生活をエンジョイしているシンママや当時の私のような選択的シングルの特徴として「友人関係に満足している」という点が挙げられると思います指差しこれは欧米人のシングルにもアテはまると思う。

 

「女同士の友情なんて幻想だ」と考える女の人が存在するのは存じておりますが、サラマは、ありがたいことに、いつの年齢においても本音を話せる友人という存在に恵まれておりました目がハート

私は誰かと付き合うと長いのですが(そして結婚がみえてくると別れるのですが ←え )、パートナーがいようといまいと関係なく、辛いことがあった時には朝まで飲みながら話を聞きあえるような友人が男女問わずおります。

私の場合、自身の資質というよりも環境要因によってもたらされた恩恵なんですけれどもね。

 

「あーなーただーけーそばにーいれーばー他になにもいらなぁぁぁぁい」by大黒摩季というよりは「男一人で支え切れる程度の人生かよ!」by田中ミズホ(サプリ)がしっくりくるサラマとしては、女に限らず、男だろうと、子供だろうと、人間にとっては、複数の他人と濃淡に関わり合いながら動いている状態が健全なのではないかと思うわけです。

私たちは、生活圏において「根を張る」。

根というのは基本的に四方八方に伸びるわけですけれども、人間は、特定の場所で生活するうちにそこに根を張って自分を取り囲む人たちとゆるやかに結びついていく特性を備えた生き物です。

多方向に向いて伸びた根が茎をまっすぐ支えるように、私たちが自立していられるとしたら、それはあ多方向に向けて複数の他者と結びついていられるからではないかでしょうか。

駐在帯同者は、生えていた場所からすぽん!と引き抜かれあたらしいところに無造作に植えられる感がある気が不安


ケニアでの帯同生活に慣れることができなかったのは、当時ケニアにお住いだった駐妻帯同者の先輩方がどうだったからこうだったからとかいうことにはあまり関係ありません。

優しくしてくださった方が多かったなかで、それでも引きこもりがちだったのは、いきなり生産性ゼロの存在になった自分自身を受け入れられないという適応障害的マインドがその場に馴染むことを許さなかった感じです。

 

東アフリカ域最大の経済規模をほこるケニアの首都ナイロビは多層的な社会。

起業したり国連で働いたりというキャリア女子に仕事コミット系のライフスタイルをゆるす一方で、望む人には伝統的な途上国の駐妻生活を選ばせてくれる街でもあります。

 

伝統的な途上国の駐妻生活というのは、

豪邸に住み、お手伝いさんに家事の一切を任せ、産んだ子をナニーさんに抱かせ、お抱え運転手の運転で、月曜日ボードゲーム、火曜日手芸、水曜日テニス、木曜日お茶会、金曜日麻雀、といった社交の場に毎日繰り出すというプチセレブ生活のことですわキメてる

 

断っておきますがプチセレブな生活を楽しみたい奥様方の気持ちも想像できないわけではないのですよ。

たいていの駐在家庭って任期が決まっているじゃないですか。

日本帰国後に再就職がみえている奥様方が「人生のうちのたった数年だもの」と家事やら育児やらを免除された暮らしに興じてみたくなる気持ちも想像できます。

サラマだって海外生活に期限がありさえすれば「海外生活もひと時の話よ」ともっと違うかたちでケニア生活割り切ってエンジョイができたかもしれません。

ただ、夫が転職でもしない限り日本に帰るという選択肢がない身の私は、己の臨機応変さに自信がなく、掃除も洗濯も食事も送り迎えもすべてケニア人の使用人に任せてただただ消費に没頭して過ごす勇気が持てませんでした。

帯同生活に終わりのない自分がそれをやったらもう社会復帰できなくなる気がして。

 

私は社会復帰がしたかった悲しい

 

結局自分の日本の友達に近いのはナイロビで働く女性たちで、彼女らに遊んでもらうようになるんですけれども、

友人が自分の稼いだお金で買ったSUVでうちのマンションまで迎えに来てくれ、

彼女が自分の稼いだお金で気晴らしに行ったというリゾートの話だとか自分の稼いだお金で買おうと思っている海外不動産などを話なんかを助手席で聞く私。

頭をよぎるのは「私も日本にいた頃には欲しかった車があったな。」だとか「友達と予定合わせてたまに旅行とか行ってたな」だとか戻れない過去。

 

私は夫に欲しかった車を買ってもらえればそれで納得するのか?


女友達とのリゾート代を夫が払ってくれたら満足なのかな?

 

などと自問したり。

そういうので満足できないと分かったところでどうにもならず虚しい。


ナイロビで働く彼女たちは、かつての自分がそうだったように仕事にプライオリティ置いてイキイキと毎日目まぐるしく忙しくしていて、結果として生活はすれ違っていきました。

同僚として日常をともにする人たちのタイプも、そういう同僚から仕入れる情報量も私と彼女たちとは段違いで、自分たちの住むナイロビという社会の捉え方についても自然と差がでてきて、当然同じ視点に立てなくなる。

やがて話が噛み合わなくなってくる悲しい

 

「ケニアってこういうの習慣あるらしいよ!面白くない?」

と、とある日本人の奥様に話をふるもケニア人の生態になんて興味ねーと言わんばかりのあからさまな態度で「そんなことよりも、最近来た新しい駐妻さんって、旦那さんの会社ここらしいよ!」と、彼女も会ったことないだろう噂ベースの日本人帯同者の新情報を更新されて「自分のいまいる社会の人がどんなことを思ってどういう暮らししているかよりも、まだ会ったこともない駐妻さんのステータスが気になるんだな」と鼻白む真顔

 

酔った駐在員のおっさんには「駐在帯同のなにが不満なの?女にとっての幸せってのは、身綺麗にして、なるべく経済力ある男から選び取ってもらい、我慢せずブランド品を買えたりデカい家に住んだりすることだろ」とか言われる。

若かりし日の自分なら即座に反感を覚えたものの「まあ、あんたの奥さんはそうやろな」などと妙に冷静に思う真顔

 

プチセレブ界をエンジョイしていた同世代の駐妻さんが日本に帰ることになり、ちょっと「帰るんですね」ってコメントしただけなのに「うちだって!本当ならば海外を転々とする予定だったんですからね!次はスライドで別の国に行ってほしいって打診されていたところを、わざわざ!うちが!それを断って一時帰国することにしたんですから!」とすごい形相で返されて、いつの間にライバル視されていたのかとびっくりする不安


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