あなたの「神の部分が考えたシナリオ」と、制限だらけの「自我が考えたシナリオ」 | ガイアからテラへ 宇宙の愛をあなたに    ハッピーになるメッセージ

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こんにちわ

 

読んでくださりありがとうございます。

 

 

ケビンの愛和道ヒーリングについて今本を購入し、届くのを待っているのですが

 

まさに青い鳥って感じで、探し求めててたものはすでに学んでいたっていうことで

 

 

様々なことを考えさせられました。

 

日常は忙しくて畑だったり仕事だったりで

 

意識が途切れがちでもあり、

 

なかなか考えがまとまらなかったのですが。

 

でも無意識に「結局私は何がしたいんだろう?」

 

という問いかけが浮かんでは消えていました。

 

「何をするか」だと難しいけど

 

「どう在りたいか」ということへの意識が足りないようです。

 

どこへいても何をしていても本当は良くて

 

自分がどんな存在でどんな音を放っているか・・・

 

そこが一番重要とは知識としては知っていながらも

 

分かってないんだなと思います。

 

そしてちょっと宇宙に問いかけてみたら

 

タイムラグはありましたが夢の中で

 

まずは「自分を癒しなさい」って感じを受け取りました。

 

私は人を癒したいしそういう場所作りをしたいと思うけど

 

自分が癒されてないからそう思ってしまうんだと思います。

 

自分はボロボロって支離滅裂な状態って言われてる気がしました。

 

癒しとは繋がることっていうことは最近知って大いに感心しました。

 

私はみんなの居場所作り的な仕事をしていますが

 

確かに様々な想いを持って活動されてる方々が繋がるのって

 

すごいパワーなるなって感じてきました。

 

繋がるってことが全体性を取り戻すということであり

 

それこそが「癒し」なんだと。

 

そしてケビンは

 

「みんな平和で喜びに溢れて繋がりを感じられる、そんな生き方ができればいい、それ以外なにもない」

 

と言っていました。

 

それはありのままの自分、安心して本音を出せるってことだと思います。

 

私はまずそれが出来ていなくて

 

例えばお友達といろんな種類のケーキを選ぶとき

 

ジャンケンで勝っても他の人が欲しいと行ったケーキは

 

その人が食べられるように、気を遣わせないように

 

私は別のケーキが欲しい振りをして

 

別のケーキを選んでしまったりします。

 

本音を隠してしまいがちなんです。

 

私がボロボロなのは身体を酷使しているというよりは

 

周囲の思惑に敏感に反応して本音を隠してしまうからなんですね。

 

もちろん相手を尊重は必要ですが同じく自分も尊重しないといけないんですね。

 

相手が欲しいものを私も欲しいと表明することは勇気が要りますが

 

勇気が必要な原因がなにかあるんだろうし

 

そこを癒していくことが先。

 

まず自分を癒せということだったと受け止めています。

 

求めている世界が「みんな平和で喜びに溢れて繋がりを感じられる世界」

 

なのに自分は平和でないっていう本末転倒な状態です。

 

耳にタコができるほど

 

「まず、自分を大切にしましょう」って聞いてきましたが

 

出来ていなかったんです。

 

人の為と書いて偽善なのですから。

 

魂の声とエゴの声の判別もちゃんと出きてなかったと思います。

 

自分の魂の声に忠実になったら

 

その先には自分って「本当は何がしたいんだろう」っていう問いはないのかもしれません。

 

私の場合はやりたいことが沢山あって困っているんですが・・・

 

優先順位に迷っているという感じでしょうか・・・

 

今年は農学校で学べてとても勉強になったんですが

 

忙しくてボイトレまで余力が回らず、一時お休みもしてしまったり。

 

魂の声か、○○すべきとかエゴの声、常識や正しさにブレブレだったと思います。

 

つい「正しさ」に負けてしまいがちでした。

 

自分で自分を縛っているものは他人にも無言で圧をかけているのかもしれないし

 

そういう意味でも自分を解放することが

 

一番の平和への近道なんだと思います。

 

津留晃一さんの言葉が刺さります。

 

 

 

あなたは自分の手でシナリオを書いてこの地球へやってきました。

 あなたが頭で考えて何かを強く望めばそれは実現するでしょう。

それもおもしろいゲームです。 

でもこれまでさんざんその遊びをやってきたのですから、

この辺りで自分が神であった時に書いた自分のシナリオに戻ってみてはいかがでしょうか

 

あなたの「神の部分が考えたシナリオ」と、制限だらけの「自我が考えたシナリオ」と、

どちらが自分にとって有意義なことであるかを比較してみて下さい。 

あなたが自分を使わなくなった時、神があなたに変わって本来の仕事をし始めます。 

あなたという神のシナリオが働き始めます。
 

私は神の部分が考えたシナリオと自我が考えたシナリオの間で葛藤しているのかもしれません。

 

神の部分が考えたシナリオは私にはぶっ飛び過ぎに思う事が多く

 

拒否したくなります。

 

そして今、必要なのはこちらですね。

 

本当に先のことばかり考えて今を生きていませんでした。

 

今この瞬間を100%遊び、起きてくる事に身を委ねてみてはいかがでしょう。

そして、今やりたい事をやって下さい。

先の事を考えた上で計算ずくで行動するのではなく、

常識に捕らわれた行動をするのでもなく、今、本当にやりたい事をやって下さい。

未来の自分をではなく今の自分を100%愛して下さい

今この瞬間を100%遊び、起きてくる事に身を委ねてみてはいかがでしょう。

 

 

自他一体

 

 

いまさらといった感のある

 

この言葉ですが、

 

真の一体感の獲得は

 

そうたやすいものではないようです。

 

誰もがそうありたいと願いながら

 

そうなれないところに

 

この人間ケームの面白さがあります。

 

あくまでも分離して見えてしまう

 

この肉体眼を持ちながら

 

なおかつそれがひとつのものとして

 

認識できる力を身に着けるのが

 

この三次元人生ゲームである

 

といえるでしょう。

 

実は他人とは

 

もう一つのあなたの目なのです。

 

あなた自身の内宇宙を

 

覗き込むための潜望鏡のことを

 

我々は他人と呼んでしまいました。

 

自分以外の別の人である

 

という意味の言葉を

 

当ててしまいました。

 

今日から

 

「他の人」と見えているものは

 

「広大な真の自分を発見するための

 

望遠鏡であり、顕微鏡である」

 

と言う言葉に変えてしまいましょう。

 

 

彼と話しをしている時

 

「自分の自動操縦リモコン潜望鏡(彼)が、

 

自分の為に今

 

観察報告をしてくれているのだ」

 

そんな気持ちを心に止めながら

 

会話してみてください。

 

真のあなたであるハイヤーセルフは

 

自分であると誤解できる

 

潜望鏡的自我を作り出し、

 

自分自身を知るための

 

観察を始めました。

 

この初期目的を

 

思い出してください。

 

あなたはこの世界で成果を上げるために

 

存在している訳ではありません。

 

「成果を生み出すのだ」と

 

思いこまされてきたにすぎません。

 

私の分離感の根っこはここにありました。

 

「この世界に何らかの成果を残して死んでいく

 

自分の生きた証を、その痕跡をこの世に留めてみたい」

 

これが人間ゲシュタルトが発するごくノーマルな思考です。

 

自分を取るに足らないちっぽけな存在である、

 

と誤解させられた自我にとっては

 

当然の願望であるといえるでしょう。

 

成果を上げようとする

 

あなたの想いに呼応して

 

ちっぽけなあなたに強力する他人が現れ、

 

それを阻もうとする敵という他人も現れます。

 

見方も敵も

 

「成果を上げよう」とする

 

あなたの思いによって

 

あなたがこのゲームに生みだす創造物です。

 

成果を上げるといってもそれは

 

特別な事をいっているわけではありません

 

彼の為に食事を作らねばという思いもそうです。

 

それも成果を上げようとする思いです。

 

「何日までにこの本を読み終えねば」

 

というのもやはりそうです。

 

観察が目的である人には

 

「しなければならない」

 

という発想は起こりません。

 

 

成果を上げようという思いが

 

あなたの意識を今ここから引き離し

 

その先のゴールへ意識を向かわせます。

 

今そこにいる他人との

 

関わりのチャンスを棒に振ってしまいます。

 

今ここにある変容のチャンスを取り逃がします

 

他からあなたが分離します。

 

原始時代から我々が進んできた方向は自我を確立するという方向でした。

 

自我が非力な自分の力によって

 

やっと成果を生み出すという喜びを得、

 

ハイヤーセルフはそれを観察して

 

そんな自分を発見してきました。

 

力のない者が自らの力で成果を

 

成果を生み出すことの素晴らしさを堪能してきました。

 

そしてハイヤーセルフのその発見と引き替えに

 

自我はより強化され硬くなってきました。

 

自我は成長し続けました

 

それは他と分離の過程でもありました。

 

成長しきった果実はやがて大地に落下します。

 

大地というまたひとつの場所に戻って行きます。

 

大地から生まれた一本であった幹は

 

成長とともに枝分かれし、分離していきました。

 

そして自我(個体)という果実を結ばせました。

 

成長した我々の自我は熟れ過ぎた果実として

 

やがて果実を内包したまま

 

大地に落ちます。

 

我々の意識は

 

成熟したこの果実自身から

 

その核である種として移行されなければなりません。

 

もうあなたは充分に成熟しました

 

そして成熟したあなたは

 

そこに止まることは出来ません。

 

次なる神の種子へと

 

その意識をあなたの中心へと移行させる時がやってきました。

 

今、あなたが自分の意識を内側へ内側へ、向かわせることによって

 

 

あなたという種子が

 

必ずまた大地という元なるひとつの場所へ帰っていきます。

 

あなたの見ている世界、

 

それはあなた自身です。

 

それ以上でもそれ以下でもありません。

 

あなたが偉大だと感じる哲学者もそれは自分です。

 

新宿駅の構内で

 

段ボールの中でうずくまって寝て煎りその人も、

 

あなた以上ではなく、

 

またあなた以下でもありません。

 

そしてまた、

 

そうは見えないのも当たり前です。

 

この肉眼ではそれは分離して見えているわけですから。

 

そんなことを頭で理解したところで何の役にも立ちません。

 

頭で理解した真理は

 

ややもすると人を裁く道具に成り下がってしまいます。

 

「あなたのそこがいけないのよ」と

 

他人と認識するその人を

 

うっかり裁いてしまいます。

 

あなたが人を否定したその瞬間に

 

相手の中に自己防御意識がおこり、

 

すぐあなたに向かって

 

反撃を開始してくることでしょう。

 

そんな手痛いしっぺ返しに

 

「これはどうしたことだ

 

どうしてこのやり方はうまくいかないのか」

 

と何度もそんな疑問をいだかれたことでしょう。

 

どうぞそのまま進んでください。

 

葛藤を恐れることなく、言いたいことを言い続けてみてください。

 

「うまくいかない」度に

 

「どうしてうまくいかないのか」と、

 

あなたの疑問は膨らんできます。

 

実は自我であるあなたの内に

 

疑問がわき起こってきたとは、

 

ハイヤーセルフがその答えを渡したがっていると

 

言い換えることもできるわけです。

 

疑問と答えはひとつのものです。

 

宇宙にプラスとマイナスが同時に誕生するように

 

疑問と答えは同時に存在を開始します。

 

この三次元時空間が、

 

単に互いが出会うまでに時間の経過を必要とするように

 

設計されているだけのことでしす。

 

あなたのすることは

 

感じるままに行動してみることです。

 

うまくいかなければ

 

自然に疑問が発生し、

 

その瞬間に

 

実はその回答が与えられているわけです。

 

あなたがそのことを

 

自分の知識でいじりまわさなければ

 

うまくいきます。

 

人を変えていこうとするエネルギー、

 

これが縦のエネルギーです。

 

自分が変わっていこうとするエネルギー

 

これが横のエネルギーです。

 

人を変えようとすればするほど

 

それがうまくいかなくて

 

自然に自己変容が起きてきます。

 

とても厳しい自己進化の仕方です。

 

他人が居ることを前提とした

 

自己変容法です。

 

宇宙には自分一人しかいない

 

 

「他人とは自分の鏡」という前提から始まるのが

 

横のエネルギーです。

 

自分を変え、

 

その変化が鏡である他人を変容させる

 

という進化アプローチです。

 

問題は全て我が内にあり、と

 

全てを包み込む広がりです。

 

 

包容力という神の一面の体現者達です。

 

この横のエネルギーの人は

 

周りに縦のエネルギーの人々を配置します。

 

咎められることによって

 

自己を変えようとしているからです。

 

そしてどちらのエネルギーにとっても

 

互いが相手のエネルギーを必要としています。

 

これが自他一体の一側面です

 

自他が同じというわけではありません。

 

その価値に違いがない

 

というだけです。

 

ズバズバと人を切り裂く厳しさと

 

すべてを包み込む優しさは、

 

その価値において全く対等です。

 

その価値を同じに感じている人は

 

もう自他一体の一側面を

 

卒業しているといえるでしょう。

 

否定から入っていく縦のエネルギーにしろ、

 

肯定から入っていく横のエネルギーにしろ、

 

人は否定されることによって

 

傷ついてきました。

 

「否定された」と解釈したら、

 

その瞬間にマイナスの感情が

 

わき起こってきます。

 

確かに私たちの体は

 

そう作られています。

 

そこでその解釈を

 

別の肯定的見方に解釈し直してみる

 

というのがプラス発想法でした。

 

もちろんすべての事象、出来事に

 

肯定的意味を発見していくことは可能です。

 

反対から見てみればいいだけのことですから。

 

全ての出来事に肯定的50パーセントの側面と

 

否定的50パーセントの側面が一枚のコインの裏と表として

 

存在しているからです。

 

でも解釈し直してみるまでに

 

マイナスの感情が起こっているという事実に

 

変わりはありません。

 

わざわざ意味を付け直すのは

 

現に今マイナス状態にあるからに

 

他なりません。

 

他人がどんな言葉を使おうと

 

その言葉の意味とは無関係に

 

相手の発した否定的想念を

 

私達は言葉以前に瞬間的に

 

受け取ってしまいます。

 

ちょうど叩かれたときに

 

痛みを感じるのと同じように・・・。

 

 

しかし私達は

 

人の発する否定的想念を

 

痛みを持って受け取る必要性が

 

本当にあるのでしょうか

 

 

私達の肉体は

 

痛みを感じなければ困ることもありますが

 

100パーセントそういうわけはありません。

 

 

親不知の歯を抜いてもらう時に

 

必ずしも痛みが必要というわけではありません。

 

 

確かに空腹感があれば便利な時もあります。

 

でも必要のない時の空腹感には

 

とても手を焼きます。

 

確かに肉体はそうなっています

 

しかし自律神経は私達の意志で

 

コントロールすることは出来ないと

 

教え込まれてきた知識を

 

後生大事に持ち続ける必要もありません。

 

今空腹感はいらないよ、と

 

肉体に教えてあげれば

 

空腹感を感じるエネルギーを

 

あなたの肉体がストップしてしまうように、

 

他人が発する否定的エネrギーを、

 

今は必要ないからと

 

受け取りを拒むことも可能です。

 

「彼からの否定的想念は

 

私の変容の為にあることを認めます。

 

今はもっとよく自分を見つめたいと思います。

 

その為には

 

今このイライラは必要ありません。」

 

と望めば

 

あなたの頭能は

 

苦痛を生み出すホルモンの分泌を

 

即座に停止してくれます。

 

あなたに不可能なことはありません。

 

必ずそれはそうなります。

 

あなたにとってそれがよければ

 

必ずそれはそうなります。

 

あなたが人を変えようとして

 

拒否されるのは

 

あなたが人から変えられることを

 

拒んでいることの証です。

 

あなたが他人からの否定のエネルギーを

 

肯定のエネルギーと同じように

 

受け入れられるようになった時

 

あなたのまわりにいる人たちも

 

あなたからの

 

「こう変わればいいのに」

 

という思いを

 

受け取るようになるでしょう。

 

 

あなたが、他人からの

 

「変わってほしい」という思いを

 

素直に受け入れることができるようになった時、

 

あなたの「人に変わって欲しい」と言う思いは

 

相手の心に素直に入っていくようになるでしょう。

 

あなたが相手の言うことを信用しないのに

 

相手の人が

 

あなたのいう事を信用するはずもありません。

 

自分が疑う人は人からも疑われます。

 

自分が「疑っていい」と思っている人は

 

宇宙からも「疑っていいよ」という

 

メッセージを引っ張ります。

 

宇宙とはあなたの鏡であるからです。

 

それが自他一体ということです。

 

疑うが信用しようが

 

そんな事はハイヤーセルフにとってはどうでもいいことです。

 

何かが何かよりいいという事などないからです。

 

どちらかがどちらかより正しいという事もありません。

 

この方法があの方法よりも良い、

 

という事ももありません。

 

全てはひとつなのですから。

 

自他一体とは

 

全てがひとつであるという事。

 

全てがひとつという事は

 

全てが自分である という事。

 

全てが自分であるとは

 

それはだだそうなっているだけであり、

 

否定されるべき何物もないという事です。

 

 

全てが自分であるこの宇宙に、

 

「否定」することなどあるはずがありません。

 

「私はもう私宇宙に否定という概念の存在を許さない」

 

そんな決意をしてみませんか

 

その時あなたは

 

「人から拒否された」という

 

解釈そのものが起こらなくなってしまいます。

 

あなたはもう何人からも拒否されることがなくなります。

 

否定されたらもちろんあなたは苦しくなります。

 

それは否定されたら苦しくなるように

 

肉体にプログラミングしてあるからです。

 

あなたが創ったプログラムですから

 

あなたがソノプログラムを再プログラミングすれば

 

それは起こらなくなります。

 

ひとつであったあなた自身が

 

この肉体をデザインしました。

 

集合意識として。」

 

人からの否定的想念を受け取った時に

 

直ちに自分を守り、

 

相手に反撃を開始したくなる

 

という構造を作りあげました。

 

それを

 

このゲームの参加条件としたわけです。

 

しかし、我々の集合意識は

 

このゲームを終焉させることを決めています。

 

もはやこの事は参加条件からはずされました。

 

どうぞ安心して決めてください

 

「もう私は人からの否定的想念を

 

感情抜きに受け入れる」と。

 

人から否定されたからといって

 

あなたが怒る必要は全くないのです。

 

人からの否定を受け取る必要性はありません。

 

人から受け取ったら、あなたは自己防衛を始め、

 

反撃したくなるからです。

 

否定という概念をなくした人は

 

痛みをともなわずに

 

他人からのアドバイスを素直に

 

自己改造に向かわせる事が

 

出来るようになってきます。

 

急激な変容が始まります。

 

今ここにある

 

周りの全てが

 

自分を変容する為のメッセージである

 

事がわかっているからです。

 

否定は必要ありません。

 

全てを肯定するものが神だからです。

 

全てがあなただからです

 

それが自他一体ということです。