(画像提供:袋井市で震度4など静岡県内でも揺れ 石川県能登地方で震度7 大津波警報を発表 余震続く【詳報】)

 

 

2024年1月2日(火)の夜9時頃に新潟県の実家から千葉県流山市内にある自宅に戻りました。そして、帰宅してから羽田空港の機体炎上事故のニュースを知りました。本当に日本国民として良い新年のスタートを迎えることができなくて悲しいです。

 

私の実家がある新潟県内の地域は震度5強でしたが、幸いにも全く地震による被害はなく(実家の2階の廊下にある本棚の本が落ちただけ)怪我人もいませんでした。個人的には感謝です。その代わりに地震で揺れた瞬間に通信不能となりスマホが使用できず不便でした。しかし、私の場合、2011年3月11日(金)に起きた東北地方太平洋沖地震の時は千葉県浦安市内に住んでいたこともありその時と同様に地震が起きた後に通信不能になることは承知の上でした。「地震でソフトバンクのスマホがまた使えんくなったか!五島列島に行った時も圏外で使えんかったしな。」とさっさと諦めて震度5強の地震が起きてから3分後に家族で海抜90メートルの場所にあるキャンプ場を目指して自動車で避難しました。

 

 

 

 

下差し 私の実家は新潟市ではなく別の市町村に属していますので、このYOUTUBE動画で観るような新潟市西区のような被害はなく断水や停電の問題もありませんでした。だから、今後の課題としてソフトバンク社さんにお願いしたいのは「地震に強い通信機能」、そして、「五島列島などの僻地へ行っても使える通信機能」を開発して頂きたいということですね。

 

しかし、震源地の能登半島で被災された方々の場合、停電や断水の問題が起きますからテレビのニュースを観ることもできないし真っ暗闇で寒さに耐えながら朝を待つしかないですからね、本当に可哀想です、戦争がない代わりに無念にも災害で亡くなられた方がいらっしゃる日本ですからね。スマホの通信機能さえ使用できれば崩壊した家の下敷きになっていても助けを求めることができますから、災害の多い日本の国で使用するスマホには "顔が横向きにできる画像修正機能" は必要ないです、ハッキリ言って。地震などの災害に強い、そして、本土から離れた島でも使用可能な通信機能を開発する為の必要性があると思いました。

 

 

下差し 個人的に、私としては東北地方太平洋沖地震の経験者(千葉県浦安市内で、自慢することではないと思いますが)でもありますし、千葉県内に住んでいると毎月のように少なくとも1回は震度3くらいの地震がくるので慣れているというか・・・、揺れを感じただけで震度が分かるんですよね、東北地方太平洋沖地震の時に東京都内で大きな揺れを経験している方はお分かりかと思いますが。それで今回の揺れがいつもと異なることを察知して3分後に自動車で逃げた訳ですが、近所の住人の方々は外に飛び出して茫然と立ったまま互いに「何だこの地震は?」と話合っているだけで危機感もなく当事者意識もない感じでした。

 

 

 

まあ~、私としては勿論のこと危機感はありました。でも、正直な話、日本の自己責任論で自分が他人から非難されたくないという気持ちの方が強かったような気がします。その東北地方太平洋沖地震の際に津波で亡くなられた方というのは危機感がなく何度も警報が鳴っていたにもかかわらず避難せずに自宅待機していた方が多かったと聞いています。だから、分家の叔父2人(父方の叔父2人)の家族が海抜9メートルの市民センターに避難したとか、河川に近い海抜9メートルの神社に逃げたという話を聞いて私は心の中で「あいつらバカだな!」と思っていました。だって、東北地方太平洋沖地震の際の津波って14メートルありましたからね。そういう全く危機感のない新潟県では市役所からの災害対策セットすら無料配布されていないとのことでした。それで今日の午前中に私が流山市役所からもらった災害対策セットを新潟県の実家に送りました。

 

下差し これが2024年1月3日(水)にやり取りした私と新潟県で暮らす父親との会話内容ですが、私としては逃げる際にはネコ3匹と共に避難する必要がある為、この災害対策セットを持って逃げることができないのです。これってかなり重いんです、ペットボトル2本分の飲料水が入っていますので。結局、この災害対策セットというのは自動車で逃げる際に必要な物資と食料が入っているだけだと思いました、・・・というか車内で保管する為の災害セットだと思います。

 

 

下差し 2024年1月1日(月)午後7時頃に自動車で避難した海抜90メートルの場所にあるキャンプ場から撮影しました。

 


下差し 新潟県にある実家からここまで片道20分くらいでしたが、やっぱり市民の皆さんがこのキャンプ場を目指している為に赤信号に引っ掛かった際に私の弟が運転している自動車を見失ってしまいました。私の弟のスマホもソフトバンク社のものですので通信不能になってしまっています。何故か、私の父親が使用しているドコモ社は地震に強い通信機能があるらしく使用することができましたが、何回も弟にSNSメッセージを送っても返信はありませんでした。もう少しソフトバンク社には頑張って頂きたいものですね。

 

 

下差し こうしてキャンプ場の駐車場に停車して私と父は午後9時頃まで自動車の中でテレビを観ながら待機していました。しかし、石川県内では停電していたので放送局が機能せず、ネットでの通信が途絶えていたこともあり、その他諸々の理由で新しい内容の情報が更新されず同じニュースが繰り返し放送されていました。

 

キャンプ場にはトレイがあるので助かりました。でも、着の身着のままで逃げてきたので津波注意報にレベルが下がったタイミングで午後9時頃に一旦家に戻ることにしました。弟も午後10時頃に家に戻ってきました。でも、やっぱりね、キャンプ場の駐車場で車中泊する予定らしき自動車のナンバーを見たら県外から、特に関東地域から新潟県へ帰省しているような方々ばかりでした。恐らく、自己責任論を叩き込まれていて「一旦、家に戻ったから津波に飲まれて死んだバカな奴!」と言われたくないという気持ちがおありだったからでしょうか?

 

※ 因みに、病人や体が不自由なお年寄りが逃げ遅れたり、夜中の寝ている最中に地震がきて亡くなられたりする場合もあるかと思いますでの、その場合には自己責任論だけで一方的に非難することはできませんが。未だに道路が分断され孤立した村々で電気も水道水もなく真冬の寒さに耐えながら残された被災者の方が約750人取り残されているとのことですし早く救助して頂きたいです。

 

(画像提供:令和6年能登半島地震)

 

下差し そして、2024年1月2日(火)、能登半島地震の後に運休していた新幹線が午後3時に運行再開しました。しかし、それでも間引き運転だったこともあり、停電で数分だけストップすることもあり乗客とのトラブルを避ける為か新幹線のチケットは販売されていませんでした。その代わりに出発する駅で受け取った「乗車駅証明書」で乗ることができました。支払いは到着した駅ですることになります。

 

 

下差し 私が若い頃に東京都内で働いた時にも人身事故などで電車がストップして帰宅できなくなった際には東京駅などで乗り換えるタイミングで振替乗車券を駅員さんから受け取って、最終的には無賃で帰宅できましたということがありましたけど、あれは定期券を持っていたから遠回りしても無賃だったんですよね。恕作さに紛れて、もしかしてって余計な期待をしてしまいました。

 

 

 

下差し それにしても、私が石川県金沢市内にある大学で学んでいた頃から今までずっと親友でいてくれた友人に能登地震が起きてから・・・、というか、1月2日(火)の夜9時頃に千葉県の自宅に戻ってから何度電話連絡しても応答がありません。かなり心配ですが、恐らく地震による停電や通信障害の為にスマホが使用できない状況なのだと思います。最悪の場合、能登地方の親戚の家に遊びに行っていた可能性もありますが。

 

 

上差し 2018年5月の連休中に史奈子さんと一緒に撮影しました。今年の正月もカトリック広坂教会で行われる元旦礼拝に参加しようと考えていましたが、行かなくて良かったです。