2024年6月17日(月)に投稿した記事「ブルガリア人って命日の祈祷会を必ずします」で告知させて頂いたように、聖オルバン教会で午後6時45分から開催されたバイオリニスト新井智子さんによる演奏会『Violin For Ukraine by Ms. Chieko Arai』に行ってきました。

 

 

 

下差し 私が聖オルバン教会に到着したのが、午後6時20分頃でした。開演が午後7時からということでしたが、それでも既に5人ほど観客の方々がスタンバイされていました。

 

 

下差し 午後6時半頃に撮影しました。(行った証拠写真)私が座っていたのは、前から2列目でした。

 

 

下差し 午後7時の開演までの数分間、バイオリニストの新井智子さんは練習をされていました。

 

 

下差し 今回、演奏して下さった曲目は以下の通りです。また、後ほど詳しくご紹介します。

 

 

下差し それにしても、10分休憩までに演奏して下さった3つの曲は比較的に新しいというか、現代音楽のウクライナ版でした。しかし、ウクライナでは『ポストモダン(脱近代主義)』や『新古典主義から戦後の前衛の流れを汲んだ』の音楽と呼ばれているようですけど。主に1990年代初頭にかけて、ウィーンで活動した作曲家の集団「新ウィーン楽派」のウクライナ版ですね、「新ウクライナ学派」と表現するか分からないですが。一般的にはクラシック音楽とは少し異なり十二音技法で作曲された音楽が現代音楽です。

 

※ 2024年3月6日(水)の記事「♫ 現代音楽を教えてくれたシュテファンが作曲した曲 ♬」にも、そのシュテファンが教えてくれた現代音楽について書きましたが、今回もまた当時のことを思い出しながら新井智子さんの演奏を聴いていました。懐かしさとウクライナの現状の悲しさとが合わさって前半の演奏で涙が出てきました。

 

私の後ろの席に座っておられた聖公会所属のご夫婦も「何か、普通と違った曲ね~!」とおっしゃっていたので、私が「多分、ウクライナの現代音楽だと思いますよ、お聞きしてきますね!」と言って、休憩中に新井智子さんがいらっしゃる楽屋へ行き質問しました。すると、やっぱり、新井智子さんが演奏された曲はウクライナ人作曲家による現代音楽でした。

 

休憩後に演奏された5番目の曲「Valentyn Sylvestrov - Serenades for solo violin」の楽譜は入手困難とのことで、新井智子さんのお友達が楽譜をこの日の為に取り寄せて下さったそうです。かなり気合を入れて準備して下さったようです。ありがとうございました。

 

 

 

下差し その、私の後ろの席にいらっしゃった聖公会所属のご夫婦と話していたのですが、ウクライナ人作曲家による現代音楽が日本で演奏されるのは、今回が最初で最後になると思います。是非、このウクライナ人作曲家による現代音楽をウクライナの文化遺産として各地で演奏し広めて頂きたいです。

 

 

 

 

下差し それでは、バイオリニスト新井智子さんが本日の演奏会『Violin For Ukraine by Ms. Chieko Arai』で演奏して下さった曲目と作曲家をご紹介します。

 

 

① Ivan Karabyts - The Musician

 

 

※ 英語WIKIの説明にあるのは、「カラビツの初期の作品は、音楽言語の表現力と独自のスタイルの探求、そして作曲家による十二音法の自由な使用によって特徴づけられる。初期の作品のほとんどは室内楽作品であり、その中には声楽とピアノのための『民謡による三つの歌』(1969年)、声楽、フルート、ビオラのための『ヤヴドハ・ズイハの歌』、独奏バイオリンのための『音楽』(1974年)など、ネオフォーク様式のものもあった。」です。やっぱり、新ウィーン学派と同様に十二音法を使っているようです。

 

 

 

 

② Igor Loboda - Requiem

 

 

※ 英語のサイトの説明文を和訳すると、

 

彼の作品は現在140曲にのぼり、そのうちのいくつかは Schott-Verlag社から出版されています。ギドン・クレーメル、リアナ・イサカゼ、マーシャ・ディミトリエヴァ、アンナ・グラリ、リサ・バティアシヴィリなどの著名な演奏家が彼の作品を演奏しています。イゴール・ロボダは 7 歳の時、コンスタンチン・ヴァルデリとレオ・シウカシヴィリ教授からバイオリンのレッスンを受けました。1974年から 1979年まで、トビリシ音楽院で A. シャヴェラシヴィリ教授に、また、サンクトペテルブルク市ではジトヴィッチ教授に作曲を学びました。トビリシ (1976年) とモスクワ (1978年) の作曲コンクールで賞を受賞しました。1981年以来、イゴール・ロボダはインゴルシュタット市のジョージア室内管弦楽団のメンバーであり、同管弦楽団のために数多くの編曲を書いています。彼の作品は、ジョージアとロシアの民俗音楽の影響とジャズ特有の感覚が特徴的です。

 

「作曲家兼バイオリニストであったイゴール・ロボダは『インゴルシュタットの悪魔のバイオリニスト』として知られていますが、彼は才能あるバイオリニストであるだけでなく、同様に優れた作曲家でもあります。1956年にトビリシ市で生まれ、彼の母親が歌う鼻歌からジョージアの故郷のメロディーを吸収しました。1990年に仲間の音楽家たちとともにインゴルシュタット市にやって来て、ジョージア室内管弦楽団のメンバーとして定住しました。その為、自分の作品を書く時間は殆どありませんでしたが、それでも、注目に値する非常に技巧的で独創的な作品を長年に渡って書き上げました。

彼の音楽的トレードマークは、いたずら好きなコメディと謎めいた真剣さを融合させた紛れもない物語スタイルです。これは明らかに、インゴルシュタット市とその地域が彼の作品が再び演奏されることを熱望している証です。」(ハイケ・ハベル – インゴルシュタット文化運河)
」とあります。

 

 

 

 

③ Hanna Havrylets - Ex-libris for solo violin

        I. Moderato Improvizaciono

        II. Risolute ed appassionato

        III. Allegretto

        IV. Allegro con fuoco

 

 

※ 英語のサイトの説明文を和訳すると、

 

ハブリレツはウクライナのイヴァーノ=フランキーウシク州にあるヴィディニフ村で生まれ、故郷のヴィディニフ村でヴァシル・クフリウク先生から音楽教育を受けました。ハブリレツは1958年にリヴィウ音楽院を卒業し、そこでヴォロディミル・フリスに師事しました。その後、キエフ音楽院でミロスラフ・スコリクに師事し、1984年に卒業しました。

1985年、ハブリレツはウクライナ作曲家連盟のメンバーになりました。彼女は評論家として働き、その後1992年にピョートル・チャイコフスキー国立ウクライナ音楽アカデミーで教鞭をとりました。1999年にウクライナ・シェフチェンコ国家賞を受賞し、2005年にウクライナ功労芸術家になりました。

ハヴリレツはその後も数々の賞を受賞し、イヴァンナ・マリアン・コッツ国際作曲家コンクール(1995年)、「第三千年紀の霊的詩篇」コンクール(2001年)、合唱祭「黄金のドームのキエフ」(2001年)、ヴェデラルト賞「キエフ」(2005年)、オルガ王女勲章(2008年)、聖ヴォロディミル勲章(2005年)など、いくつかのコンクールで優勝しました。

2017年、ハヴリレツはウクライナ国立芸術アカデミーの通信員として選出されました。

ハヴリレツは、ロシアのウクライナ侵攻3日目の2022年2月27日にキエフ市内で63歳で亡くなりました。紛争が続いていたため、間に合うように医療援助を受けることができなかったとのことです。

 

 

 

④ Ivan Khandoshko - Violin Sonata Op. 3 No. 2 in Eb major - I. Andante

 

 

 

 

※ 英語のサイトの説明文を和訳しようと思いましたが、この作曲家イヴァン・ハドシュキンの作品や作曲家として人生に関する情報が殆どありませんでした。そのままお聴き下さいますようお願い致します。

 

 

 

⑤ Valentyn Silvestrov - Serenades for solo violin 

 

 

※ 日本語WIKIがありましたのでお読み頂けたら幸いです。

 

 

 

 

⑥ Andriy Shtoharenko - Fantasia for solo violin

 

 

※ 英語のサイトの説明文を和訳すると、

 

アンドリー・シュトハレンコはウクライナのノヴィ・カイダキ村(現在はドニプロ市の一部)で生まれました。1936年にS.ボハティリオフの下でハリコフ音楽院を卒業しました。1921年から1930年にかけて中学校で音楽の教師を務めました。1926年にはアコーディオンアンサンブルの指揮者になりました。

1944年にソビエト連邦共産党員になりました。1954年からはキエフ音楽院で講義を担当しました。1960年に教授になり、1968年には上記の音楽院の学長になりました。1968年からはウクライナ作曲家連合の理事長として活躍しました。

作曲家としてソビエト連邦内ではよく知られていましたが、彼の音楽が他で演奏されることは殆どありませんでした。彼は1946年と1952年に作曲した曲でスターリン賞を受賞し、ソ連人民芸術家という名誉ある称号を授与されました。長いキャリアの中で音楽の教授、ハリコフ音楽院、キエフ音楽院の学長など多くの役職を務めました。

 

元々はボタン式アコーディオン奏者として卒業し、その後作曲家として再出発しました。ほぼ全てのジャンルの作曲を手掛け、主にオーケストラ、ソロピアノ、声楽の作品を書きました。また、数多くの映画音楽も作曲しました。室内楽は作品のほんの一部に過ぎないものの批評家から高く評価されていました。シュトハレンコの音楽は、ムソルグスキーやボロディンの影響が見られ、作品の多くはプログラム的かつ描写的な性質を帯びていると言ってもいいでしょう。シュトハレンコの作品の殆どは共産党を讃える政治的テーマを扱っています。また、第二次世界大戦やソ連諸国民の友好といったテーマを扱った作品も多数あります。」です。

 

 

 

 

下差し チラシには、「非予約制 先着100名 入場無料 会場にてウクライナ人道支援募金受け付けます。」とありましたが、これはキリスト教では「募金しない奴は、無慈悲で冷たい心を持った不信仰者だ!」という意味になるので(自分も含めてキリスト教徒はワザとらしく親切さをアピールして優しそうだが腹黒い傾向があり)、少しで申し訳なかったのですが、3000円を寄付してきました。ウクライナの方々のお役に立てると良いです。