サラマが小学一年生の時に、手洗い場に人糞が落ちていたという強烈事件不安

 

 

くんちゃんのとった行動を人づてに聞きサラマは衝撃を受けて立ち尽くしました。

 

だってだって、その手洗い場は部外者がアクセスできない位置にあるんです。

手洗い場にうんちょがあるということは生み落とした主がクラスメイトの誰かである可能性が高い。

くんちゃんっていう人が、みんなが突然に登場したうんちょに一気に注目を持っていかれているなかで、それを指さして笑っている大勢のなかに内心ヒヤヒヤしているであろう子がいるであろうことにいち早く気づき、その子の心情を慮ってアクションを起こしたのではないかとサラマは直感したのです。

 

6歳にしてその成熟不安

 

くんちゃんの器みたいなものを垣間見た気がしてサラマは震えた。

人生を進めていくと、他人の懐の広さや野望のスケールを垣間見て「この人には敵わないなあ」という種の感情を抱く局面があるわけですが、この日はサラマにとって自分史上初の他人に圧倒されるという経験をした日でした。

 

誕生日がそこそこ早めでクラスのなかでもお姉さんキャラとして扱われることに慣れていた当時の私は、自分自身のなかにも、自分がクラスの空気感の責任を担う一人であるというなんとなくの自負があったんですが。

 

6歳のサラマは考えた。

私は普段わりにまとめ役にまわりがちだけど、こういう非日常において、とっさにうんちょの主の心情にまで思いを馳せて即リアクションをとったくんちゃんのような動き方ができるだろうか。

 

いや、できない。

今回の状況に居合わせたとしても自分のなかにうんちょ主に対する「この状況が長引くとつらいだろう」という配慮は生まれなかっただろうと私は思いました。

 

くんちゃん、あんたすごいわ。

 

盛り上がりが失速したのは、6歳の認識力でも、くんちゃんの行動の意図を読んでハッとした子が集団のなかに少なからずいたからだと思います。

説明を迫った時に逃げた男子もおそらく目にしたくんちゃんの行動が「簡単に茶化してはいけないもの」であることを直感したのでしょう。

だから話したくなかった。

 

サラマがくんちゃんに畏敬に近い念をいだいていたかたわらで、同級生二人が無邪気にこういうことを言い始めたのでした。

まあ、まだ小学校一年生だもんね。

生まれた月による発達の差は大きいし。

いるよね、こういうキッズもね。

 

当然だけど、くんちゃんは、

 

 

 

このあたりで担任の先生登場。

 

「どうしてそうしたの?」と尋ねても答えず無言で肩をふるわせるくんちゃんに先生はそれ以上質問することはなく、くんちゃんを抱き寄せて、くんちゃんが落ち着いたあとに複数の子供にヒアリングしておりました。

現場にいなかった私が理解したのと同程度に状況を理解したであろう先生はその日の授業の予定をすべて話し合いの場に変更。

 

大人目線になって察するに、

たぶん、くんちゃんが翌日から陰でいじめられたりすることがないようきちんと芽をつんでおかねばならないと感じたのかと。

 

クラス全員を一人に、

 

 ・くんちゃんの行動をどう思うか

 ・どういう理由でそう思うか

 ・笑ったクラスメイトの行動から受けた印象

 ・みんなが今後くんちゃんに対してどういう態度をとりたいか

 

ってなことを尋ねました。

 

いつも授業中なにかと茶化して笑いを取ろうとする男子も、普段ひと言もしゃべらないキャラの男子も、みんなが熱っぽくきちんと答えていたのが印象的でした。

 

 

私たちのようなド田舎では基本少人数制なので公立は教科書の履修が一般と比べてめちゃくちゃ速いんです。

全国の進度に合わせるべく時折立ち止まらねばならないわけですが、教科書を進められないって時は、どの担任の先生もしょっちゅう〔対話〕を設けていました。

ていうかそもそも私たちは挙手せずみんなが口々にしゃべるスタイルの6年間で、常に対話形式だったけど泣き笑い

特に小学一、二年のこの担任の先生はクラス内の衝突があるたびにこうやってかなり丹念に全員で意見をすり合わせる機会をくれましたことを今でも覚えています。

 

懐かしい目がハート

 

ちなみに、

サラマはいまだにくんちゃんともきったねーと笑った子たちともこの担任の先生とも仲良しですひらめき飛び出すハート

 

思い出話、お付き合いいただきありがとうございました目がハート