夫のナゾバイスならぬナゾ推理の投稿がアメトピ掲載されました泣き笑い

 

 

ありがとうございましたぁひらめき飛び出すハート

 

前回の投稿を書くときに、サラマ、自分の育った環境の価値観に触れたわけですが、「あんなこともあったな」「こんなこともあったな」と色々と懐かしく思い出してはおセンチです目がハート

うー、地元に帰りたいなあ。

たまに私が子育てネタに触れる時に「自分は特殊な育ちなので」という前置きをしがちなのにはそういう経緯があるんですよね。

地場産業があり、夫をして「日本のドバイ」と言わしめる田舎で周りの大人から大切に大切に育てられたことがどれほどにレアい体験かというのは18歳で地元を出た私にはようっく分かっております。

県内を転勤する教職の人でも言うらしいもん、「あそこは特殊」って。同じ県でも市が違えば全然空気感違いますもんね。

 

Uターンして地元に戻った幼馴染たちは、そこに存在する人々の情や善意みたいなものは「当たり前でなく得がたいもの」と理解しておりサラマのようにそれをベネフィットとして扱うのですが、ずっと地元にいる人間はそういう価値観を「誰しもそうあるのが当たり前」と信じて疑ってない感じで、眩しい。

私も地元で子育てしたい。

か、ずっとデンマークにいたいわ。

我が子には周りの大人に愛を以て関わってもらいながら「他人から大切にされるのは当たり前」という感覚を養ってほしい目がハート

 

さて、小学校時代を俯瞰的に思い出すときにほぼ必ずよみがえる光景があるサラマです。

 

小学一年生の時に、なぜか教室の前の廊下に設置された手洗い場に、

人間のうんちょが落ちているっていう事件があったんですあんぐり

 

 

アラフォーになった今でさえ、どう考えても、なにが・どうなって・どうしたら、ヒトのクソが子供の腰の高さより高いところにある手洗い場に登場したのかは謎よ不安

 

満が持してないにも関わらず、ある日突然手洗い場にうんちょ登場目

 

サラマがそれを知ったのは人糞が撤去されたあとなんですね。

 

休み時間が終わるぞってことで友達と校庭から戻ってきたときに普段なら席についているはずのクラスメイトが全員教室前の廊下に集まっていたんですよ。

何事かと尋ねまわったところ、すでに撤去されたけれど先ほどまでそこにうんちょがあったらしいことを知ったのでした。

 

えー、なにそれサラマもそのうんちょ超見たかった!!!

 

と、ブツを見逃したことを悔しく思い、今からでもその盛り上がりに参加せん!と周りに詳細を聞きまわったサラマなのですが、同時に、盛り上がりがなんとなーくおかしな雰囲気を帯びていることに気づくのです。

なんというのでしょうか、盛り上がりに失速感があるのです。

 

手洗い場に人糞だなんて小学校1年生にはかっこうのネタじゃないですか。

本来であれば数分で騒ぎが収束するわけない大事件です。

「え、なんで、もっと大騒ぎになってもいいだろう」と、当時6歳の自分でさえ思いました。クラスメイト全員がそこにいるのに。


しかも私に最初に事態を教えてくれた男子は、私がツッコめばツッコむほどにバツが悪そうに口ごもるというか、いつもおしゃべりの彼なのに、なんだかしどろもどろ感があって説明要領を得ないのです。

 

「なんなん、どうしたん、はっきり言いーや、で、そのうんちょはなんでもうなくなってるん!?」

「えーと…」

その男子の困惑した表情と、作り笑いでごまかしながは逃げ去ろうとする態度は今でも記憶に残っています。

 

複数人の友達の説明をつなげるとこういうことでした。

 

休み時間に手洗い場に人糞が落ちていたのをとある男子が発見してですね。

当然その子はびっくりして「うんちょが落ちとるー!」と騒ぎ始めるじゃないですか。

そのあとは皆さんご想像通りの流れと言いましょうか、みんながガヤガヤと教室から出てきて、大興奮でその手洗い場のうんちょを指さし笑う盛り上がりをみせたらしいのです。

 

そうしたらですよ。

クラスメイトのひとりにくんちゃんっていう大人しめの女子がいたのですが、

くんちゃんが突然、

 

 

 

教室の掃除道具箱のちりとりを持って廊下に出てきてですね。

 

その場にいたクラスメイト全員が見守るなかで、

 

 

とトイレまで持ってうんちょを処理したらしいのですあんぐりあんぐり


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