上差し 2024年2月13日(火)、四ツ谷駅付近にある日本コントラクト・ブリッジ連盟で用事を済ませた後、イグナチオ教会に立ち寄り生前にお世話になったクラウス・ルーメル神父さまのお墓参りをしました。

 

 

 

下差し 私がまだ日本に本帰国したばかりの頃、2006年4月に千葉県浦安市内で暮らすことになりました。毎日そこから東京都内にある職場に通っていた頃には職場までの中間地点である東京駅までは定期券を使って電車で気軽にくることができたので、毎週日曜日にはイグナチオ教会のミサに出席していました。そして、そこでクラウス・ルーメル神父さまとのご縁を頂き、ヤヨイさんやカトリック信者のご年配のご婦人たちと共に毎週土曜日に上智大学構内のSJハウス(イエズス会の修道院)に隣接するクルトゥルハイム聖堂クラウス・ルーメル神父さまによる聖書研究会に参加していました。しかし、クラウス・ルーメル神父さまが上石神井のロヨラ・ハウス(上智大学神学部の敷地内にある司祭専用老人ホーム)に移られてからはクラウス・ルーメル神父さまにお会いすることは殆どなくなり、その2年後くらいにクラウス・ルーメル神父さまがお亡くなりになられました。

 

 

 

下差し クラウス・ルーメル神父さまについては、以前に投稿した記事「ルーメル神父様の教会(世界平和記念聖堂 - カトリック幟町教会)」でもお伝えしました。

 

 

下差し 上石神井のロヨラ・ハウスに住んでいらっしゃった頃のクラウス・ルーメル神父さまが体験した広島原爆投下のお話。

 

 

下差し 広島原爆投下の日の貴重な出来事を語るお若い頃のクラウス・ルーメル神父さま

 

 

下差し クルトゥルハイム聖堂でのクラウス・ルーメル神父さまによる聖書研究会、このご婦人方もお亡くなりになられたかも知れません。

 

※ 当時のガラケー携帯電話で撮影しました。

 

 

下差し クラウス・ルーメル神父さまの左隣りに座っている長髪の女性がヤヨイさん、上の段の左から2番目が私です。ヤヨイさんの洗礼式の前日に撮影したと思います。

 

 

下差し こちらが、クラウス・ルーメル神父さまが書かれた本です。クラウス・ルーメル神父さまとペトロ・ハイドリッヒ神父さま、その他の上智大学教授らと共に昭和43年3月(1968年)に日本モンテッソーリ協会を発足させました。

 

 

下差し クラウス・ルーメル神父さまが書かれた本『カトリック信仰を生きる』の裏表紙にメッセージを書いて下さいました。ギリシャ語でソクラテスの名言「無知の知」です、その意味は「私は、私がこの世の殆どを知らないことを知っている。」です。

 

※ ソクラテスの名言「無知の知」というのは、人間は自分と直接関わっている世界のことしか知らないし、国や生活環境、宗教、背景知識(スキーマ)が異なれば自分が持つ価値観も異なるということにも気付いていないし、自分の眼で見ている裏で何をしているのかすら知らない・・・、ということを人間は自覚してないということだと思います。実際に、日本語しか話せない人はドイツ語話者が何を考えているのかすら知らないですからね。

 

 

下差し 日本モンテッソーリ協会の50年の歩みからの抜粋です。昭和42年8月4日(1967年)に「日本モンテッソーリ協会」設立準備会発足。発起人は鼓常良、平塚益徳、クラウス・ルーメルペトロ・ハイドリッヒ、菊野正隆、神藤克彦他10名、連絡事務局を上記に置く。」とあります。丁度、1968年8月4日に私が生まれる1年前のことでした。

 

(画像提供:日本モンテッソーリ協会 50年の歩み)

 

 

下差し もう東京では花粉が飛び始めているとのことですから、もう関東地方では春が始まったのかな?

 

 

下差し 2010年6月6日(日)に行われたバザーのことを思い出しました。こうして日記を付けることで懐かしく過去のことを思い出すことができますね。

 

 

 

下差し 上智大学の横に建っている岐部ホールです。ここでも毎週木曜日にドイツ人司祭のルドルフ・プロット神父さまとのドイツ語で読む聖書研究会が岐部ホールで行われ、私も参加していました。

 

 

 

下差し ルドルフ・プロット神父さまとのドイツ語で読む聖書研究会がこの岐部ホール(茶色のビル)で行われていました。

 

 

 

下差し 現在でも、2023年3月11日(土)に心臓病でお亡くなりになられたルドルフ・プロット神父さまの著書『星の王子さまと聖書』がAMAZONで販売されています。

 

 

 

下差し これらもAMAZONで買い、

 

 

 

下差し ルドルフ・プロット神父さまのサインとメッセージを頂きました。2011年7月7日(木)のことでした。私のクリスチャン名が「Etheldreda」ですが、ドイツ語では「Edeltraud」となります。

 

 

 

下差し 地下室にあるカタコンベへ行くには大聖堂の脇にあるらせん階段を下ります。

 

 

下差し そのらせん階段の上には、聖書物語(イエス・キリストの生涯)が描かれたステンドグラスが飾られています。

 

 

下差し らせん階段を取り囲んでいるステンドグラスです。新約聖書の物語(イエス・キリストの生涯)が描かれた色とりどりのステンドグラスが美しいです。一番左の絵は「主のご降誕(クリスマス・ナティヴィティ)」、その横が「会衆の前で語られるイエス・キリスト」、その横が「最後の晩餐(過越祭・ぺサハ)」

 

 

下差し 「最後の晩餐(過越祭・ぺサハ)」の横が「十字架上のご受難」、その横が「主のご復活(イースター)」

 

 

下差し 「主のご復活(イースター)」の横が「聖霊降臨(ペンテコステ)」、その最後が「主の昇天」です。

 

 

下差し らせん階段を上からみるとこんな感じになっています。

 

 

下差し そして、らせん階段の下から上を眺めるとこんな感じになっています。

 

 

下差し らせん階段から地下室のカタコンベを眺めるとこんな感じになっています。グレゴリオ聖歌のBGMが流れています。

 

 

下差し 地下室のカタコンベとは言っても、イタリアの古い教会の地下室にあるカビ臭いカタコンベではなく近代的な構造になっています。

 

 

下差し 左の壁の前には聖母マリア像、らせん階段の横には洗礼盤が置かれています。

 

 

下差し 最近では、洗礼の儀式の際に洗礼盤を使用することは殆どなくなったのではないかと思います。聖水を額に垂らすだけですからね。

 

 

下差し 聖母マリア像の足元にはインディアンやエスキモー、扇子を持つ日本人や黒人などの全人類の子供たちがまとわりついています。

 

 

下差し こちらも地下室のカタコンベの祭壇の後ろにあるステンドグラスですが、一番右側の聖人は聖フランシスコ・ザビエルだと思います。

 

 

下差し そして、納骨式や命日のミサなどを挙げる祭壇も地下室のカタコンベにあります。

 

 

下差し 聖母マリア像の横にあるステンドグラスに描かれている聖人については、一番左側が幼き聖テレジア、一番右側が大天使ミカエル(剣を持っている)だと思います。

 

 

下差し 聖母マリアのシンボルである白百合も置かれています。

 

 

下差し 今日、たまたま白百合が飾られている訳ではなく聖母マリア像の足元にはどの教会へ行っても百合が置かれていますね。

 

 

下差し こちらで納骨式や命日のミサが挙げられます。

 

 

下差し イエス・キリスト像も置かれています。地震がきても倒れないように固定されているんですかね。

 

 

下差し 地下室のカタコンベとは思えないくらいに清潔的で落ち着いた場所です。

 

 

下差し 復活祭に火を灯す大きなロウソクも飾られていました。

 

 

下差し そして、この門から納骨堂へ入ります。

 

 

下差し イグナチオ教会の大聖堂の地下の部分が全て納骨堂になっているのだと思います、かなり広い空間になっています。

 

 

下差し コインロッカーほどの大きさの納骨箱が並んでいますが、この1つの納骨箱に4人くらいのお骨を入れることができると思います。それか、又は、分骨した分だけ入っているもかも知れません。

 

 

下差し そして、この一角がイエズス会の司祭の方々のお骨が納められています。シルバーの板の上には亡くなられた順番に司祭の名前が彫られています。 

 

 

下差し イエズス会以外の修道会の司祭の方々のお骨が別の場所にあるのかどうか、それについては全く知らないです。

 

下差し クラウス・ルーメル神父さまがお亡くなりなられた次の年にもここを訪れていますが、それが2012年4月15日(日)でした。当たり前のことかも知れませんが、その頃にはまだシルバーのネームプレートもクラウス・ルーメル神父のお名前が掲げられている列で終わっていました。

 

 

下差し その2012年4月15日(日)から約10年たった今日、こんなにもお亡くなりになられた司祭のネームプレートが2倍に増えています。イエズス会の外国人司祭の殆ど80歳以上のお年寄りなので、ここ2 or 3年の間に集中していますからコロナでお亡くなりになられた可能性が高いですよね。

 

 

下差し でも、確かにそうだよな~と思うのは、もうヤヨイさんの息子さんが青少年になってしまわれたのですから。クラウス・ルーメル神父さまがお亡くなりなられた時のことも、ヤヨイさんの息子さんがまだ赤ちゃんだった時のことも私にとってはまだ昨日の出来事のようにしか感じられませんが。

 

 

下差し 作家として有名だったアルフォンソ・デーケン神父さまのネームプレートもありました。しかし、お亡くなりになられたのが2020年9月6日(日)ですからコロナが流行していた最中ですね。

 

上から2番目のフランス人司祭のマルコ・フランシスコ神父さまのネームプレートがありますが、実はマルコ・フランシスコ神父さまが私をこのイグナチオ教会の地下室のカタコンベを教えて下さったのでした。しかし、それはクラウス・ルーメル神父さまがお亡くなりなられる前のことでした。あの頃、もう既に小柄で可愛いお爺さんでイグナチオ教会の中庭のベンチに腰掛けて暇潰しをされていたので、イグナチオ教会の売店で買ったばかりのロザリオを祝別して頂いた時のことでした。

 

 

下差し フランス人司祭のマルコ・フランシスコ神父さま、かなり小柄で身長155センチくらいの方でした。2020年8月16日(日)にお亡くなりになられたということは、やっぱりコロナですかね?マルコ・フランシスコ神父さまと出会ったお陰で色々な方々と知り合うことができました、有難うございました。

 

 

下差し イギリス人司祭であるピーター・ミルワード神父さまのネームプレートもあります。

 

私が中学生の頃に歯医者で順番を待ちながら読んだ本がピーター・ミルワード神父さまが書かれた本『イギリス人と日本人』でした。まだ実家の本棚にあります。そして、3年前に読んだ『ザビエルの見た日本』もそうですね。

 

 

下差し ピーター・ミルワード神父さまがお亡くなりになられたのが、2017年8月15日(火)ですから私が日本に本帰国した後も生きていらっしゃった訳です。でも、個人的には面識がなく、あの頃の私はユダヤ教に没頭していたので今になって考えてみると惜しいことをしたなと思いました。こうして色々なカトリック司祭との関わりによって私の人生ができあがったんだなと思うと感謝の気持ちで一杯です。