のボーグナー通りでフランツ・クサーヴァー・アッシャー商会の事務員として働いており、その社長であったフランツ・クサーヴァー・アッシャーは(転職の際に必要な)推薦状の中で彼を「常に非常に活動的で秩序正しく、あらゆる点で道徳的で信頼できる」と評しています。これは独立した音楽ディーラーとしての正式なライセンスを得る為に必要な前提条件であり、法廷で合法的な取得権利が証明されなければならない為、ついでに3000グルデンの金融保証も必要でした。ヨハネス・ブラームスの「ハイドン変奏曲」とジュゼッペ・ヴェルディの唯一の弦楽四重奏曲が作曲された1873年に、彼はついにドロテア通りで新しい店主となり、現在でも「デア・ドブリンガー(Der Dolinger = ドブリンガー楽譜店)」はそこに存在しています。

 

(画像提供:Historisch/Musikhaus Doblinger)

 

楽譜貸出所としての経営上での歴史における次の大きな節目として、1876年に次の新しい店主となるベルンハルト・ヘルツマンスキー(Bernhard Herzmansky)が買収した後も、この楽譜貸出所は「デア・ドブリンガー(Der Dolinger = ドブリンガー楽譜店)」のままでした。年老いた先代の店主であったルートヴィヒ・ドブリンガーは引退を望みました。子供の頃に両親と共にボヘミア地方からウィーン市に移り住んだベルンハルト・ヘルツマンスキー(Bernhard Herzmansky)少年は、24歳になると父親の遺産を有利に投資するために「宿屋か音楽店」を経営することを思い描いていたのだと口承で伝えられています。ベルンハルト・ヘルツマンスキー(Bernhard Herzmansky)は、既に誰もが知る有名になった先代の店主の名前をそのまま残し、括弧内に自分の名前だけを追加するだけに留め、それから新たに出版社を設立して楽譜貸出所を二の次にしました。その後、ベルンハルト・ヘルツマンスキー(Bernhard Herzmansky)は、それまで全く想像もできなかった方法で音楽界を形作る上で積極的な役割を果たすことになります。カール・ミヒャエル・ツィーラー(Carl Michael Ziehrer)、フランツ・レハール(Franz Lehár)、エルンスト・フォン・ドホナーニ(Ernst von Dohnányi)、カール・ゴルトマルク(Carl Goldmark)、アントン・ブルックナー(Anton Bruckner)、グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)などが作曲した曲の楽譜は、この楽譜貸出所の出版社で印刷され、そして、販売された著名な作曲家のほんの一部にすぎません。この成功物語は第一次世界大戦後も続き1921年に彼の父の死後、ベルンハルト・ヘルツマンスキー・ジュニア(Bernhard Herzmansky Junior)によって引き継がれました。しかし、オーストリアがヒトラーのナチス・ドイツに併合されたことは痛烈な打撃でした。ベルンハルト・ヘルツマンスキー・ジュニア(Bernhard Herzmansky Junior)は、そのわずか数日後に逮捕され、ウィーン市内で約3か月服役し、その後にダッハウ強制収容所でさらに3か月を過ごし、楽譜貸出所と出版社の営業を停止せざるを得なくなりました。しかし、戦後、ダッハウ強制収容所から帰還したベルンハルト・ヘルツマンスキー・ジュニア(Bernhard Herzmansky Junior)は、営業停止から復活して再び楽譜の販売と印刷出版の最先端を維持し、魅力的で芸術的に価値のある製品を世の中に提供し、宣伝するという絶え間ない努力を続けました。

 

ベルンハルト・ヘルツマンスキー・ジュニア(Bernhard Herzmansky Junior)の孫であるクリスチャン・ヴォルフ(Christian Wolff)と曾孫のヘルムート・パニー(Helmuth Pany)によって、この精神で会社の家族経営の歴史は引き継がれ、2009年以降はオーナー兼マネージングディレクターとして根本的に変化する楽譜印刷の世界で常に新しい課題に立ち向かうことになった玄孫のピーター・パニー(Peter Pany)まで続きました。2021年、ドブリンガー楽譜店はその出版社から分離され、現在はアンドレアス・ランナー(Andreas Lanner、親類ではない)の経営の下で独立した会社として運営されています。

 

徹底的な近代化が継続され音楽愛好家は、ヨーロッパで最も広範な楽譜の品揃えを誇るデア・ドブリンガー(Der Dolinger = ドブリンガー楽譜店)の店舗で直接、又は、世界どこにいても(顧客に)注文できるようネット通販での販売も始めました。又、自分が探している楽譜をネット上で閲覧できるだけでなく、熱心で高度な訓練を受けた専門家のアドバイスを受けることもできます。

 

<和訳終わり>

 

 

下差し こちらが、現在のウィーン市内のドロテア通りにあるデア・ドブリンガー(Der Dolinger = ドブリンガー楽譜店)です。実際には、ショーウィンドウの上の黒色の帯に金色の字で「Musikhaus Doblinger」と看板代わりに記されています。

 

(画像提供:Google Map - Dorotheergasse 10, 1010 Wien, Austria)

 

 

下差し ここで、私が最も気に入っている新ウィーン楽派の有名な作曲家であるアルバン・ベルク(Alban Berg)の「Die Nachtigall (『7つの初期の歌』の3番目)」をご紹介します。

 

※ これを歌うスイス系カナダ人声楽家のシモーネ・マッキントシュさんをご存知の方は日本では少ないのではないかと思いますが、個人的には彼女の声の質と歌い方が好きです。我が家のジョナもこれを聴くと気持ち良さそうに寝てしまいます。

 

 

下差し こちらのオペラ「LULU」も新ウィーン楽派のアルバン・ベルク(Alban Berg)の作品です。とても気に入っています。

 

※ 2024年3月6日(水)の記事「♫ 現代音楽を教えてくれたシュテファンが作曲した曲 ♬」でも書きましたが、東ドイツのドレスデン市内にある州立歌劇場でシュテファンが「今世紀、最後の上演になるかも知れないから」と言い、その時に一緒に観て大好きになった作品です。それ以前は十二音技法の現代音楽の作品を聴くと頭痛がしていたものの、オペラ「LULU」を観てからは頭痛がしなくなりました。

 

 

下差し このアーノルド・シェーンベルク(Arnold Schoenerg)の作品「Pierrot Lunaire(月に憑かれたピエロ)」は日本人の多くの方もご存知と思います。この歌のリズムとシュプレヒシュティンメ(Sprechstimme)と呼ばれる歌い方が大好きです。

 

 

下差し これらが、2006年に私がドイツから本帰国した際に持ち帰った新ウィーン楽派のCDです。

 

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェのCDもありますが、またトレーニング不足の為か聴くと頭のネジが曲がります。

 

 

下差し 声楽家の白井光子さんが歌うアルバン・ベルク(Alban Berg)の『7つの初期の歌』のCDがドイツで売られていました。

 

 

下差し こちらが、アルバン・ベルク(Alban Berg)のオペラ「LULU」のCDです。当時、まだDVDがありませんでした。

 

 

下差し こちらは、アーノルド・シェーンベルク(Arnold Schoenerg)の「Pierrot Lunaire(月に憑かれたピエロ)」のCDです。

 

 

下差し そして、こちらは、シュテファン・トゥルンマー氏(Stefan Tummer)が好きだったルーマニア生まれのユダヤ系ハンガリー人であるギョルギ・リゲティ(Ligeti György)のCD「lux aeterna」です。彼の作品にはルーマニア民謡をアレンジした作品のようですが、私にはまだ無理ですね。

 

 

下差し こちらが、このCDに納められている「lux aeterna」です。

 

 

下差し そして、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェの作品を聴くと頭のネジが曲がりそうと先ほど書きましたが、そのCDに収められているのが、こちらになります。是非、ご興味がおありの方はお試し下さい。