当時のケニアでは伝統的な途上国駐妻生活が送れたという話↓↓
駐在帯同者のコミュニティの雰囲気というのは、この国がこうだからこうなるという固定的なものではないように感じる私です。
同時期に居合わせた人同士のハーモニーによって雰囲気が成り立つところがあり、例えるならば、「たまたま同じ学区に同じ年に生まれたために同じ小学校に通うクラスメイトになる」という種のご縁と近いと思うんですよね。クラスの雰囲気はその時のメンツによって決まってしまい、一学年上とも一学年下ともまた違う。
我が地元を代表するスーパースター甲本ヒロトはクラスメイトという存在についてこう言っているらしい(出典不明)。
❝ 友達じゃねぇよクラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。❞
…まあ、分からないでもないけどさ
でも当時の私はクラスメイトのごとく同じ年に同じ国にたまたま集められただけの駐妻衆のなかに友達が欲しかった。
たまたま無作為に集められた駐妻衆のそのなかに、かつての自分と同じように「働くことが当たり前」と思いながら帯同生活に入って無念を抱えている同性の存在がいてくれたらいいのにと願った。
「自分のほしいものぐらい自分で買いたいよね」って言ってさ。
「旦那におんぶだっこの状態なんて窮屈だよね」って言ってさ。
「私も私も!!だよねー!」とかって盛り上がってさ。
ひとしきり話したあとに、きっと内心は「ずっと愚痴ばかり話していたって生産性がない」という事実に気づいているに違いないその彼女と一緒に「…でも自分たちで選んだ道だもんね。仕方ないよね」っていうふうに展開を転じさせて。
現実と相容れない想いを口にして、何度も何度も口にして、そうやっていくうちに、怨念のような未練も成仏させられたかもしれないのに。
世の中「思い込んだもの勝ち」と思っている私は「帯同生活も悪くないんだ」って思い込ませてくれるような自分と同じ境遇の誰かと出会えたらいいのにと、ずいぶんと早い段階から密かに思っておりました。
というか、期限がない帯同者の私にとってそう思い込めるかどうかってのは死活問題である気さえしていた。
ケニア任期後半になって知り合った駐妻さんたちのなかに同じように鬱屈とした思いを抱えた奥様もいました。
自分が、彼女らと想いを共有することで癒され、徐々に前を向くことができたという事実を考えると、今まで「べったりした人付き合いしないよね」などと言われがちな私ではありましたが、それは物理的な話であって精神的にはけっこう同性の友人に依存する傾向があるな、なんて新たな一面を発見するに至ります
私が現在前向きに過ごせているのはアメブロのおかげです。
アメブロを通じて知り合った数多くのブロガーさんたち。
スクリーンの向こうに悩みの種類が違えども自分と同じようにstruggleしながらそれでも前向きに生活しているたくさんの人たちがいる。そういう人たちに「誰しもが悩みながらそれでも1日1日を過ごしている」という当たり前の事実に気付かされる。
まあそれはまた別に書くとして
ケニアの次に引っ越してきた新天地デンマーク。
そこには、ななな、なんと、
働く日本人女性めっちゃいた
そうだよね?!そうだよね?!だってヨーロッパってそうだよねっっ?!?!?!
デンマークには、デンマーク人と結婚してこの国で生きていくことを覚悟して暮らす日本人の方々が大勢いらっしゃいます。
そういう方々にとっては、まぁ私は国際結婚していないので想像の域を出ませんが、結婚という制度は <すがる> でも <依る> でもなく、継続しようという意志の上に <一端を担う> ものなのではないかと思うんですよね。
配偶者の財布で相撲をとろうとするような人に会ったことがない。
やっぱりヨーロッパ文化において <自立> は経済的自立を含んでいる気がします。特に北欧においては。
10代の私がかつてスペインで「素敵だな」と感銘を受けた自立したヨーロッパの女性たちと違わぬ姿勢で働いている日本人がたくさんいる。
日本人駐妻さんたちのなかにもただ消費を貪るだけでなく「転んでもタダでは起きませんよ」とこの帯同経験を自分の経験としてプラスにしていこうといい意味で野心的な方もいて、ポジティブな影響をもらったりします。
ヨーロッパ域出身のママさんの存在も大きい。
彼女たちのなかにも私と同じで立場的に働けず夫に養われている人が少なからずいる。
彼女たちは、私が感じたような配偶者に経済的に依存する居心地悪さをごく当たり前に感じていて、私がケニア時代にこういうふうに言ってくれる誰かがいたらいいのになと切望したような台詞をことごとく言ってくれたのでした。
事実はどうであれみんな、サラマが「理解された」と錯覚できるだけの態度はみせてくれました
ヨチヨチ歩きのデンちゃんを連れて公園遊びさせている時に当然のように「どこで働いてる?」と尋ねてくるデンマーク人ママさんたち。
笑いながら「無職だよ」などと言うと「あらそっか。今は世界で1番難しい職業(子育て)頑張ってるところなのねー」などと返してくれる。
切り返しに「無職状態は当然不本意だよね」という同情含みの配慮がうかがえる。
良くも悪くも、私はヨーロッパナイズされているのだと思うのです。
それは仕方がない。
国籍越えた結婚があるように、国籍越えた友情ってのもある。
私はヨーロッパの同性の友人たちから強く影響を受けている。
「男性と同じだけ権利を主張したいなら男性と同じだけの義務をこなす」ことが当たり前のヨーロッパでの生活に戻ってきて、ケニア時代にもてあましていた「失職によってアイデンティティクライシスに苦しむ自分」をなんらおかしくない存在だと受け止めることができた私。
スイミーって群れに会ったときこんな気持ちだったんじゃないかって思ったり
「働くことが当たり前」という文化がある種の女の人たちには厳しく響くのも知っています。
いろんな価値観があって良いと本気で思っている私は「働きたくない」という気持ちを持つ人に対してもなんの違和感もありません
ただ、
サラマについて言うならば。
「働き続けた人生を送りたい」と思ったきっかけがヨーロッパ人女性の背中だったからなのでしょうけれども、
途上国駐在帯同者のなかにふんわりただよう「夫のおかげで働かなくても遊び暮らせる人生をラッキーだと思わなきゃ」という謎の同調圧力よりも「夫と生きていくにしても経済的に自立していたい」というヨーロッパ的考え方の方がずいぶんとしっくりきたというお話でした。
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