ケビンが語る愛和道ヒーリング | ガイアからテラへ 宇宙の愛をあなたに    ハッピーになるメッセージ

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こんにちわ

 

読んでくださりありがとうございます。

 

ケビンの治さないヒーリングの概念。

 

 

私は癒しに興味がありマッサージの資格を複数もちながら

 

ちょっとビジネスっぽい感じの最近のヒーリングの風潮に違和感を感じ

 

仕事としてはやりたくないなって思っていました。

 

私はヒーリングが必要ない世界を求めていました。

 

だけどそのヒーリングの概念自体をいつのまにか見失っていたんだと

 

愕然としました。

 

ケビンにしっかり習っていてその時は共感していたんだと思います。

 

だけどその後いろんな出来事があったり

 

後から学んだ技法や知識でごちゃごちゃになって

 

しまっていました。頭でしか理解できていなかったからだと思います。

 

どこか問題を解決する手法と捉えてしまっていました。

 

意識の在り方に問題があるのに

 

その表面に見えている、氷山の一角にすぎない

 

病や人間関係やお金の問題が変わればいいという感じに違和感があったし

 

高価な機械やグッズがないと健康でいられないのも残念な世界観だなと。

 

問題解決や結果を求めたりするのは気が付かないうちに

 

問題を排除すれば幸せになれるという二元性の罠に陥ってしまいます。

 

ケビンの治さないヒーリングは同じ言葉でも

 

また次元が違います。

 

悪(問題)を排除しないのですから。


悪(問題)を抱きしめる考え方で

 

まさしく良く言われている統合の世界。

 

またもや、ガガガガガーンとなってしまいました。

 

私がケビンに会いに行けなくなったのは

 

ショックな事件があってそのことの心の整理がつかないままだったので

 

会うと痛かったんです。

 

見ないようにしているものを見なくてはいけなくなるから。

 

要するに強い光を恐れた訳です。

 

暗闇のほうがいごごちが良かったとも言えるし

 

誤魔化して生きているほうが楽だったとも言えます。

 

自分の気持ちを見透かされてるのもすぐにわかってました。

 

逃げていたんです。自分の真実から。

 

もちろんそういう時期はケビンにもあったし

 

必要な時間だったのかもしれません。

 

それに自分で設定した暗闇の時間でもあったと思います。

 

けど、先日のイベントでいろんな人にあって刺激を受けて

 

心が動いて思い出したんです。

 

循環することが神の働きって別の動画でちょうどやってましたが

 

龍はそのエネルギーが流れることの象徴であって

 

エネルギーが流れること循環することが神なんだと。

 

留めてしまことが善と悪という言葉で表すと悪なんだと。

 

ジャッジすることで私は止まってしまうということなんですね。

 

だから循環している人に会うと感化されたりもする。

 

その人がそこにいるだけで影響があったりするんですね。

 

なにをするかでなくどう在るか

 

その違いを身に染みて体験させてもらえました。

 

そして私が止まってしまった出来事に対し

 

今でも苦しい想いが湧きますが

 

それって、

 

ちゃんと向き合ってなかったからなんだなと思いました。

 

説明は何度もしましたが

 

全面的に感じるってことをしてなくて。

 

沢山の言い訳や考え、正解を探してばかりで

 

純粋に感情を味わっていなかったんです。

 

今日はそれを手放そうと思い向き合いました。

 

最後に残ったのは

 

居場所を失ってさまよう悲しみ。

 

この居場所とは本音の自分でいられる場所です。

 

そして、子供や家族を守るために犠牲なる女性性の苦しみ。

 

これは集合無意識というかつもり重なった虐げられた女性性なのかなって思いました。

 

私達の遺伝子にもあるんだと思います。

 

私の感情なんてないとケビンはいいます。

 

人類の想念はひとつだと。

 

ただそこから離れているこはできるそうです。

 

私が感じ切れば、そこに引っ張られなくなるんだろうと思います。

 

マインドはいつもジャッジしているし、それを止めることは出来ないから

 

流す。それを続けているとその声は小さくなっていくそうです。

 

そしてジャッジしてしまう自分を許して抱きしめることが大切なんだそうです。

 

 

最後まで残った悲しみは

 

子供を守るため随分無理をしたことです。

 

子供をかかえて行く当てもなく

 

親からも迷惑がられたり、不登校の子供がいると働けないし

 

受け入れてくれる場所もありませんでした。

 

子供を守り、生きていくために望まない結婚をしたことも・・・

 

今までの歴史を見てもそういうことはとてもよくあったんだと思うし

 

祖国を失ってさまよう民族の悲しみみたいなものも重なっているのかもしれません。

 

人類の歴史はそんなことが多すぎて集合無意識は重たいんだと思います。

 

どこからが自分の記憶でどこからが集合無意識なのかも境目が分からないのですが

 

最後に残ったのはそんな悲しみでした。

 

集合無意識ならば全部無くすことはできませんが

 

せめて自分が閉じ込めてしまったものを解放し、

 

距離を置き、巻き込まれないようにすることはできます。

 

本当の自分でいられる居場所がないって苦しいことです。

 

多分みんなそうだったと思います。

 

私の感情は本当の意味ではない訳ですから。

 

「みんな平和で喜びに溢れて繋がりを感じられる、そんな生き方ができればいい、それ以外なにもない」

 

と言っていたケビン。

 

私も心からそう思います。

 

またもやお釈迦様の手のひらの上にいたみたいです。

 

ずっと求めていたものはもうすでに学んでいたってことですね。

 

しばらく復習に励みます。