先ほどまでオンラインのH & C セッションでした。
それにまつわるお話をひとつさせてもらいますね。
レイキ伝授やヒーリングを受け続けて必ずその通過儀礼として出てくる手強いブロックのひとつ。
今、 H & C セッションや対面ヒーリングでもこれが課題になっている方が多いので、お話しさせていただきます。
連綿と続く家系由来の“癖”。
例えば物理的肉体で言うと顔立ち、 太りやすい逆に太りにくい背が低い高いというのも家系の癖であります。
それは内臓にももちろん由来して、うちは癌の家系なのよとか 白血病の家系だ心臓病の家系だそういう親族が多いエトセトラというのも癖であります。
そして家系の癖とは面白いことに兄弟姉妹全員に受け継がれたりせず、誰か一人に集中するということも多いです。
それは思考や言動にも及びます。
思考や言動にも及ぶゆえに人生にも多大に影響を及ぼす。
どうしても人生のスペック、学歴やそういったことに過剰に反応しアレルギー反応のようにコンプレックスを抱きムキになってしまう…これも家系の癖。
@人様の学歴や仕事などのスペックを過剰異常に気にしたり自分と比べたりする。
なぜかいつも家や家屋土地や地域性の問題で悩まされる、そういったことに過剰に反応しアレルギー反応のようにコンプレックスを抱く…これも家系の癖。
@人様の住んでいる地域や家などに過剰に気にして自分と比べたりする。
@いつも伴侶に悩まされ結婚離婚を繰り返す。母も祖母も娘もそうであった(そうである)。男性にも該当。
これらの例はほんの一例に過ぎず、 それこそ星の数ほどのあらゆる家系の癖というのがあります。
親族内に自死者が多い、アルコールや博打などの中毒症が多い、似たくないところ実に多種多様様々。
ブログではとうてい書けないような内容や、性的な問題もそういった家系の癖に該当する場合があります。
なぜ家系の癖を手放さなければならないのかと言うと、それは結局自分のコンプレックスゆえに周りをも傷つけ、結局、 雪だるま式に家系のその癖が次世代にはさらに大きくなって受け継がれてしまうからです。
つまり自分の代でそれを終了させると決めた瞬間から下の世代に受け継がれる可能性が限りなく少なくなります。
まず、それを認め、自分の代で終わらせると意図すること。
遺伝子とは物理的な肉体だけにとどまらずそういった『生き癖』にも影響を及ぼしているからです。
いつもどこに住もうと引っ越そうと、ご近所トラブルに巻き込まれるなどという対外的な問題も、家系の癖としてあります。
対外的な問題の 原因根元にあるものはやはり内面的なものに由来する。
その問題の根源というものは連綿と続く 家系の癖であったりする。
兄弟が他にもいるのになぜ私だけ?俺だけ?というお話をよく聞きますが、なぜ自分なのか。
それは自分が自分の代でそれを終了させると決めて今生に生まれて来ているからです。
逆説的な言い方ですが、ですから、それを終了させることができないわけはないんですよ。
家系の癖が無い人なんていないので、慌てなくていいし、恥じる必要もありません。
自分の代でそれを終了させるというだけです。
次回も楽しみながら頑張りましょう(^^)
セルフヒーリングの一環として セッションにて お伝えしたワークの他に、こちらを聴きながら意図するということをやってみてください。
般若心経の最後のくだり『ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー』のサンスクリットバージョンですね。
意味は『行こう、行こう、涅槃に行こう、涅槃へ帰りましょう』というようなことです。
つまりもう不要になったものを 光の大元へお返しします、という意味でもある。
皆さんもご存知の通りご先祖供養に特化した真言ではありますが、これはわたしたちの物理内外に存在している家系の癖(カルマ)にも十二分に作用します。
H & C セッションをお受けになられてる方は例の光で自分を包み込むワークや光のエレベーターワークをしながら、こちらを聞いてみるということをお勧めします。
これらはセカンドディグリー伝授を受けた人々向けではありますが、
伝授や各種セッションをお受けになられた事がない方は ただ横になりながらこれを聞き、『私の中に内在している家系の癖って何だろう?』と思いを馳せながらでも構わないです。
人によって体感などは千差万別ではありますが、まず最初は足の裏や側面になにがしかピリピリジリジリする違和感を感じることが多いよ。
伝授を受けている方だとそのどちらかの足から何かが抜けている感覚が分かると思う。
左足は実家や女性性由来、右足は婚家や男性性由来ですよ。
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय
ॐ ह्ल्रीं बगलामुखि सर्वदुष्टानां वाचं मुखं पदं स्तम्भय
जिह्वां कीलय बुद्धिं विनाशय