梅の里自然農園便り

梅の里自然農園便り

「自然農」の田畑の様子と、「自然農」の世界を中心にお伝えしていきたいと思っています

最終盤を迎えて関西万博はこれまで以上に賑わっているらしい。


フレンドさんたちの投稿や、ナショナルデーの参加国の

民族舞踏のニュースなどを見かけると、

『面白そうだな』と感じることもある。

 

かつて、学生時代にトレッキング目的で

ひと月半滞在したネパールの人たちの素朴な人柄には魅了されたし、

40年前に訪れた中国や台湾や韓国の人々や民族文化に

親しみを覚えた経験もある。

 

でも、今回僕は、小学5年生の時に連れて行ってもらった

万博のような魅力は正直全く感じなかった。

だから、開催前に息子から

「会社から格安の割引券買えるけどどうする」

というお誘いを受けたけど乗ることはなかった。

(ちなみに、息子夫婦も結局行かなかったらしいが。)

 

ま、最終盤の人出の様子を見ても、失敗したとは思ってはいないけどね。

(大屋根リングを歩いてみるのは、経験としての話の種には

なるかもしれなかったなという程度の想いはあるけど。)

 

国内外の政治経済の状況も含めて、

世間の喧騒が多少は気になりつつも、

ボチボチと人参の間引きをしている週末です。

P.S.

少なくとも面識のある知人の皆さんの万博報告の投稿を目にしても、

(他の投稿とは違って)いいねは押さずに

『あーあ』と感じてしまう僕は、

やっぱり変わり者なのかもしれない。

カラスが落花生をつつきだして食べ始めました。

幾株か掘ってみましたが、収穫にはまだ半月ぐらいは早い

感じだったので、急遽 防鳥ネットで覆って防御することにしました。

さすがにこれではカラスも手(嘴か(*^^*))が出ないことでしょう!(^^)!

ちなみにこれは初めての試みです。

以前は上空に防鳥糸を張ったりしたこともありますが、

一旦目を付けられてしまった後ではあまり効果的な感じが

しなかったので、この方法を試してみることにしたのです(*^^*)

 

なお、防風ネットで覆ってしまうと多少はお日様が遮られるので、

実の太りが多少鈍化する可能性は無きにしもですが、

雨はもちろん日光もそれなりに通す感じなので、

普通に実が太ってくれることと思っています。

さて、うまくいくでしょうか(^_-)-☆

P.S.

なお、カラスは落花生は嘴で突きだして食べるものの、

イノシシやシカや猿と違ってサツマイモまで掘り出す

ことはしないので、獣害が無い平野部の畑では特に

対策が要らないのでありがたいです(*^^*)

ちなみに、サツマイモの収穫も今月末ぐらいからと考えています。

 

ところで、カラスはカキやスモモなどの果樹もそうですが、

おいしくなるちょっと前に突き始めるので困ったものだと思っています。

落花生のようにしっかり実が入ったり、

果物のように収穫適期まで待ってくれると

少しぐらいおすそ分けしてもいいかとも思えるのですが・・・。

 

特に、未熟の場合は綺麗に食べてくれるのではなく、

あたりかまわず熟したものを探してつつきまわしたりするので、

収穫適期よりかなり前から防御しないといけなくなる感じです(*^^*)

川口さんがいちばん大切にされておられたことが、

『学ぶ者の自立を促すような学びであること』

だということは、前回も書いたように、漢方学習会の場でも同様でした。

 

例えば、ながねん『傷寒論』と『金匱要略』の学びと、

治験例の学びを中心に続けられてきた学習会に、

各自の脈診・腹診・舌診の学びを取り入れられたこと、

さらには学習会に向けての『宿題』を出されるようになられたことがあります。

それは、くしくも僕が自然農の百姓に転身した年の5月の学習会

(今から20年前)からでした。

 

前者は、証立て(処方・生薬の加減)には欠かせないことと、

川口さんも重きを置かれていました。

また、後者は、参加されていた一人の方の過去の治験例の中から、

ある時点の証立て(生薬の加減)を考えるというものでしたが、

恥ずかしながら、僕はその時、その証立てをすることが出来ませんでした。

 

なので、その証立て(処方・生薬の加減)を書いて提出するプリントに

僕は以下のような情けない文を書いて出しました。

 

『答えが出せません。僕自身や全体の学びをより深くする力に

なりえていないことを改めて感じています。すみません。

答えが出せない理由は、陽徳君の論文にある

『「医学」が身体化されていない』からに他ならないと思います。

それは、ひとえに僕自身のこれまでの学びに対する真剣さ

(覚悟)が足りなかったからであり、

改めて覚悟を決めて真剣に学びなおすつもりでいますので、

どうか見捨てずにご指導いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 

この漢方の学びの場を「医術」を問う効果を最大限に活かすためには、

自ら「予診」をする必要性もよくわかりました。

また「医道」の習熟度は、この4月から自然農の百姓へと踏み出した私ゆえ、

必然的に高めざるを得ないと感じています。

(そうでないと私自身生きていかれません。)

とにかく甘えを断ち切り、自らの人生に真剣に向き合っていこうと思います。

重ねて、どうかこれからもよろしくお願いいたします。』

 

川口さんは、参加者の皆さんの宿題の答え(生薬の加減)を紹介されたあと、

最後に、こともあろうかこの僕の答えも紹介されました。

気恥ずかしさと共に、師からもはっぱをかけられたようにも感じて

嬉しくもあり、あらためて背筋が伸びたような気がしました。

 

(それでも学びを深めることは一朝一夕にはいきませんでしたけどね(*^^*) 続く)

赤目自然農塾のような自然農の学びの場でも、

漢方学習会の学びの場でも、

川口さんがいちばん大切にされておられたことは、

『学ぶ者の自立を促すような学びであること』

だと思っています。

 

そのため、例えば、自然農の学びの中心地である

赤目自然農塾では、

午前中は川口さんやスタッフの皆さんが、

お米づくりや野菜づくりのやり方を説明しながら

実際に作業されるのを見学し、

午後は、各自の田畑で、自分達自身で実践する

というやり方を基本とされていました。

なお、自然農にはもちろん

・出来るだけ田畑を耕さない。

・草や虫を敵としない。

・農薬、除草剤、化学肥料を使わない。

といった、基本となる大事にしていくべき理念がありますので、

それらを言葉を通じて学ぶことも大切なことなのですが、

それらを理解し腹に落とし込む場としての座学は

前日土曜日夜に行われていました。

 

その際に川口さんがしばしば言われていたことは、

『私の言葉にとらわれすぎることのないように』

ということでした。

つまり、自然農というものは、それぞれの田畑の

その時その時の状況や状態に応じて融通無碍に

対応していくものであって、

それらにどう対応していくかも含めて、

人の側の在り方(大げさに言えば生き方)次第だ

ということです。

 

高い境地に至られた師の在り方をリスペクトし

真似しつつも、

師に依存することのない自らの在り方を体得すること、

そして自立していくこと、

それが師が僕たち後を行く者に対して最も望んでいた

姿だったのだと、

改めて思い起こしている雨模様の朝です。

僕が最初に川口さんに会ったのは1998年2月、

赤目自然農塾のその期のスタートの日でした。

 

自然農の学びはそこが始まりで、

やがて2年遅れて漢方(古方)の方の学びにも

参加するようになりました。(以前の投稿参照)

 

 

そして、一昨年の3月の最後の漢方学習会まで、

四半世紀にわたって学ばせてもらってきました。

その間に学ばせてもらったことは

ほんとうに多岐にわたるものですが、

一番の要(かなめ)を挙げるとするならば、

『自然農も漢方も人が健康で幸せに生きて

いくためには極めて大事なことであること』

だと考えています。

そして、同時に、その二つのことは 

頭や心で理解するだけでなく、

技術も含めてしっかりと身に着けていくことが肝心であり、

そのためには『学ぶ側の在り方』が

最も大事なことだということも。

 

 

つまり、自然農は人に対しても自然界に対しても

一切問題を招かない唯一の農の在り方であり、

漢方(古方)は、あらゆる人の全ての病に対処できる

素晴らしい治療体系であることは間違いがない

ことなのだけれど、

 

それを可能にすることができるかどうかは、

本人の境地の高さと、理解力や判断力も含めた、

『本当のこと』を見極めることのできる力

(在り方)次第だということです。

 

 

言い換えれば、自然農も漢方も優れた刀には

違いないのだけれど、

どんなに斬れる刀でも俗人にはなまくら

(あるいは、むやみに人を傷つけてしまうもの)

にしかならないように、

両者ともに剣の達人になってこそ

その本来の威力を発揮させることができる

ものだということです。

 

 

なので、どちらも達人になるための

絶え間ない修練を積んでいくことが必須のことで、

今の自分にはその修練がちゃんと続けられて

いるのかを折に触れ考えたりしつつの

毎日を過ごしています。